【創作大賞2024】遅れてきた青春の日々3
数日後、ジェレミーが這うようにベッドから出た。まだ眠い目を擦りながらリビングへ行くとガリューはすでに朝食を終えて食器を片付けているところだった。いつもは日が高くなるまで寝ていることもある彼が自分よりも早く起きているのは初めてのことだった。
「珍しいな」
「今日は町に出ようかと思ってね」
ガリューからコップを受け取ると、注がれた水を一気に飲み干した。
「買い出しか?」
「そうだよ。なにか必要なものがあればついでに買ってくるけど」
ジェレミーは空のコップを手にしたまま館の備蓄品に頭を巡らせた。日用品はまだ切れそうなものはない。問題は食料と画材だろう。
「買い出しにはどのくらいのペースで行くんだ?」
「売れる作品ができる度にだから大体ひと月に一度くらいかな。でも次はだいぶ開くだろうからなにかあるなら言ってくれ」
ジェレミーは再び思案する。今度は言われるままに留守番をしているか、それとも買い出しについていくかについて。ガリューが館を空けるのはこれもまた初めてのことだった。ジェレミーが館で生活する上で「この部屋に入ってはいけない」だとか「これに触れてはいけない」などという決まりごとは特にない。だが、いつもガリューに見張られているかもしれないと思うと館の中を本格的に調査することはできかねていた。ガリューが丸一日館を空けるという今日が色の秘密を探る良い機会なのではないかとジェレミーは考えた。
と同時に彼の町での様子を見てみたいとも思っていた。実は先日からガリューに隠れて彼の絵を描いていた。単なる暇つぶしというわけではない。このところガリューに付き合って風景画ばかり描いていたジェレミーにとって人物を描くことはいい気分転換になっていた。そのためにガリューの様子を観察することが多くなったのだが、それで改めて彼についてなにも知らないということに気がついた。色のことばかりに気を取られ、ガリューに対してなんら興味を持っていなかったが、彼を知ることが特別な青色作りのヒントになるかもしれない。そう考え直すようになっていた。
「一緒に行ってもいいか?」
ジェレミーの提案に虚を突かれたように目を丸くしたガリューだったが、すぐにいつもの微笑みを浮かべた。
「意外だな。君がそう言うとは思ってもみなかったよ。もちろん構わない。ただ、そろそろ出ないと帰りが遅くなってしまうから早めに支度をしてくれ」
ガリューが言い終えるやいなやテーブルに用意されていたパンを丸呑みし、水で流し込む。ソファにかけてあった上着を粗っぽく掴み取った。
「さあ、行こうか」
ガリューの苦笑いにジェレミーは不思議そうに首を傾げた。
その日ガリューが町に売りに行く作品は小さめの静物画が五枚と少し大きな風景画一枚だった。最近描いたものではなく以前に描き溜めていたものらしい。それを布で包み、身の丈と同じくらいの皮袋に入れて背負う。森の小道は木や枝が引っかかり歩きにくそうにしていたが、街道に出ると手ぶらのジェレミーが息を切らすほどの早足になった。
日が高くなると気温も上がり、汗ばみ始めたジェレミーは上着を脱いだ。
「お前、見かけによらず体力があるんだな」
横を歩くガリューは荷物を背負っているにもかかわらず涼しい顔を崩さない。歩くペースも落ちない様子にジェレミーは驚いた。
「慣れてるからね。でも悪いけど帰りは荷物の半分を持ってもらうよ」
「それはもちろん構わない。俺だけ手ぶらなのもなんだしな」
町に近付くにつれて道も舗装されてくる。ジェレミーにとっては見慣れた風景になってきた。
「そういえば君はこの町に住んでたんだろう? 家に帰らなくていいのか?」
ジェレミーは黙って首を振った。寝るか絵を描くためだけの家とも呼べないような掘建て小屋に取りに帰るものもない。
