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『白百合』第三号~和歌特集~

『万葉集』にみる「ゆり」

ユリの花を詠んだ和歌は、『万葉集』から既に散見される。

当然、「カサブランカ」は、明治時代に日本から輸出されたユリがオランダで改良された栽培品種のユリであり、万葉びとは知るよしもないものの、今も昔も身近な花だったのは確かである。

以下、確認できるように、和歌の原文は万葉仮名であるため、漢字としての意味合いは強くないが、「由利」や「由理」の他、既に「百合」も存在するようだ。

和歌では、接頭語「さ」をつけて「さゆり」「さゆりばな」「さゆりば」と用いることが多いと辞書等では紹介されている。
また、「姫百合」は若い女性を連想させ(『万葉集』巻八・1500/1504)、「さゆりばな」が『万葉集』では、同音の繰り返しによって、後日を意味する「ゆり(=のち、今後)」を起こす序としても使われるのだ。

“くさふかゆり”を辿る

ここでは、データベース上で検索した場合、和歌文学史において、最初期に「ゆり」が登場した、『万葉集』巻第七・1257の和歌を題材に、その内容を深くみることとする。
それぞれ参考文献を適宜紹介することで、私の勝手独断ではないことを保証しておく。

『万葉集』巻第七・1257の和歌は、当然、万葉仮名を用いている。

道辺之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也

(『国歌大観』参照。太字は筆者による)

読みかた

ここでまず問題となるのは、内容ではなく、文字の読みかたである。
同じく『国歌大観』では、「みちのへの くさふかゆりの はなゑみに ゑみしがからに つまといふべしや」と読む。

様々な史料を集めた『萬葉集草木考第三巻』では、「ゑみせしからに」をベースとして紹介しており、その他、濁点の有無も含め、専門書では幾つかの読み下しが確認できる。
濁点の有無は、和歌文学において、平安・鎌倉時代であっても、歌人たちが悩まされるケースが少なくなかった。

『万葉集』の他で、どのように紹介されているか、史料をもとに、たどってみよう。以下、表記は『国歌大観』を参照とする。

まず、平安期の私撰集『古今和歌六帖ろくじょう』。
ここでは、「ゆり」と題され、合計3首の和歌が紹介されており、当該和歌はその三番目にあった。

みちの辺の くさふかゆりの はなゑみに ゑみせしからに つまといはましや

『古今和歌六帖』3927

次に、鎌倉後期の私撰集『夫木ふぼく和歌抄』では、『万葉集』での「臨時」ではなく、「題不知」としつつ、「読人不知」は共通。加えて、「万七」と明記。

みちの辺の 草ふかゆりの 花ゑみに ゑみせしからに つまといふべしや

『夫木和歌抄』巻第八・夏部二・3130

同じく中世の『六華和歌集』では、後半が大きく異なる。しかし、「万七」と示されているため、単なる類似の和歌ではないようだ。

道のべの 草ふかゆりの 花ゑみに ゑみせしからに まつと思ひつ

『六華和歌集』巻第二・夏歌・440

最後に、南北朝期・延文(北朝年号)年間1356頃のものと推測される、『三百六十首和歌』。

道野辺の 草ふか百合の 花ゑみに ゑみせしからに 妻とおもひつ

『三百六十首和歌』114・信貫
『万葉集』巻七・1257番歌の変遷

現代語訳

今度は、専門書などでみられる現代的な漢字かな交じりにしてみる。これによって、ある程度、現代語訳しやすくなるだろう。

道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻といふべしや

訳については、一般的ものであることを示すために、二つ抜粋する。
そのため、語句の解説も二つの専門書から参考にする。

道のほとりの草が生い茂っている中に咲いている百合の花のように、ちょっとほほえんだだけで、妻などと言うことができましょうか。

『萬葉集全歌講義四』阿蘇瑞枝(著)

