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紙の上の咆哮――いしいひさいち『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』が静かに燃やすもの



はじめに:聴こえるはずのない歌声が、なぜ胸を刺すのか

漫画は、沈黙の芸術です。
白い紙の上に引かれた黒い線。吹き出しに閉じ込められた言葉。そのすべてを、私たちは自分自身の内なる声で読み上げながら、物語の中を歩いていきます。音楽も、風の匂いも、本来そこには存在しません。
ところが、稀に——本当にごく稀に——ページを開いた瞬間、紙面そのものが振動しているかのような錯覚に陥る作品に出会うことがあります。
いしいひさいち著『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』。
この作品は、まさにその「稀」に該当する一冊です。岡山県玉野市をモデルにした小さな港町を舞台に、ポルトガルの民族歌謡「ファド」の歌い手を志す女子高生・吉川ロカの数奇な人生を描いた本作は、読む者の感覚を静かに、しかし確実に侵食していきます。聴いたこともないはずのファドの旋律が、気づけば耳の奥で鳴っている。そんな不可思議な体験を、黒いインクだけで成し遂げてみせた作品です。


第一章:いしいひさいちという「漫画狂」の正体

いしいひさいちという名前から、多くの方がまず思い浮かべるのは、朝日新聞の長寿連載『ののちゃん(となりの山田くん)』や、プロ野球を題材にした『がんばれ!!タブチくん!!』でしょう。ドライでシニカル、脱力感の中に鋭い批評精神が光る4コマ漫画。それが私たちの知る「いしいひさいち像」です。
しかし、その安易な固定観念こそが、本作『ROCA』によって根底から覆されます。
いしいひさいちは、1970年代に「チャンネルゼロ」と呼ばれるニューウェーブ漫画運動の渦中にいた人物です。既存の商業漫画の文法に縛られることを良しとせず、「描きたいものを、描きたいように描く」という姿勢を貫いてきた、本質的な意味での漫画求道者——「漫画狂」と呼ぶべき存在です。
その精神は、70代を迎えた今なお一切衰えていません。本作の成り立ちそのものが、それを雄弁に証明しています。


第二章:自費出版という「パンク」な選択

『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』の出自は、極めて異例です。
もともとは『ののちゃん』のスピンオフ的な位置づけで構想された物語でしたが、商業誌の連載という形では完結に至りませんでした。普通であれば、そこで物語は静かに打ち切られ、忘れ去られていたかもしれません。
しかし、いしいひさいちはそうしなかった。
自身の個人レーベル「いしい商店」を通じ、公式サイトでの直接販売という形で、私家版(自費出版)として本作を世に送り出したのです。注文の受付も、振込の確認も、発送の手配も、すべて自ら担う。70代の巨匠が、その煩雑な作業を厭わなかったという事実は、この物語を「どうしても完結させなければならない」という強い意志の表れに他なりません。
商業出版の論理に背を向け、自らの手で物語を届ける。その姿勢は、まさに「パンク」と呼ぶにふさわしいものでした。
そしてこの「入手困難な私家版」は、読者たちの口コミとSNSでの熱狂的な推薦によって静かに、しかし確実に広がっていきます。「とんでもない傑作がある」——その声はやがて大きなうねりとなり、2023年度の「このマンガを読め!」(フリースタイル刊)において、名だたる商業作品を押しのけ第1位を獲得するに至りました。
後に徳間書店から刊行された『ROCA コンプリート』は、三つのフェーズ——『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』、続編『花の雨が降る』、最終章『金色に光る海』——を一冊にまとめた完全版です。いしい氏自身が出版の挨拶で「ROCAなら何でも買うとおっしゃる読者の方の熱意が無ければ実現しなかった」と語った通り、読者の熱量が出版の壁を突き破った、文字通りの奇跡の一冊です。


第三章:ファド——「運命」を意味する歌、「サウダージ」を宿す声

本作を語る上で避けて通れないのが、物語の核を成す音楽「ファド(Fado)」の存在です。
ファドとは、ポルトガルで生まれた大衆歌謡であり、その語源はラテン語の「fatum」——すなわち「運命」「宿命」を意味します。2011年にはユネスコの無形文化遺産にも登録された、ポルトガルの魂とも言うべき音楽です。
ファドの本質を語る上で欠かせない概念が「サウダージ(Saudade)」です。ポルトガル語で「もう二度と戻らないものへの、切なくも愛おしい郷愁」を意味するこの言葉は、他のどの言語にも完全には翻訳できないと言われています。なお、ポルトガル本国では「サウダーデ」と発音されますが、本作ではブラジル式の「サウダージ」という読みが採用されています。
ファドの歌い手は「ファディスタ」と呼ばれ、その中でもとりわけ伝説的な存在として知られるのが、「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスです。深い哀愁を湛えたその歌声は、ポルトガルという国の歴史そのものを背負っていると評されました。
吉川ロカが持つ声は、女性の最も低い音域である「コントラルト」として描かれています。悲しみや人生の重みをそのまま内包したような、深く、暗く、しかし圧倒的な存在感を放つ声。それはまさに、ファドという音楽が求める声質そのものです。


第四章:聴こえるはずのない音をどう描いたか——いしいひさいちの演出術

「音のないメディア」である漫画で、いかにして歌声の圧を伝えるか。
いしいひさいちが選んだ手法は、極めて知的であり、同時に身体的でもありました。
普段のロカは、いしい作品特有の「四角い顔」で描かれ、一人称は「わし」、極度の方向音痴で、およそ天才歌手の風格とはかけ離れた「ポンコツ」として存在しています。ところが、マイクの前に立った瞬間、その描写は一変します。
いしい氏は、4コマの枠組みを大胆に解体し、大コマ(見開きに近い構図)を使用します。歌詞のタイポグラフィが背景に溶け込むように配置され、歌い終えたロカの身体が物理的に崩れ落ちるように描かれる。ミニマルな線であるからこそ、そこに宿る「声の圧」が読者の想像力を最大限に刺激するのです。
ある読者はこう記しています。

