【創作大賞2024】遅れてきた青春の日々4
本格的な冬が訪れると湖は凍り、館の周りも白一色に染まる。寒さで絵筆を持つ手が震え、自然と館から出ない日々が続く。雪解けの春はまだ先だ。
夕食は干し肉の入ったスープと蒸した芋だった。最近はこれが多い。夕食は交代で作る取り決めになっていて、今晩の担当はガリューだった。他の飲食については各々で用意することのなっていたが、大抵の場合ガリューが自分が食べるついでにと二人分用意してくれている。寒さに堪え切れなくなってからは唯一暖炉のある部屋にテーブルを運び込み、食事はもちろん寝る以外の大半をそこで二人で過ごしていた。
「お前、故郷はどこなんだ? ずっとここに住んでるわけではないんだろう?」
いつもは黙々とスプーンを動かし、食べ終えるとさっさと絵を描き始めるジェレミーが珍しく尋ねてきたので、ガリューは口に運んでいた芋を落としそうになった。
「どうしたんだい? 君が僕に興味を持つなんて珍しい。もしかして今日の味付けが口に合わなかったか?」
「味付け変えたのか? いつもと同じように思うが」
スープを口に含み、舌を転がすように味わってみたが違いがわからない。首をひねっているうちに気がついた。
「お前また話を変えたな!」
悔しそうに椅子の背にもたれかかる姿を見てガリューは腹を抱える。ジェレミーの話を巧みに別の話題に変えるのが最近ガリューの中で流行っているいたずらだった。ジェレミーがこの遊びに気がついたのはごく最近のことだったが、気づいたところでこのようにしてやられてしまう。
「ごめんごめん。話を戻そう。僕の故郷は、そうだな……すごく遠くだ」
「ずいぶん曖昧な言い方だな。この国じゃないということか?」
ジェレミーはこれ以上口車に乗るまいと用心していて、その様子がおかしいのかガリューは笑いを堪えながら話しているようだった。
「そうだな、外国だ。幼い頃にここにやってきた。初めは家族や友人とこの館に住んでいたが色々あって長いこと一人で暮らしている」
「そうか、俺と似たような境遇なんだな」
「君も両親を亡くしてるんだったね」
「ああ、それと弟だ。もう十年になる」
「今でも家族のことを考えることはあるかい?」
「そうだな」と言いつつジェレミーは顎に手をやった。かつてはそれこそ取り憑かれたように家族との思い出に浸ったり、幸せだった頃をモチーフに絵を描いていた。だがこの館に来てからというもの、そういうことが少なくなったような気がする。
「僕は君のそういうところに惹かれたのかもしれない。君のその情熱というか、執念深いところに。それは僕があまり持ち合わせていない感情だからさ。そういうものを君から学ぼうとしたのかもしれない」
「そんなもの学んでどうするんだ?」
ジェレミーは怪訝な表情で芋を口に運んだ。
「ほら、僕は絵が上手だろ?」
ガリューが両手を広げる。たしかにあちらこちらに無造作に置かれた絵の数々はジェレミーの腕前を凌駕する代物だった。それでも、
「それを自分で言うか?」
とジェレミーは鼻を鳴らした。
「でも僕の絵は上手なだけなんだよ。それ以上じゃない。小手先の技術を超えたところに到達するにはなにか他のものが必要なんだ」
「それを俺から学ぼうとしてるってことか?」
「そう、君自身の技術はまだまだ未熟だけど、君の絵は充分魅力的だ。それは多分君の熱意や情熱から来ていると僕は思う。僕には足りないものだ」
ガリューは器に残った最後の一口をすすると暖炉に薪をくべた。パチパチと小気味のいい音がする静かな夜だった。
食事を終えたジェレミーは暖炉に両手をかざして暖めてから自らのキャンバスに向かった。最近よくモチーフにするのは暖炉の前で居眠りをするガリューの姿だ。デッサンの段階で見咎められたが、すぐに諦めたのか今ではなにも言ってこない。それどころか彼が密かに自分をモチーフになにか描いているのをジェレミーは知っていた。気付かれていないと思っているのかもしれないが、時折感じる視線に気付かないはど鈍感ではなかった。