草深百合は、「草が丈高く生い茂っている中に生えている百合」のことである。
「からに」という語には二種あると紹介し、その上でここでは①の意味となる。
①ただ……だけのために。……したばっかりに。
②……と共に、……と同時に、……するや否や。
すなわち、原因・結果の因果関係を示す表現がここでは用いられている。
加えて著者の阿蘇氏は、「この時代の女性の強い一面をうかがわせる」と評価している。

道のほとりの草深い中に咲く百合の花のように、私が微笑みかけたからといって、もう妻などと呼んでよいものだろうか。

『万葉集全解3』多田一臣(著)

概ね見解は一致しているが、著者の多田氏は草深百合の説明に「女の像」と書き加えている。
「花笑みに」は、花が咲きこぼれるのを、笑みに重ねていることであり、「ヱム」は、声を立てずに笑うこと、にっこり微笑む意であるといい、「や」が反語であることもしっかりと触れている。

そして、この読み人知れずの歌は、その訳からも「女の歌」であると推測し“「笑み」には、異性を吸引する呪力がある。”と述べている。

ここで注意しておくべきは、『万葉集』で読み人知れずということは、それ以前からあった歌であるということであり、万葉びと、ましてや平安の女性貴族をイメージするのは適切ではない。

だが、ここには深い草の中にある百合にたとえて、その雑多な社会から、主体的に、男を非難する姿が想像されるではないか。
そこには技巧一辺倒の言葉遊びにはない、時代を越えた「ゆり観」の如きものを感じさせるようである。

なお、反語の「や」に関して、『萬葉集總釋 第四』の「語釋」で以下のように述べている。
こういった解釈の余地によって、その読みは勿論、訳までもが変わってくることが容易に想定される。

○妻といふべし
本文「妻常可云也」とある。諸註をヤと訓み、反語としてゐる。全釋は和歌童蒙抄に此の歌を載せ、「也」を訓んでゐない。を漢文風に書き添えたものとして訓まない例が多い。これもそれであらうと云つてゐる。これに従ふ。

『萬葉集總釋 第四』(太字は本文にあった強調記号に則り筆者が加えた)

最後に、興味深い見解を述べている専門書・土屋文明(著)『萬葉集私注 四』の「作意」を紹介しておく。

草刈などの歌か。民謡であり、個人経験には引きあてられない。美しい処女等を讃へる気持であらう。巻四に聖武天皇御製「道にあひて笑まししからに」があった。(六二四)

土屋文明(著)『萬葉集私注 四』

※『万葉集』巻四・624・聖武天皇御製
道相而みちにあひて 咲之柄尓ゑまししからに 零雪乃ふるゆきの 消者消香二けなばけぬがに 戀云君妹こふといふわぎも

『万葉集』にあるその他10首

坂上郎女さかのうえのいらつめ
(題詞:大伴坂上郎女歌一首)
(原文)夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽

なつののの しけみにさける ひめゆりの しらえぬこひは くるしきものそ

(巻八・1500)

紀朝臣豊河きのあそんとよかわ
(題詞:紀朝臣豊河歌一首)
(原文)吾妹兒之 家乃垣内乃 佐由理花 由利登云者 不欲云二似

わきもこか いへのかきつの さゆりはな ゆりといへるは いなとふににる

(巻八・1503)

作者不詳
(題詞:寄物陳思)
(原文)路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
(左注:以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出)

みちのへの くさふかゆりの のちといふ いもかみことを われしらめやも

(巻十一・2467)

大伴家持おおとものやかもち
(題詞:同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首)
(原文)安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
(左注:右一首守大伴宿祢家持)

あふらひの ひかりにみゆる わかかつら さゆりのはなの ゑまはしきかも

(巻十八・4086)

内蔵縄麻呂くらのなわまろ
(題詞:同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首)
(原文)等毛之火能 比可里尓見由流 左由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎

ともしひの ひかりにみゆる さゆりはな ゆりもあはむと おもひそめてき

(巻十八・4087)

大伴家持
(題詞:同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首)
(原文)左由理婆奈 由里毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼
(左注:右一首大伴宿祢家持)

