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【創作大賞2024】遅れてきた青春の日々7

 カタリンは三日に一度のペースで早朝の館に顔を出した。本当は毎日でも訪れたいのだろうがそれではマレクの修行と自立の邪魔になると考えているらしい。 彼は来るたびに口癖のように言う言葉があった。

「良い報告はゆっくりでもいいが、悪い報告はできるだけ早くするように」

 おそらくそれは彼が男爵に仕える上で信条にしていることなのだろう。ジェレミーはまだマレクになにがあったのかを本人から聞き出せずにいた。それをカタリンに報告するべきか否か、いつも通りの他愛のない雑談をしつつ悩んでいた。

 一晩経ったマレクはいつもの調子に戻っていて、それだけがジェレミーの安心材料だった。

「さすがマレク様です。この歳でこれだけ描ける子供を私は見たことがありません」

「僕の教え方がいいからなんじゃないかな?」

「そう、ガリューに教わればカタリンも描けるようになる」

「滅相もございません。これはマレク様の才能の賜物です」

「いや、僕の教え方は?」

 一人考え込むジェレミーを横目にマレクの描いた絵の品評から話は脱線し始めていた。なんとなくいたたまれなくなったジェレミーはそっと外へ出て、リンゴの木のデッサンを始めた。

「どうしたんだい? 元気ないじゃないか」

 やはりいまいち集中できず、ペンを置いて伸びをしたところに後ろから声を掛けられた。驚いた拍子に腰を痛め、さする姿をガリューが笑った。

「別にいつも通りだろ」

「たしかに君は一緒になってはしゃぐタイプではない。でもそれは一年前の君だ。今の君はさっきみたいに僕が自画自賛しているのを黙って見ているような男じゃない。なにかしら悪態の一つでもついてくるはずだ」

 ジェレミーに向かって指をさし、言い切った。なにも言い返せなかった。自分がここに来て変わったことは自分が一番よくわかっていた。

「なにがあった?」

 ガリューの優しい口調に全身の力が抜けていくような感覚がしてその場に座り込んだ。意を決し、昨日マレクと実行した計画を白状した。そしてそれを後悔していることも。

「なんだ、そんなことか」

 返ってきたのは拍子抜けするほどあっさりとした言葉だった。

「君は本当に変わったね。来たばかりの頃は何の遠慮もなしに館中を引っ掻き回してたじゃないか」

 耳が痛い言葉だった。確かにあの頃は必死になって青色の秘密を探ろうとしていた。ガリューにどう思われようがなんとも思わなかった。それさえ手に入ればとっとと館から出て行くつもりだった。今は違う。今は青色よりもガリューと一緒にいることの方が大切だと思う。きっとこれが、友達というものなのだろう。

「心配しなくてもきっとマレクはそんなこと引きずっていないし、僕も気にしていない。だから君も気にせず僕に悪態をついてくれ」

「なんだそれ。変態か」

 そう言いながらジェレミーは差し出された手を取り立ち上がった。

「マレクが屋敷に帰ったら……」

 先を歩いていたガリューがふいに振り返った。先ほどのやりとりのときとは違う真剣な目をしている。これまでの付き合いでガリューがなにか秘密を打ち明けるときの目だと知っていた。

「あの子が帰ったら、あの青の作り方を教えるよ」

 ガリューの雰囲気の気圧されそうになりながら、ジェレミーは黙って頷いた。


 館に戻るとマレクの姿はなく、カタリンが一人お茶をすすっていた。

「ん? マレク様は一緒じゃないのか?」

 ガリューがジェレミーを追ったすぐあとにマレクは二人を探しに出たらしい。行き違いになったのだろう。すぐに帰ってくるだろうと楽観していた二人に対し、カタリンの心配ぶりは尋常ではなかった。

「今すぐに探しに行ってくれ!」

 のんびりとお茶を入れようとしていた二人に檄を飛ばしつつ、自ら率先して館を飛び出していった。仕方なく彼について館の周りを探したが、湖畔の方へ行ってもマレクの姿はなかった。館に戻ったのかもしれないと、外をジェレミーとカタリンに任せ、ガリューは館の中を探す。大声を張り上げ、走り回ったカタリンが肩で息をし始める頃には二人の表情にも余裕がなくなっていた。

「森に入ったのかもしれない」

 ガリューが底なし沼のある森を睨んだ。新緑の葉が風に揺れる音が不吉な音色に感じられた。

「昨日沼の近くのデッサンに行こうって話していただろ? 置いていかれたと思って急いで向かったのかもしれない」

 二人は取り乱すカタリンをなんとかなだめて館に待機させ、森へと入った。昼間にもかかわらず木々に日光を遮られ薄暗い。ガリューが沼へと走り、ジェレミーはマレクの姿を見落とさないようにゆっくりと進むことにした。

「君も気をつけるんだよ。今の時期は本当に野犬が出るんだ」

 ジェレミーは大きく頷き、走り行くガリューの背中を見送ると大声でマレクの名前を叫んだ。いくら賢いとはいえマレクはまだ子供だ。森の中に入ったはいいが道に迷い、途方に暮れているかもしれない。