「聴いたことのない音楽のはずなのに、絵から歌が聴こえてきて、声の圧を感じるような不思議な感覚。」

視覚情報しか与えられていないにもかかわらず、感覚を完全に「ジャック」されてしまう。この規格外の読書体験こそが、本作を唯一無二の存在にしている最大の理由です。


第五章:ロカと美乃——剥き出しの魂で結ばれた二人の女

本作が描くのは、単なる音楽成功譚ではありません。物語の本当の核にあるのは、吉川ロカと柴島美乃(くにじま・みの)という二人の女性の、壮絶で、滑稽で、そしてどうしようもなく美しい関係性です。
吉川ロカ。 ファドの天才的な才能を持ちながら、日常生活では驚くほど不器用な少女。一人称は「わし」で方向音痴。ステージを降りれば、ただの危なっかしい女の子です。
柴島美乃。 粗暴な姉御肌。留年を繰り返し、作中では合法的に喫煙する20歳の高校生として登場します。実家の「柴島商会」は裏社会の匂いすら漂う荒っぽい環境にあり、美乃自身もその世界と無縁ではいられない存在です。
二人の日常は、いしい流のシュールなユーモアに満ちています。美乃がロカをライブ会場に車で送り届ける姿は、周囲から「新人デリヘル嬢と、女だてらの送迎ドライバー」に間違えられるという、あまりにも身も蓋もない描写で笑いを誘います。
しかし、この「泥臭さ」があるからこそ、二人の絆が途方もなく輝くのです。
共に親を海難事故で失ったという「喪失の記憶」を抱えながら、光のあるステージへ向かうロカと、決して光の中には立たず、影から彼女を守り続ける美乃。才能ゆえに危うい存在であるロカを、美乃は暴力さえ厭わない「男っぷり」で守り抜きます。
その関係性は、単なる友情という言葉では到底言い表せません。互いの欠落を埋め合い、互いの存在によってようやく立っていられるという、非対称でありながら深く対等な「魂の守護」。本作が描くのは、そのような至高のシスターフッドです。


第六章:三度繰り返される別れ、そして「不屈の民」の咆哮

※ここから先は物語の核心に触れる内容を含みます。未読の方はご注意ください。
物語の終盤、ロカがファディスタとしてスターダムへ駆け上がっていく過程で、二人の関係には残酷なまでの「清算」が訪れます。
美乃は、自身の境遇——裏社会との繋がり——がロカの輝かしいキャリアを汚すことのないよう、過激なまでの身の引き方を選択します。それは自己犠牲というよりも、美乃なりの「愛の形」であり、「守護の完遂」でした。
読者の間で語り草となっているのが、作中で**「三度繰り返される別れ」**の構造です。いしい氏は安易なハッピーエンドを拒絶し、別離を重ねることで、失われた時間の尊さを刻印していきます。終盤では「駆け足を超えたすっ飛ばし」とも形容される大胆な時間の省略が用いられ、描かれなかった空白の年月が、かえって読者の心に深い「サウダージ」を刻みつけます。
そして、物語が到達する最も凄烈な瞬間——中東の小さな町でのライブシーン。
ロカがアンコールで歌うのは、その国では放送禁止とされていた楽曲『不屈の民(El pueblo unido jamás será vencido=団結した人民は決して敗れない)』。この曲は1974年のポルトガル「カーネーション革命」——独裁政権を無血で倒した市民革命——とも深く結びつく、抵抗と解放の象徴です。
ロカがこの歌を咆哮する瞬間、物語は個人的な友情や喪失を超え、抑圧への抗い、そして普遍的な人間讃歌へと一気に昇華されます。一人の少女の「運命の歌」が、世界と直接つながってしまう——その衝撃は、読後もなお長く尾を引きます。

「おやすみセニョリタ」の最後の余韻めいたセリフと男たちの顔とROCAのバックショットが断然良い!

ある読者がそう記した、ラストの静かな余韻。本を閉じた後の沈黙の中に、ロカの歌声がいつまでも響き続ける。その体験は、良質な文学を読み終えた時の感覚に限りなく近いものです。


終章:あなたの人生に鳴り響く「ファド」は何か

いしいひさいちが『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』で描き切ったのは、天賦の才能がもたらす栄光と、それに伴う代償の、残酷なまでの美しさでした。
人は誰しも、自分だけの「ファド(運命)」を背負っています。たとえ道が分かたれても、共に過ごした時間は消えない。失った痛みは消えない。そしてその「欠落」こそが、その人の人生の歌に、他の何にも代えがたい深みを与えていく。
70代の巨匠が、商業主義のあらゆる制約を振り払い、自らの手で読者に届けた小さな私家版。それが口コミという最も原始的な力で広がり、やがて多くの人の心を震わせる「奇跡の一冊」になった。この事実そのものが、一つの美しい「ファド」ではないでしょうか。
読み終えたとき、あなたはきっと思い出すはずです。
かつて隣にいた誰かの面影を。今はもう聴くことのできない声を。二度と戻らない、けれどもたしかにそこにあった季節を。
あなたの心の中で、今も静かに咆哮し続けている歌は、何ですか。


『ROCA コンプリート』(徳間書店刊)は、三部作すべてを収録した完全版として現在入手可能です。


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