見出し画像

紫季 やわらかな三日月 第十話


十、中と外

春休みに入った白庭学園は、全国から来ている寮生たちが地元へ帰り(駅へ向かうシャトルバスはスーツケースの子たちで満席だった)、帰省する人たちも多く、ひっそりと静まりかえっていた。

園田もバタバタと気忙しかった年度末の仕事から離れ、久しぶりに家でゆったりと本を読んだり、書き物をしながら、安寧との穏やかな休日を楽しんでいた。

以前から穏やかな安寧だけれど、近ごろはその姿勢に柔らかさや、ゆとりを感じる。何より笑顔がとても明るくなったようだ。春の好きな安寧だから(彼女の一番好きな花は桜だ)寒さが和らぎ、春が近づいていることが嬉しいのかもしれない。桜が咲いたら、二人で散歩にでも行こう。

夜。
園田は灯りを落とし、安寧の布団へゆっくりと潜りこんだ。彼女のすべらかな肌に触れる。小さな唇は柔らかく、声を抑えながらも、しだいに熱を帯びていく彼女を、確かに腕の中に感じていた。
しなやかに身を委ねる安寧は、カーテンの隙間から漏れる淡い光に照らされ、乱れた髪さえも美しいのだ。『紫季』、彼女の雅号にとてもよく似合っている。

学園内の教員たちからも、安寧の評判は上々で、先日の出張中、生徒指導で体育科の工藤先生からこんなふうな声をかけられた。
「園田先生の奥様には、先日、家内もお世話になりまして。なにせ家内は、学園出身者ではないものでしてね。それでも『白庭会』の集まりには極力顔を出すようにしているのですが、いつも緊張してしまっていて。先日の茶話会で、奥様に声をかけてもらえたと、喜んでおりましたよ。『緊張しますよね、私は学園出身者ですけど、この緊張感にはいまだに慣れなくて』とおっしゃってくださいまして。それでふとに楽になったと。ありがとうございました。奥様にも、どうぞよろしくお伝えください。」

安寧の穏やかな声や、さりげない気遣いが自然と思い浮かび、園田は胸の奥が急速に熱くなるのを感じた。安寧らしいその優しさをいっそう愛おしく思うようになったからだろうか。安寧のその柔らかな姿勢に、園田は唐突に得体の知れない焦燥感を抱き、気がつけば彼女の白い肌に、強い痕をつけていた。


冷たい冬を越した学園の桜は、安寧がこの学園に入学した春と変わらずに咲きはじめた。
新しい制服に身を包み、まだあどけなさの残る生徒たちの賑やかな笑い声が、門の中に響く日。
「入学式」と太い毛筆で書かれた立て看板の前で、新入生たち親子が写真を撮っている。筆で書かれたその力強い文字は、新しい夢を追う三条さんの書だ。

スーツに身を包んだ園田を、安寧は居苑の門まで送り出した。小道の桜も、満開だった。
「きれいですね。」
「うん。きれいだ。」
穏やかに微笑む園田を、安寧は笑顔で見送る。

家へと戻る道で、茶色毛の春田さんがトコトコとまっすぐ居苑の奥へと歩いていくのを見かけた。安寧はふいに、後を追ってみたくなり、ちょこちょことさりげなく(少しのいたずら心で思わずつま先歩きになって)ついていくと、春田さんはそのままぴょんと慣れたように柵を越え、見覚えのある家の庭に入っていってしまった。

「おかえり〜、漱石。どこいってたのぉ?」

上原先生の家の庭で、奥様の親しげな声がする。
「ナァー」と、返事をするように鳴く春田さんには本当の名前があったのだ。『漱石』。
上原先生の奥様の、あの凛とした後ろ姿からは想像つかない、言葉にされないやわらかな余白を重ねながら、安寧はにこやかに自分の家へと戻った。

「漱石。」
今度からはそう呼ぼう、と楽しくなる。

『月あかり』にも、あれから、月に一度ほど木曜の昼間に訪れている。
三月の施術はいつも的確で、安寧に何かあれば、言葉にしなくても、まさに手に取るように伝わってしまう。寄り添うように、包むように。

