推しに抱く感情
私は、推しに対して“好き”という感情を持たない。
いや、持てないといった方が正しいだろうか。
(この場合の“好き”の定義は恋愛的な意味とする)
私には二人の推しがいる。
プロ雀士の内川幸太郎と俳優の藤本洸大だ。
(なぜ職業も年齢も異なる二人を推すことになったのかは、話せば長くなるので、今回は割愛する。なお、入り口は顔である)
ではなぜ、そんな二人の推しに対して“好き”という感情を持てないのか。
理由は4つある。
1.物理的な距離がある
私は三重県という東海地方(※関西地方に入れられることもある)の地味な県に住んでいる。
一方で、二人というと花の都、TOKYOを拠点に活動している。
もちろん、距離が離れているからといって誰かを好きになれないわけではない。
ただ、私の場合は違う。
推しは私の日常とは異なる場所で活動している存在であり、そもそも“住んでいる世界が違う“という感覚がある。だからこそ、恋愛感情としての“好き”は芽生えないのだ。
では、イベントなどで実際に会えば、気持ちは変わるのだろうか。
その答えが二つ目の理由である。
2.対価が必要
仮に推しに会えたとしよう。
(※実際に両者ともに会ったことはある)
もちろんそれは大いに喜ばしいことである。
だが推しに会うにはタダでは会えない。必ずと言っていいほど“イベントの参加費“(ならびに交通費)という名の対価が必要になる。
彼らは仕事としてファンと向き合い、私はその対価を支払って会いに行く。
その関係性は極めて健全であり、今後も変わることはない。
だからこそ、“好き”というより“ありがとう”という気持ちしか沸かないのである。
3.“好き”というより“〇〇”
私が推しに対して最も抱いている感情は、ずばり“尊敬”である。
冒頭で記述した二人は、両者ともが自分には持ち合わせていない才能や考え方を持っている。
物理的距離があって、会うには対価が必要で、それでも推す理由はそこにある。
“尊敬ができる。“
私にとって推しとは、恋愛感情を向ける相手ではなく、尊敬ができる相手なのだ。
4.“好き”は一人で充分
そして最後に、私は既婚者である。
つまり、“好き”の感情を抱く対象者がすでにいる状態だ。
惚気話に聞こえるかもしれないが、夫以外の人間に対して“好き”という感情を抱くのは夫に対して失礼なことだと思っているし、そして心の底から“好き”な人は夫だけで、ただそれだけで充分幸せなのである。
もちろん、二人の推しに対して、人としてという意味では“好き”だ。
だが、恋愛的な意味では“好き”という感情を抱けないので、彼らに対して、年上の優しくて麻雀が上手い先生、や、年下の年の離れた弟のような接し方をついついしてしまう。
そして、物理的な距離が縮まらないからこそ、心の距離を縮めようとして、時に推しに対してありのまま思ったことを述べてしまうことがある。
その言動が、「自分とは合わない」、「その考えはおかしい」と思う人もいるだろう。
私はそう思うことに対して、なんの反論もない。
十人十色。
考え方は人それぞれである。
私はこれからも推しに対して(口の悪さに気を付けながら)自分らしく推していこうと思う。