早いものでここを訪れてから半年が経つ。当初の目的であった青色の秘密は依然としてなにもわからない。それどころかこの半年彼があの色を使ってるのすら見たことがなかった。あえて隠しているのか、単純に使う予定がなかったのか。おそらく聞いてみたところではぐらかされるだけなので、機会があれば本格的に家捜しをしようとジェレミーは企んでいた。
翌朝、ジェレミーが震えるような寒さに目を覚ますと描きかけの絵の前に座っていた。もう思い出せないが、なにか夢を見ていたようで、現実との狭間で頭がぼんやりする。昨夜、絵の構図を考えながら寝落ちしてしまったらしい。肩の毛布はガリューが掛けてくれたのだろうが、当の本人はやはりソファで横になっている。暖炉の火が消えかかっていて、自分に掛けられていた毛布をガリューに掛け、暖炉に新しい薪をくべた。
窓の外はまだ薄暗く、東の空が白み始めたばかりだった。普段なら眠りの最も深いところにいる時間だったが、なぜだか目が冴えてしまったジェレミーは台所に行って白湯を入れた。気持ちよさそうに眠るガリューを見ているうちに悪戯心が芽生え始め、彼を起こさないように絵筆で顔に落書きをした。笑いを堪えながら白湯をすする頃には、部屋の風景は夜明けからすっかり早朝へと姿を変えていた。朝陽が積もった雪に反射し、目を細めなければ見えないほどに窓の外は眩しかった。
ふとジェレミーは乱雑に積まれた絵の一枚を手に取った。昨晩の食卓の会話を思い出してのことだった。食い入るように見てはまた別の絵を手に取る。絵のモチーフこそ館周辺の風景や草花、もしくは館の中にある胸像や調度品、果実などありきたりなものだったが、それに用いられている手法は多岐に渡っていた。細部まで丁寧に描き込まれたものもあれば、抽象画のようなものもあった。共通しているのはそのどれもがジェレミーの技量を越えていたことだ。悔しいがそれは明らかだった。はっきりとした年齢は聞いていないが同い年くらいの彼との差に改めて打ちのめされる。
積まれているキャンバスは下にいくにつれて古い絵になっていく。いつ描かれたものかははっきりしないが色褪せたどのキャンバスにも『ヨエル=ガリュー』のサインがあった。過去の作品を遡るこの行為はガリューの歴史を辿るようなものだった。絵のタッチは変化し、いつの頃からかあの深い青は使われなくなった。というよりもあの青を使い始めたのも割と最近のことのようだ。いくつもの作品を見ていくにつれてある疑問にジェレミーの眉間のしわはどんどん深くなっていった。
「……多すぎるな」
独り言で呟いたその言葉が彼の疑問の正体だった。一人が描いたものにしてはあまりにも数が多すぎる。そして古すぎる。一体ヨエル=ガリューという男は何歳で、いつから絵を描いているのだろうか? 埃を被らないようするためか布で覆われたキャンバスの山の中でジェレミーはついに決定的な絵を見つけてしまった。
寝返りを打ち、ソファから落ちそうになったところでようやくガリューは目を覚ました。すでに日は高く昇っていて、窓からの光に目を細める。
「やっと起きたか」
ジェレミーが描いていた手を止めてキャンバスから顔を覗かせる。掛けられていた毛布に気づいたガリューは「ありがとう」と「おはよう」を続けざまに言った。
「ちょうど昼食にしようと思ってたんだ。一緒に食べるか?」
「ああ、僕には朝食だけどね」
そう言ってソファの上で大きく伸びをした。ジェレミーも早朝に白湯を飲んだだけでそれ以外はなにも口にしていなかった。パンにチーズを乗せただけの簡素な皿をテーブルに二つ並べ、昨日のスープを温め直した。
「君が当番でもないのに食事の用意をしてくれるなんて。今日は良いことがありそうだな」
嬉しそうにパンを噛みちぎるガリューをジェレミーは頬杖をついて見ていた。
「お前に聞き忘れていたことがあった。聞かなかった俺が悪いんだから、言わなかったお前は悪くない」
食事に手を付けずにいたジェレミーだったが、そう言ってようやく口を潤すように一口だけスープをすすった。
「俺は今年二十四歳になるが、お前はいくつだ? 同じくらいだと思っていたんだが」
ジェレミーは至極真顔で言ったのだが、なぜかガリューは吹き出した。
「真面目に聞いているんだが」
不機嫌に言うとすぐに謝ったガリューだったが、その顔にはまだ笑みが残っていた。