安寧にとっても、三月は特別な存在なままだ。
男性でも女性でもどちらでもあり、どちらでもない三月。安寧のありのままをそっと肯定してくれる三月に、惹かれている。こんな気持ちは初めてだった。

「会いたかった。」
「私もです。」

好きでいていい。
それでも、「これ以上は…」と、安寧の引いた線を(園田のつけた痕を三月には見せられない)、二人で守ることで、赦される時間だった。

再びジョウビタキの声が聴こえてくるころ、イギリスのオックスフォードからメールも届いた。

『 園田安寧 様
ご無沙汰しております。
お元気でいらっしゃいますか。
日本では、暑い暑い夏が終わり、ようやく過ごしやすい季節になってきている頃でしょうか。

こちらでは、相変わらず一日の中に四季があり、晴れたと思えばたちまち曇り、あわてて傘を開いたと思えばすぐに止んでしまう、というような天気です。そのくらい、この国では晴れの日が珍しく貴重なようです。

この間の授業では、珍しく朝から気持ちよく晴れていたので、担任の先生が突然、
「ボートに乗りにいきましょう!」
とおっしゃって、テムズ川をボートで下りました。初めてのボートで、水面はキラキラしていました。

近くの教会の芝生では、日光浴をする人たちが寝そべって本を読んでいて、どこを切り取っても絵になる景色です。歴史ある建物も多く残っていて、石畳を歩くたび、感動してしまいます。

ホームステイ先には、私のほかに、スイスから来ている留学生のアンドレアというルームメイトがいます。とてもフレンドリーで、英語も堪能な彼女(寝言はドイツ語だったりします!)に助けてもらいながら、ホストファミリーとも穏やかに過ごせています。

先週末には、「Syodo=書道を見せてほしい」と言われ、墨を磨るところから披露しました。
「いつまでそれを磨るの?」と聞かれ、「三十分くらい」と答えると、
「Half an hour!?」
と、とても驚かれてしまいました。手を合わせて「I admire you.」とまで言われ、文化の違いを感じました。侍や忍者といった日本文化も、アニメで知っているとクラスメイトからよく言われています。

アンドレアもホストマザーも、筆を立てて持つことや力の入れ具合が難しいようで、私もそれを英語でうまく説明できず、結局は身振り手振りで伝えることになりました。自分のボキャブラリーの乏しさを、あらためて痛感しています。

それでも、言葉が足りなくても伝わるものがあるのだと感じる瞬間でもありました。こちらでの生活は、毎日が小さな発見の連続です。会ったその日に一緒にカフェへ行くような、このフレンドリーさも、とても楽しく感じています。

白庭でどれほど私たちが、規律と秩序の中で生きてきたのかを、こちらに来て、ひしひしと感じています。こちらでの時間は、とてもおおらか・・・・です!
バスさえ、時間通りに来るとはかぎらないのですね。You know!?

また近いうちに、こちらでの出来事をお便りします。
安寧さんも、どうかお変わりなく、お過ごしください。

              三条 結衣  』

メールからは、三条さんが入寮したころのあのあどけなさはすでにかすみ、生き生きとした若さと、そして自由という眩しさを確かに感じた。
それでも。

規律と秩序。
安寧は選んでここにいる。

あの夜。門限を越えた夜から。
大切なものが大切なままでいられるよう、線を描きながら。

わがままなのかもしれない。
滲みや掠れがないとも言いきれない。
それでも。

守りながら、
護られている。


白い肌に残る三日月をなぞりながら、
背中のあたたかさを想っている。


エピローグ

鳥かごの扉を開けると
白文鳥は
ちょんちょんと跳ね
飛んでいく

外を知らないわけじゃない
それでもキミは戻ってくる

桜色のくちばしが唄う
その声に

ボクは
キミだけの唄を聴く

あわいの唄を

──ボクの鳥










いいなと思ったら応援しよう!