ノーマリゼーション|差別意識とどう向き合うの?
人の思考プロセスを、本質的な「思考回路」として視覚的に構造化する。
Systems Visualismでは、個人の内省を助け、他者との対話・共有・創造を促進するための図解を体系化しています。
本棚のように、多様な図を揃え、あなたの考える力を広げるツールを紹介します。
[1] PROLOGUE|導入
テーマ概要
注:本記事はイデオロギーに関する内容を扱いますが、特定の立場を支持・推奨する政治的意図はありません。福祉社会を形づくるには、社会が一定のコストを負担する必要があり、そのバランスが大切であることを前提としています。
障害者という言葉を聞いたとき、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。その言葉から想起するイメージは人それぞれ異なります。障害にも多くの種類があります。知的障害、車いす利用者、聴覚障害、視覚障害、近年ではADHDという言葉もインターネット上でよく目にするようになりました。マイノリティという観点では、LGBTQや人種など、さまざまな定義があります。
特に知的障害者については、接した経験が少ない人も多く、イメージや理解が乏しい場合があります。自分とは異なる言動が多いため、「理解できない対象」となりがちです。そして人類は、そうした理解できない存在を、何千年にもわたり差別の対象とし、非人道的に扱ってきました。
その流れを変える一歩となったのが、デンマークのバンク=ミケルセンによる尽力です。彼の働きかけにより1959年法が制定され、「知的障害があっても、その人は一人の人格を持つ存在であり、ノーマルな人々と同じように生活する権利を持つ」という考え方が社会に根づき始めました。
今回は、「ノーマリゼーションの父」と呼ばれるバンク=ミケルセンの思想に迫ります。
※この記事は、彼の思想の核心部分に焦点を当てるものであり、ノーマリゼーションの具体的な実践方法(How to)を説明するものではありません。
参考資料
「ノーマリゼーションの父」N・E・バンク-ミケルセン その生涯と思想、花村春樹、ミネルヴァ書房
障害の歴史、歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)、Poscast
やまゆり園事件、神奈川新聞取材班、幻冬舎
[2] CORE|本編
思考回路 - 図解ツール
こちらが図解ツール全体像です。
情報量が多いため、次章の解説を参考にしながら、じっくりと読み進めていただくことをおすすめします。

図の解説 - 紙芝居形式
図解ツールをパーツごとに分解し、詳しく解釈しながら説明していきます。
テーマ説明:全16枚
私たち人間は、一人ひとり生まれも違えば、育つ環境も違い、さらに生きていく中で出会う経験も偶然に左右されます。そうした奇跡の連続によって、一人ひとりに差異が生まれます。

しかし「社会」という枠組みがある限り、その中で生きることで、人間の差異が生きづらさを生み、それが「ハンディキャップ」として定義されることになります。

社会では、人がお互い支え合って生きていくために、どうしても合理主義に陥りがちです。資本主義のように生産性が価値の指標となる社会では、その時代に合った能力を持つ人が高く評価されます。そのため、その定義に当てはまらない障害者の持つハンディキャップは、「アブノーマル=異常」と見なされやすくなります。
戦争の時代には強くたくましい人、工場労働の時代には長時間単純作業ができる人、現代社会では論理的思考ができる人が価値ある存在とされてきました。つまり、価値の定義は時代によって大きく変化するのです。

そして私たちは、人間の差異について無知になりがちです。その無知さゆえに、社会の価値基準が人の絶対的価値基準ではないことを理解できず、「生まれや遺伝こそが重要だ」といった優生思想につながってしまいます。

人の価値を「異常」と決めつける歴史は、古代ギリシャのスパルタでの幼児遺棄など、枚挙にいとまがありません。

近代においても、優生思想に基づき、ナチスや日本を含む世界各国で優生手術が行われ、優生保護法が定められていました。

さらに、障害者の理解しがたい言動を説明するために、「悪魔の仕業」「病気」「聖なる使者」など、さまざまな理由付けがなされてきました。いずれにせよ、それらは差別を正当化し、障害者を道化のように扱ってきたのです。

私たち人間は弱い存在です。そのため、理解できないものを隔離し、遠ざけてしまう傾向があります。「保護主義」という名のもとで、障害者を保護するというよりも、実際には社会を障害者から守るという発想から、大規模で劣悪な環境に押し込めてきた歴史があります。