「あまり年齢のことは言いたくないんだけど。若く見えるけど実は結構おじさんなんでね」
「お爺さんの間違いじゃないのか?」
ジェレミーがテーブルの下に隠していたキャンバスを見せると、今日初めてガリューの顔から笑みが消えた。
古びたキャンバスだった。ところどころ変色し、枠の木も著しく劣化していた。
「ずいぶん懐かしいものを見つけてきたね」
「なあ、正直に答えてくれ。この絵はなんなんだ? お前は何者なんだ?」
それは館の外観を写実的に描いたものだった。数え切れないほどある湖側とは違い、館の庭を描いたものは少ない。この絵はその中でもおそらく最古であろうものだった。
「今は老木の庭のリンゴがどうして若木として描かれてるんだ? これはいつ描いたものなんだ?」
「これは想像して……」
「お前は自分の目で見たものしか描かないと言っていた」
ガリューは観念したかのように天を仰ぎ、その顔を両手で覆った。そのまましばらく時が止まったように動かなくなった。しびれを切らしたジェレミーが声を掛けようとするとようやく正視した。
「これを描いたのはおよそ百年前だ。驚いたよ、まさかこんなに早く僕の正体がバレるなんてね」
その顔はもういつも通りのにこにこした表情に戻っていた。
「この話をする前にお茶を入れてきてもいいかな? 多分長い話になるんだ」
ジェレミーが頷く。立ち上がったガリューに「君もいるかい?」と聞かれもう一度頷いた。
ガリューが戻るのを待つ間、ジェレミーは全身の力が抜けるような感覚の襲われていた。目の前のパンに口をつけようとして皿に戻す。ガリューが起きるのを待っている間以上に食欲が湧かなかった。「百年前」という単語が頭の中をぐるぐると回る。どういう話になるのか想像もつかなかったが、ガリューの態度を見る限りではあまり良い話ではなさそうだった。
お待たせ、と盆にカップを二つ乗せたガリューが戻ってきた。ジェレミーがそれを受け取り、自分のカップに砂糖を入れ始める。
「初めて君に会った日のことを思い出したよ」
「ああ、俺の態度が変わったのが気に入らなかったんだろ? 俺もお前の上から目線な態度が癪に障ってたから気にするな」
「酷いね。それもだけど、君がその風貌から想像できないような甘党だからさ」
言われてジェレミーはカップに目を落とす。琥珀色に輝く紅茶は甘くしてこそ美味しいものだと思っていた。なにも入れずに美味そうに飲むガリューの方が理解できない。
「今度砂糖を入れずに飲んでみよう。お前も目一杯甘くして飲んでみるといい」
「今度があればね」
ガリューは今まで見たこともない真剣な顔になった。まるで別人のような口調にジェレミーは面食らう。
「この話を聞いたらもう君は僕と一緒には居てくれないかもしれない」
ガリューはそう言って砂糖の入っていない紅茶をすすった。
「まず、僕は人間じゃない。正確にはこの世界に住む君たちとは別の生き物だ。百五十年ほど前にこの世界へやってきた」
ジェレミーは彼の言葉を理解しようと出てきた単語を繰り返し呟いた。
「まあ、この話を君たちが理解できるようになるのはもう少し先だな。簡単に言うと僕は君たちよりも多くのことを知っているし、多くのことができる。例えば空を飛んだり、遠く離れた人と話をしたり、火を使わずに夜を昼間のように明るくすることだってできる」
ほう、とジェレミーはまるで他人事のような感嘆の声をあげた。彼はおいそれと話を鵜呑みにすることができなかった。あまりにも荒唐無稽な話でまたガリューにからかわれているのではないかと警戒していた。
「なにかその証拠を見せてくれよ」
腕組みをし、椅子に深く座り直す。「そうだな」と呟き、腕組みしながらガリューは自室に向かい、すぐに戻ってきた。
「ほとんどの技術はこの世界では使えないし、長い年月の中で失われてしまった。だから今君に見せられるのはこのくらいしかない」
ガリューが持ってきた筒のようなもの、それを彼が弄ると眩いくらいの灯りがついた。見たこともないような直線的な光を当てられ、ジェレミーは驚きのあまり椅子から転げ落ちた。追い討ちをかけるようにガリューが小枝のようなものを弄ると一瞬にして小さな炎が上がった。まるで魔術のような現象に見せるジェレミーの反応が可笑しかったのか、ガリューは屈託無く笑った。