 そういえばマレクは昨日なにを言おうとしていたのだろう? 帰ったら聞いてみよう。そんなことを考えながら、再び大声で名前を呼んだ。

 マレクを呼ぶジェレミーの声に反応が返ってきたのは沼までもう少しの場所だった。だがそれはマレクのものではない。叫ぶようにジェレミーを呼ぶガリューの声に獣の咆哮が混ざって聞こえた。

 反射的に走り出していた。曲がりくねった獣道を進むのさえ煩わしく、草木に足を取られながらも一直線に声の方へ走った。

 視界が開け、ジェレミーが目にしたのはうずくまるガリューとマレク、それに逃げ出すように走り去るどす黒く大きな野犬の後ろ姿だった。奇しくもそこはちょうど以前ジェレミーが底なし沼にはまり、救い出されたその場所だった。

「大丈夫か?!」

 立ち尽くすマレクは服や顔が泥で汚れている以外大きな怪我はなさそうだった。それよりも左腕を押さえ、体で覆い隠すようにうずくまっているガリューの方へ駆け寄った。

「僕は大丈夫だ。君はマレクを連れて先に帰ってくれ」

 声が震えていた。

「大丈夫なわけないだろう。怪我したのか? 見せてみろ」

 無理矢理体を起こそうとするジェレミーの手をガリューは強く振り払った。

「本当に大丈夫だから。少し休んだら僕も後を追う」

 ガリューはそう言ってから、少しためらうような素振りを見せたあと、ジェレミーにだけ見えるように押さえていた手を離す。それを目の当たりにしたジェレミーは思わず声を失った。鮮やかな青色をした血が裂けた二の腕から滴っていた。

「これが特別な青色の正体だよ。マレクに見られたくない。早く行ってくれ」

 ガリューの耳打ちにジェレミーは頷いた。マレクの目からガリューを隠すようにその場を立ち去る。自分が見たものを信じられず呆然としながらもマレクを先導した。

 ガリューがこの世界の人間ではないというはないという話を聞いても自分となんら変わりない姿に実感が湧かなかった。同じ物を食べ、同じように寝て、同じ場所で絵を描く。それらを繰り返しているうちにその事実さえ忘れてしまっていた。

 ガリューの腕から流れる青い血はジェレミーが初めて実際に目にした「異質」だった。他の世界からやってきたというあの日の告白の何倍もの衝撃にひどく動揺していた。無意識に早足になり、肝心のマレクを置き去りにしかけているのに気が付かなかった。「……ジェレミー」と弱々しい声でマレクに呼ばれたときにはすでに彼はだいぶ後ろの草むらに姿が隠れかけていた。

「悪かった。考えごとをしていて、つい」

 少し戻るとマレクは駆け寄り、はぐれないようにジェレミーの服の袖をぎゅっと握った。

「二人に置いていかれたのかと思ったんだ。昨日絵を描いてたところにもいなかったから、もしかして沼の方に行ったんじゃないかと思って森に入ったんだ。暗くて怖かったけど前にガリューに聞いてた通り小径に沿って歩いてたらパーって明るくなって。二人を探してたら足を取られて動けなくなっちゃったんだ。ずっと助けを呼んでたらガリューが来てくれて、でも奥の草むらから野犬が襲ってきて。ガリューは僕を引き上げながら棒で野犬と戦ってた。やっと自分で歩けるところに出たらガリューがうずくまってて、そうしたらジェレミーが来て……」

 マレクはよほど怖い思いをしたのか、不安を打ち消すように喋り続けた。いつも口数の少ない彼の止まらない話に口を挟まないでいたが、

「なにか見たか? ガリューの傷口とか」

「見てない。気付いたらガリュー倒れてて、そばに行こうとしても来るなって言うからどうしていいか分かんなかった。そうしたらジェレミーが来て……」

 マレクの言葉に胸をなで下ろす。この時点で見られていなければあとはなんとか誤魔化せるだろう。森を抜けると駆けるように館へ向かった。館の前で待っていたカタリンが二人の姿を見つけ、走ってくるのが見えた。近づくにつれ彼が涙を流しているのがわかり、ジェレミーは苦笑する。

「もう大丈夫だろう。俺はガリューの様子を見てくる。カタリンと館に戻っといてくれ」

 マレクの背中をポンと押すとそれを合図に走り出した。きっと数秒後には感動の再会を果たすだろう。ジェレミーはそのシーンを見届けることなく踵を返した。

 小径を早足で戻りながら、ガリューにかける言葉を探していた。気にしていないことを伝えたかった。確かに初めは驚いたが、それでも今まで通りやっていこうと伝えたかった。草むらを手でどけるとガリューの顔が眼前に現れ、驚き尻餅をついたジェレミーをガリューは腹を抱えて笑った。ふてくされながらもやはり視線はガリューの左腕に行ってしまう。まだ押さえてはいたものの出血は止まっていた。