「もし嫌じゃなければ君の家にお邪魔させてもらいたいんだけど、駄目かな?」
顔色を伺うようなガリューの上目遣いにジェレミーは足を止めた。眉をひそめながら「なんのために?」と不機嫌に問う。
「べつに深い意味はないよ。ただ友人の家に遊びに行きたいって思うのがそんなにおかしなことか?」
「友人……友人か……」ジェレミーはまるで初めて聞く言葉であるかのようにように何度か呟いた。もちろん彼にも過去に友人と呼べる者はいた。いたにはいたが、いなくなって久しい。
「君もしかして友達いないのか?」
心配そうな口調のガリューを睨みつけたジェレミーは、
「お前だって同類に見えるけどな」
と言い捨てて早足になった。
「で、結局家には行っていいのかい?」
追いかけながら食い下がるガリューにジェレミーは「駄目に決まってるだろう!」と振り返ることなく怒鳴った。
まるで競争するかのような速さで歩いてきたせいもあって、二人は予定よりもずいぶん早く町へ辿り着いた。
ガリューが絵を売りに訪れたのは、ジェレミーが初めて彼の絵を見たあの画廊だった。自分とガリューが一緒にいるところを見たらあのオーナーはどんな顔をするだろう? そんな悪戯心を抱きながら画廊の前まで来るとガリューが振り返った。
「悪いが君はどこかで待っていてくれ」
面食らったジェレミーが「なんだよ、俺が家に招かないことへの仕返しか?」と冗談半分に言ったが、そうでないことは彼の表情から読み取れた。
「すまないね、すぐに済むから先に画材を見ておいてくれ」
渋々ガリューを見送り、待ち合わせ場所に決めた画材屋に入った。だいぶ傷んできていた絵筆を買い換えようと物色する。いくつかの筆の握り具合や毛の固さを確かめて結局今使っているものと似たものを選んだ。安物だが長年使い慣れているのが一番いい。
次に絵の具の材料となる鉱石と油を見て回る。最近は保存用のチューブに入っていてすぐに使える物が出回り始めたらしいが、とても手が出る金額ではなかった。鉱石を削ったものと油と染料を調合して色を作るのがジェレミーのような貧しい画家にはまだまだ一般的だった。
一通り買うものを決め、時間を持て余し始めてようやくガリューが店にやってきた。持ってきた絵は全て売れたのか空っぽの皮袋を畳んで脇に抱えている。その代わりにポケットがパンパンに膨れているのが一目でわかった。絵を売った代金を入れているのだろうが無用心にもほどがある。この町は治安がそこまで悪いわけではないがあんな風貌で無防備に歩いていてはスリや強盗あっても文句は言えない。ジェレミーが注意したが、
「まあ、その時はまた描けばいいかな。命さえ取られなければなんとかなるでしょ」
そう言ってヘラヘラ笑い、ジェレミーはまた渋い顔になった。
「そう怒るなよ。僕の稼いだ金をどうしようが僕の自由だろ?」
「そうか、だったら……」
ジェレミーはポケットから三枚の銀貨を出した。二ヶ月前にガリュー捜索で尽きかけた財産の残りだった。それをガリューのポケットに無理矢理ねじ込んだ。
「これでお前だけの金じゃなくなったわけだ。それは俺の全財産だからな。くれぐれも盗まれないように用心してくれよ」
今度はガリューが苦笑を浮かべる番だった。
「本当に頑固な変わり者だね、君は」
「お前に言われたくない」
「まあそう言わずに、一緒に買っちゃうから入れて」
ジェレミーは不貞腐れながらも選んだ絵筆をカゴに入れる。彼がこの町に住み、一人で絵を描いて生計を立てていた頃には数ヶ月貯蓄してようやく手に入る質と量の画材にガリューは顔色一つ変えなかった。それどころか高価な鉱石や油をまるで河原の石を拾うかのごとく買い足していく。あっけにとられるジェレミーが会計を盗み見ると膨らんだポケットの中身はほとんど高額の金貨だった。
