見出し画像

ハードロックで心を抱きしめる。心音を聴く。


[1] CORE|本編

ある歩道の上で

街の歩道で、ふと鼓動が早くなるのを感じた。
その瞬間、怒りが静かに胸に浮かんできた。ああ、まだいたんだね。
僕はその怒りを、そっと抱きしめた。

思春期のころ

中学生の頃から、ハードロックが好きだった。洋楽に出会い、激しいギターとリズムに心を掴まれた。Rage against the machine, TOOL, CREED。数えきれないほどのバンドたちの音楽を貪るように聴いた。

社会への怒りをぶつける音と歌詞が、自分の中にあった「怒り」を肯定してくれるように感じていた。思えばその怒りは、世の中への苛立ちのようなものだった。妹が障害を持っていることから見える社会の不条理も、そうした感情の根っこにあったのかもしれない。

理不尽なものを理不尽だと感じる感性。

思春期特有の「いつか世の中を変えてやる」という正義感。青臭かった。でも怒りのエネルギーは、僕を突き動かし続けた。勉強、ギター、バンド。怒りは、僕を成長するために突き動かしてくれる燃料だった。

自然と、自分と向き合う時間が多くなっていた。群れることは少なかったし、大勢の中にいると自分を見失う気がしていた。少数の友人と深く付き合い、先生には「淡々としているな」と言われ友達や同級生の女の子には「クールだね」と言われた。

思春期のまま大人になって

でも、社会に出てからはそうはいかない。職場では多くの人と関わり、明るく振る舞うことが求められる。気の合う友、信頼のおける同僚、心を割って打ち解けたインドの友だち。彼らの前では、自然と明るい自分が表に出る。

でも会社では「明るい自分」を意識的に演じる場面が増えてきた。中堅になれば、チームをまとめる役割も出てくる。今思えば、無理をしていたのかもしれない。自然体ではなかった。

そうしているうちに、僕の中の怒りはまた顔を出してくる。不真面目な同僚、自分のことしか考えない上司や後輩。理不尽を笑顔で飲み込まなければならないたびに、自分の中に熱が溜まっていく。爆弾の導火線に火がついていくような感覚だった。

鼓動が早くなる。

少なからずその怒りは態度にも表れる。先輩や上司には「少し大人になりなさい」と言われ、後輩からは「先輩、ちょっと怖いっす」と冗談めかして言われた。

そして出世を意識し始めた頃には、嫌な上司に迎合するような自分がいた。無理に笑顔を作る。でも、心の奥には怒りが渦巻いていた。バカみたいだった。

小さく身勝手な正義感。
自尊心。
自分が正しいと証明したいだけの、自己愛。

空虚感が心を満たしたとき

そんなとき、キャリアでの挫折を経験した。昇格試験に落ち、気持ちが沈み込み、心に空虚感が満ちた。「なんのために頑張ってきたんだろう。昇進して周りを認めさせたかった、認められたかっただけなのか。」

そのとき初めて、自分の怒りの正体に真正面から向き合った。承認欲求などないと思っていた。自分の成長や仕事に一生懸命だったはずだから。そして気づいた。怒りの裏には、「誰かに認められたい」という思いがあったのだと。身勝手な正義感は「みんなこうあるべき」という気持ちを作り出していた。自分はこうあるべきだ、みんなはこうあるべきだ、そんな感情が度々顔を出していたんだ、と。

そんな気持ちが焦りや緊張を生み、自分の力を発揮することを逆に奪っていた。

早くなる鼓動は、怒りと焦りと緊張の合図だった。

成熟とはなにか

その頃から、思考回路を図にすることを始めた。本との出会いがきっかけだった。オリジナルの図解を描き続けたこの8か月。自分の心の動きを、少しずつ「可視化」できるようになってきた。そして、ようやくこう思えるようになった。

自分の中の「怒り」に、優しくなろう、と。


心の中の怒りをそっと抱きしめて、伝える。

「これまでずっと、僕を成長させてくれてありがとう。」
「これまでずっと、僕を支えてくれてありがとう。」

その瞬間、ふっと心が軽くなった。
不思議な時間だった。道端で涙が出そうになった。


怒りは脳から発生するが、その脳は体と鼓動でつながっている。その鼓動を聴くことで、怒りがそこにいることを知らせてくれる。怒りは、ただ抑え込むものではない。ただ爆発させるものでもない。それを観察し、理解し、丁寧に扱う力。

それこそが、「成熟」と呼べるのだろう。

いま、僕は少しずつ冷静さを取り戻しつつある。その姿は、中高生の頃に友人から言われた「クールだね」と似ているのかもしれない。でもあの頃と違うのは、そこに責任と愛情と経験があるということ。そして僕には守りたい家族がいる。

だからこそ、怒りに支配されるのではなく、怒りに感謝し、距離を取り、必要なときに力として使えるようになりたい。もう十分、怒りを燃料にして走ってきた。

これからは、怒りを「共に生きる感情」として、静かに携えて歩いていこうと思う。早くなる鼓動は怒りが頑張ろうとしているときだ、そう思うようになった。鼓動を意識できるようになった。


今だったらハードロックで心を抱きしめられる。怒りを爆発させるためではなく、心の鼓動を聴くために。

[2] NAVIGATION|関連情報

過去の図解

図解を始めた物語



いいなと思ったら応援しよう!

図解の本棚 | Systems Visualism もしお気持ちをいただけるなら、図解ツールを広める活動に使わせていただきます。

この記事が参加している募集