「これか? すぐ治るんだよ」

 右手を離すとその言葉通り、出血どころか傷口まできれいさっぱり消えていた。まだ少し痛むんだけどねと付け加える。

「傷が治ってるのを見られるとまた厄介だ。隠しておいた方がいい。館に帰ったら包帯があるだろう。今はこれで隠しておけ」

 ジェレミーは自分の服を脱ぎ、ガリューの左腕に巻きつける。

「汗びっしょりで気持ち悪いんだけど」

 嫌そうに眉をひそめるガリューに「文句を言うな」と一喝する。

「君も随分傷だらけだね」

 そう言われて改めて見てみると腕足顔など肌の露出していたほとんどに大小の傷ができていて、ところどころ出血していた。森を走り回っていてついたのだろう。

「俺のはそんなにすぐには治らないから心配するな」

「嫌な皮肉を言うなぁ」

 本当に嫌そうに呟き、しばらく沈黙が続いた。木々が風に揺れて葉が擦れる音と、土を踏みしめ時々小枝を踏む二人分の足音だけが聞こえた。

「……マレクはなにも見てないそうだ」

「そうか、よかった」

 短いやりとりのあと、先を歩くガリューが立ち止まった。

「どう思った?」

 まっすぐに、ジェレミーを貫くような視線で見つめる。

「驚いた」

「それから?」

「それだけだ。それとお前が青色の秘密を隠してた理由が分かってスッキリした」

 本当にそう思っていた。初めこそ動揺したものの、ジェレミーの普段の奇行や発言に慣れすぎていたのかもしれない。血の色が違うくらい取るに足らないことのように思った。むしろそれくらい違っていて当然だとすら思う。

「本当に理由が分かったの?」

「俺がお前を気持ち悪がると思ってたんだろ? 心配しなくてもそんなことにはならない」

「残念、全然違うよ」

 そう言ってガリューは笑い出した。

「君がこれを知ると身体中の血を抜かれると思ったからだよ。あの湖の絵に使う分だけでも抜くとフラフラになるんだよ。君はとんでもない量を要求してきそうだったから」

「まんざら間違ってないな。前に話した青の洞窟の絵はお前の身体中の血が必要かもしれない」

 ジェレミーがニヤリとすると、途端にガリューは逃げ出した。慌てて追いかけるも、

「助けてくれ! 殺される!」

 などと人聞きの悪いセリフを叫びながら走るガリューには結局館に着くまで追いつくことはできなかった。


 館に帰るとマレクが泣いていた。カタリンはそれをなだめるでもなくそばにいて、帰ってきたガリューに助けを求めるように困り顔を向けた。

「元々なにか問題があったらすぐに中止して帰ってくるようにという話だったのです。お二人に非がないのは重々承知していますが、やはりマレク様が危険な目にあって怪我をなされたとあってはこれ以上ここに置いておく訳には参りません」

 マレクの弟子生活は実際あと三日猶予があった。それを繰り上げてただちに帰ることを告げると泣き出してしまったらしい。マレクがこうも感情をあらわにするのは珍しいのだろう、カタリンは嬉しさと困惑の入り混じった顔で二人を見た。どこを怪我したのかとマレクの体を観察する。さっきは泥に隠れて気付かなかったが確かに膝を擦りむき、血が滲んでいた。だがこの程度で怪我と呼ぶのか、とジェレミーは己の身体と見比べる。

「せめて帰るのを明日にしたらどうだろうか」というガリューの提案にもカタリンは首を振る。

「なにかあったら一刻も早くというのがエグバード家のしきたりなのです。それを破ればどうなることか……」

「じゃあせめて昼飯だけでも食べていったらどうだ? そのくらいなら構わないだろ?」

 ジェレミーは頭の固いカタリンに苛立ち始めていた。マレクが来ることに反対していた自分が少しでも長居させてやろうと慣れない交渉をしている。それに気付きぽりぽりと頭を掻いた。

「まあ、それくらいなら……」

 言い終えるのを待たずにマレクが急に泣き止み、

「ありがとう!」

 とカタリンの腰に抱きつく。

「あの演技も師匠の教えか?」

「まさか、僕はあんなにうまくできない。あれが演技だったら僕が弟子入りしたいくらいだよ」

 軽口を叩きながら二人は食事の用意をしにキッチンへ向かう。その前に二階へ上がろうとしていたカタリンを呼び止めた。

「皆様が食事している間に荷物をまとめとこうと思いまして」

「なに言ってるんだ。カタリンも一緒に食べるだろ? 準備を手伝え」

 ゆっくりと振り返ったカタリンは涙ぐんでいるように見えた。


 マレクを見送ったガリューとジェレミーは二人同時に伸びをした。雨を降らしそうだった雲は何事もなく去り、風も止んで穏やかな初夏の日差しが心地よかった。

「早速あの青の作り方を教えてあげたいのだけど、あいにく昨日血を抜いたばかりだから少し時間をくれないか?」

「構わない」

 ジェレミーはガリューと目を合わさず館へ戻ろうとした。その素っ気ない態度にガリューの表情が不安そうに曇った。

「時間はたっぷりあるからな。これからもお前は俺の変わり者の画家仲間だ」

「変わり者は君の方だろ」

 ガリューが追いかけて行って肩に腕を絡めた。そのまま体重をジェレミーに預けると二人でその場に倒れこんだ。

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