「見えない贈りもの」短編小説
見えない贈りもの
駅のホームに、古びた白杖を持った女性が立っていた。
夕暮れの光が背後から差し込み、その影が長く伸びていた。
美咲は視力をほとんど失っている。
高校生の頃から病気が進行し、大学に入る頃には光すらぼんやりとしかわからなくなっていた。
けれど、彼女は毎日この駅に来る。
改札を抜け、ホームに立ち、風の音や列車の気配、人々の足音を感じて帰るだけだ。
「…今日も、来てみたよ」
誰にともなくつぶやく声は、かすかに震えている。
彼女の心の中にいる人に、話しかけていた。
——遥人(はると)くん。
彼は中学の同級生で、優しくて明るくて、目の不自由な美咲にも自然に接してくれた唯一の存在だった。
高校は別々になったけれど、卒業してから何度か駅で偶然会った。
「また会えたね」と笑って、次の日も、また次の日も、同じ時間に来てくれた。
そしてある日、彼は言った。
「明日からも、毎日この時間に来るよ。約束」
——それが、最後だった。
翌日も、翌週も、遥人は来なかった。
後から知らされた事故。
「バイクに…」という短い言葉しか、彼の母から聞けなかった。
それでも美咲は、あの場所に通い続けた。
あの日と同じ時間、同じ場所に立つことで、彼のぬくもりを探していた。
「……ねえ、遥人くん」
その日も、美咲はホームの風に耳をすませていた。
「今日はね、風があたたかくて。春が近いよ」
電車の走る音。ホームをすり抜ける風。知らない人の足音。
その中に、ふと、懐かしい靴音が混じっているような気がした。
「……遥人くん?」
言葉を飲み込むように、美咲は耳を澄ませる。
だが、もう音は消えていた。
笑われてもいい。思い込みでもいい。
それでも、彼女は毎日ここに立つ。彼が「来るよ」と言ったから。
帰ろうと駅を出たとき、杖が何かにあたった。
落ち葉? 何かの袋?
しゃがみ込んで手を伸ばすと、小さな箱のようなものがあった。
「……え?」
それは、プレゼント用の小箱だった。
中には、点字のメッセージカード。
美咲はそっと指でなぞった。
──”みさきへ。
約束を守れなくてごめん。
でも、毎日君を見に来てたんだ。
君が立ち止まってくれて、うれしかったよ。
風が、笑ってた。
春になったら、また君の声が聞けると思ってた。
ありがとう。ずっと、ありがとう。
はるとより”
美咲の手が震えた。
点字は間違いなく、遥人の字だった。
中学の頃、彼が覚えてくれた指の癖そのままに。
──ずっと、見守ってくれていたんだ。
声にならない嗚咽が、春の風にまぎれていった。
その日からも、美咲は駅に立ち続けた。
誰もいないホームで、あの日と変わらぬように。
けれど胸の中は、もう、寂しくなかった。
風が吹けば、彼の声が聞こえる。
「今日も、来てくれたんだね」
そんな気がして、自然と笑みがこぼれた。
——見えないものが、一番近くにある。
美咲は今日も、小さな白杖を頼りに、駅へと向かう。
その足取りは、春風のように、どこまでもやさしかった。
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