「あとはこの水中でも息ができる装置くらいかな」
鉄の塊の中には空気が入っていて、そこから管を通して息ができるらしい。
「まだ使えるとは僕も驚いたよ。こんな感じで僕は君たちよりも進んだ文明からやってきた。君たちがこういったものを当たり前に使うようになるにはあと数百年かかるだろう」
「絵の技術もそのせいか?」
ジェレミーは倒れ椅子を起こし、座り直した。
「いや、それは僕の百年にも及ぶ研鑽だ。そもそも僕が絵を描き始めたのはこっちにきてからだしね」
「絵に関してもすごい技術があるのか?」
「絵……と言うわけじゃないけど、なんていうか風景をそのまま切り取るような道具はある。見たものをそのまま紙に保存できるんだ。それも一瞬でね」
ジェレミーはその道具を想像するためにしばしぼんやりと中空を見上げ、そしてなにかに気付いたように目を見開いた。
「そんなものがあるならもう絵なんていらないじゃないか。お前が元いたところでは絵描きはいなかったのか?」
「それとこれとは話が別だ。昨日僕が話した通り、絵に必要なのは技術だけじゃない。風景をそのまま紙に焼き付けたところでなんの情熱もこもっていないのであればそれでは人の心は打てないんだよ」
ジェレミーは納得したように「そうか」とだけ呟いた。ジェレミーがカップを口元に運ぶ。沈黙の中紅茶をすする音だけが部屋に響いた。
正直、ガリューの話にはジェレミーが理解できない部分も多い。実際に目にした光や炎もなにか手品のようなものの可能性だってある。だが、話が全て真実だと証明することは彼の言う通り難しいことなのだろう。だからジェレミーはガリューの生い立ちについては考えないことにした。
「で、結局俺とお前はなにが違うんだ? 寿命以外で」
「体の構造が少し違う。夜暗い中でも目が見えるし、遠くの音が聞こえる。君の体重の倍くらいまでなら片手で持ち上げることができる」
「それだけか?」
「分かり易く言うとそんなもんかな」
「それでなんで一緒に居られなくなるんだ? なにか問題があるのか?」
ジェレミーはカップの残りを全て飲み干した。最後の一口は底に溜まった溶けきらない砂糖のせいで一段と甘い。
「なんでって、僕が気持ち悪くないのか?」
「お前が言った違いなんて俺からすれば紅茶に砂糖を入れるか入れないかくらいの違いしかない。 お前は俺が砂糖をたくさん入れることを気持ち悪いと思うか? それで一緒に居られなくなると思うか?」
ガリューは静かに首を振った。
「僕はここに来て家族を失ってから初めて一緒に暮らしたのが君だったんだけど、なんていうか、それが君でよかったよ」
「よくそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるな」
ジェレミーの方が赤面してしまいそうになる。「それはそうと」とそれを隠すように話題を変えようとした。
「例の青色もお前の手品の類なのか?」
ガリューはなぜだか楽しそうに人差し指を振った。
「それは違うよ、ジェレミー君。もちろん僕が元々いたところの技術を持ってすればどんな色だって簡単に作ることが可能だ。だがこの星ではまだその域に達していない。だから僕は代用品を使っているわけだが、こればっかりは君に教えることはできない」
「それを知ったら俺がここを去ってしまうからか? そんなことないから安心しろ。俺は可能な限りお前と一緒にいる」
「よくそんなセリフを恥ずかしげもなく言えるね」
今度は赤面を隠すことができなかった。狼狽えながら陳腐な言い訳を繰り出す姿に、ガリューは椅子から転げ落ちそうになる。
「からかって悪かったよ。君の反応が面白いからついやってしまうんだ」
「それについては謝る必要はない。お互い様だからな」
なんのことか分からず怪訝そうにするガリューを鏡の前に誘導する。寝ている間に額や頬に描かれた落書きを見て彼はなぜか嬉しそうに口角を上げた。思っていたのと違う反応にジェレミーが腑に落ちないでいると、ガリューは鏡をジェレミーに向けた。
「それこそお互い様だ。似た者同士だね、僕たちは」
鏡に映ったその顔にはガリューに描いたものの倍の落書きがされていた。