さゆりはな ゆりもあはむと おもへこそ いまのまさかも うるはしみすれ

(巻十八・4088)

大伴家持
(題詞:庭中花作歌一首)
(原文)於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之乃五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能々 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也
(左注:同閏五月廿六日大伴宿祢家持作)

おほきみの とほのみかとと まきたまふ つかさのまにま みゆきふる こしにくたりき あらたまの としのいつとせ しきたへの たまくらまかす ひもとかす まろねをすれは いふせみと こころなくさに なてしこを やとにまきおほし なつののの さゆりひきうゑて さくはなを いてみることに なてしこか そのはなつまに さゆりはな ゆりもあはむと なくさむる こころしなくは あまさかる ひなにひとひも あるへくもあれや

(長歌/巻十八・4113)

大伴家持
(題詞:庭中花作歌一首 反歌二首)
(原文)佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母
(左注:同閏五月廿六日大伴宿祢家持作)

さゆりはな ゆりもあはむと したはふる こころしなくは けふもへめやも

(巻十八・4115)

大伴家持
(題詞:國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月廿七日還到本任 仍長官之舘設詩酒宴樂飲 於時主人守大伴宿祢家持作歌一首)

(原文)於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知■ 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末川君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由里能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米■ 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須

おほきみの まきのまにまに とりもちて つかふるくにの としのうちの ことかたねもち たまほこの みちにいてたち いはねふみ やまこえのゆき みやこへに まゐしわかせを あらたまの としゆきかへり つきかさね みぬひさまねみ こふるそら やすくしあらねは ほとときす きなくさつきの あやめくさ よもきかつらき さかみつき あそひなくれと いみつかは ゆきけあふれて ゆくみつの いやましにのみ たつかなく なこえのすけの ねもころに おもひむすほれ なけきつつ あかまつきみか ことをはり かへりまかりて なつののの さゆりのはなの はなゑみに にふふにゑみて あはしたる けふをはしめて かかみなす かくしつねみむ おもかはりせす

(長歌/巻十八・4116)

大舎人部千文おほとねりべのちふみ
(題詞:天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌)
(原文)都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁
(左注:右二首那賀郡上丁大舎人部千文/二月十四日常陸國部領防人使大目正七位上息長真人國嶋進歌數十七首 但拙劣歌者不取載之)

つくはねの さゆるのはなの ゆとこにも かなしけいもぞ ひるもかなしけ

(巻二十・4369)

さいごに

正岡子規がそれまでの「古今集」賛美を打ち破り、写生を説いた訳だが、彼にとっての理想的和歌は『万葉集』なのである。
したがって、ここでは写生されているものとして、あえて個々の技巧を紹介しない。各々が、万葉びとと百合へ想いを馳せる機会となれば幸いである。

近畿日本鉄道では、今年の春から「あおによし」という観光特急をスタートしたらしいので、昨今の情勢を鑑みつつ、古都・奈良を訪れるのもまた一興であろう。
そこには、言葉遊び以上の、美意識をくすぐる何かがあるかもしれない。
それをもって、美からの浄化とするも良し、耽美というなら、己がその心境と景物を詠むのも良しである。

なお、和歌における「百合」についてまとめられた書籍があることに執筆後気が付いた。『和歌植物表現辞典』である。体系的に紹介されているため参照されるも良し、自身の関心のある植物をひかれるのも面白いだろう。

現代人は「ゆり」に何を重ねて詠むだろうか。
もはや詠む機会の少ないことを嘆く暇があるならば、と拙いながら私も、作歌したのを載せて今回は幕を閉じる。

和歌三首 題「ゆり」 綾波宗水

跡たえて 神代かみよの山も かんさびて しらゆりかしら 白露の庭

三輪山の ささゆりのぞむ 旅人や ささとうらなし しらへびの杜

殿上てんじょうの 奥まですべる 朝霧の 検非違使けびいしなりや ならぶしら百合


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