このように、私たち人間はお互いの差異を理解することが非常に難しいのです。すぐ隣にいる家族や友人でさえ、そのすべてを理解・共感することはできません。まして障害者への理解は、人類が何千年もかけてなお困難であることを歴史が証明しています。
ところが私たちは、ある事実に気づかずにいます。それは、もし自分自身が偶然の事故や病気に遭えば、誰もが同じハンディキャップを持つ立場になり得るということです。

しかし現代になり、北欧やアメリカを中心に福祉の考え方が発展してきました。障害者を「ノーマル」にするのではなく、障害者がノーマルな生活を送れる環境を社会が構築するという意識が広がっています。特に、住む場所、働く場所、余暇や休息を過ごす場所を、それぞれのニーズに応じて提供することが、人間の尊厳を守るうえで重要とされています。

本来、人権宣言がある社会では、人の名誉、命の尊さ、財産権を守ることは全人類に与えられた権利です。しかし人権の概念を正しく理解することは容易ではありません。特に日本のように、この概念を民衆が自ら勝ち取ったわけではない社会では、無意識に理解することは難しいのです。

私たちは、人間の差異は必然ではなく、偶然に手にしているものであることを理解しなければなりません。そして、その相互理解から人類への連帯意識を持つことが理想です。それがたとえ絵空事と揶揄されても。

本当は、法律がそう定めているからではなく、その連帯意識から福祉社会が形づくられることを願いたいのです。

そして何より、障害者への理解を深めるためには共生が必要です。都市化が進み、隣人すら知らない社会ではそれがより難しくなっています。しかし人間は共生することでお互いを理解する。それは基本的な原理なのです。

以上のように、人が持つ愛を広げていくためには、お互いを知り、理解する。本当はそれだけの単純なことなのでしょう。

障害者が経験してきた痛みは、人類の歴史の中で語るには苦しい内容です。しかし一歩一歩進んできた人類は、今、お互いを理解するための「認識を形づくる言葉」を手にしています。その言葉や互いの存在に触れることが、個人主義が広がる現代において、やはり欠かせない基本原理なのです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
図解ツールを手元に置いて解釈を深めたり、
「福祉社会」「障害者との共生」について周りの仲間と議論する際の、「論点の地図」として活用してください。
[3] INSIGHT|考察
図解をまとめての感想
自分とは異なる存在を理解すること。その難しさは、現代社会で日々増していると感じます。障害者に限らず、社会全体の価値観があまりにも多様化し、人々は自分と同じ価値観を持つ人とばかりつながろうとする傾向が強まっています。
私は妹が知的障害を持っていることから、幼い頃からそのような社会に触れてきました。そのため、一定の理解はあるつもりです。しかし振り返ると、思春期、特に受験期には、妹を疎ましく思ってしまったこともありました。自分のことで精一杯なとき、人は他者への慈悲を持ちにくくなるのだと痛感します。
勉強中に、妹がしつこく話しかけてきて、つい苛立ったことも何度もありました。でも今思えば、「だったら図書館にでも行って勉強すればよかった」と当時の自分に言いたい。常に自分ができる工夫を考えるべきだったと。
同じような境遇の友人と酒の席で腹を割って話したとき、お互い一度は「きょうだいにいなくなってほしい」と思ってしまったことがあると打ち明け合いました。そのとき、自分だけではなかったのだと、ほっとしたのを覚えています。口に出すのもためらうほどの本音でも、共有できる相手がいることに救われました。
今は実家を離れ、帰省も盆や年末年始だけになりました。妹と会う機会は減りましたが、会うたびに元気でいることを確認し、その背景にはグループホームで支えてくださる福祉の方々の存在があると実感します。もう10年以上前の私の結婚式で、お見送りのプチギフトに妹が通うホームで作られたお菓子を配り、参列の方にそのことを紹介できたことは今でも良い思い出です。
かつては日常の延長にあった障害者の世界が、今では離れ小島のように遠く感じられる。そんな自己矛盾と時折向き合いながら、それでも今の生活を生きています。
親がまだ元気だからこそ心の余裕を保てていますが、いずれ自分も年を重ね、親もいなくなる未来を思うと、その時どう向き合えばいいのか分かりません。障害者の社会に近かったはずなのに、今は距離ができ、何も返せていないという後ろめたさが胸に残ります。
センシティブな話題であり、語りづらい背景もあって、とりとめのない感想になってしまいましたが、図解を通じてあらためてこのテーマと向き合うきっかけになりました。
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