「さて、次は食料を買いに行こうか。その前に腹ごしらえでもするかい?」
店を出て意気揚々と歩くガリューの後ろをジェレミーは不満げな表情でついて行く。はたしてその金は本当にたった六枚の絵を売っただけの金なのだろうか? 確かにガリューの才能は素晴らしいものがあるが、無名の彼の絵をそんなに高額で買い取るほどこの町の画廊は甘くないはずだ。
ジェレミーがむすっとしたまま食事を終え、食料と日用品の買い出しをし、ほとんど会話もないまま町から少し歩いたところでガリューがしびれを切らして立ち止まった。ジェレミーが無愛想なのはいつものことだが今日はそれに加えて空気が重い。
「なんか怒ってるの? 僕がなにか気に食わないことをしたならはっきり言ってよ。君らしくもない」
「どうして画廊の商談に俺を同席させなかった?」
ガリューはそれを聞いて持っていた荷物を降ろした。小麦や鉱石、飲み物など特に重たいものはジェレミーが持っていたが、それでもかなりの重量がある。ガリューはぐるぐると肩を回すといつもの笑顔を作った。
「なんだ、そんなことで拗ねてたのか。商談なんて人に見せるものじゃないだろ? それに君がいても退屈すると思ったんだ」
「本当か? 本当はなにかやましいことがあるんじゃないか?」
ジェレミーは画廊に入る前の彼の様子を思い出していた。あの時はいつものあっけらかんとした彼ではなかった。有無を言わさずジェレミーを遠ざけるような態度は初めてのことだった。そんな単純な理由ではないことを直感していた。
「それにあの金だ。いくら優れた作品だとしても無名のお前にあそこまでの大金を出すのは不自然だ」
ガリューは小さくため息をついた。
「そっか、こんなことなら君の言う通り金貨はしっかりと隠しておくべきだったな」
「やっぱりなにかあるのか」
ジェレミーも両肩に担いだ荷物を下ろし、身構えるように腕を組んだ。
「本当に大したことじゃないんだ。ただ君は貴族が嫌いだろうと思って」
「貴族?」
この町を含め、この周辺一帯を治めているのは国から任命された領主だ。だが、この町に限って言えば実権を握っているのは街の中心に住むエグバード男爵という貴族だった。彼はその莫大な資産を町に寄付することで強大な権力を得ているらしい。街道が整備されたり、町の治安が安定しているのは彼らの財力の賜物だが、一方でその権力を振りかざしやりたい放題しているという悪い噂をジェレミーも耳にしたことがあった。
「僕はエグバード男爵から専属絵師の誘いを受けている。それを知ってるあそこのオーナーが先行投資のつもりで高値で買ってくれてるんだ。僕の名が売れたら絵の価値も跳ね上がるだろうからね。でも君はそういうの好きじゃないだろう?」
「そんなことはない」
それはジェレミーの本心だった。
「絵を買ってくれる奴は貴族だろうと乞食だろうと立派な客だ。そこに好きも嫌いもない。もし俺にそんな誘いがきたら迷わず受けるだろうよ」
「驚いたな、君はもっとこう……なんていうか……反社会的というか反権力的な考えの持ち主だと思っていたよ。正直意外だ」
「お前に初めて会ったときに言った通り、俺はただ絵さえ描ければいい。それが立派なお屋敷でも、ボロ小屋でも、そんなことはどうでもいいんだ。矜持や美学なんてものもいらない。……軽蔑したか?」
ガリューはぶんぶんと首を振った。
「いや、わかり易くていい」
「そういう言われ方をすると馬鹿にされている気がするんだが」
「そんなことないよ。むしろ褒められたと思ってくれ」
そう言ってガリューは笑いながら荷物を拾い上げた。
「ほら、とっとと館に帰ろう。今日の食事当番は君だからな」
重たい荷物を背負っているのを感じさせないほど二人は軽快に歩き出した。
