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兄貴の悪知恵

今の子どもたちが見たら、
きっと腰を抜かすに違いない。


昔の本屋さんは、漫画にビニールなんてかかっておらず、
中身が「読み放題」だった。


我が家では月に一度、
好きな漫画を一冊だけ買ってもらえるルールがあった。


男三兄弟。
それぞれが吟味した一冊を抱え、
ウキウキで帰宅する。


あの日、僕は国民的ヒーロー
『ドラえもん』を選んだ。


自分の部屋で四次元ポケットの夢に浸っていた僕の元へ、二番目の兄貴がスーッと入ってきた。


「ええもん見せたろか(笑)」


その顔は、何か「とんでもない秘宝」を手に入れた男のニヤケ面だった。


兄貴の手には、当時大人気だった
『ゲームセンターあらし』



ほな見せてもらおか、と受け取ってページをめくった瞬間、僕の時は止まった。


え?……あらし、おらへん。
出っ歯も、インベーダーキャップも、炎のコマもない。


代わりにそこにいたのは、
真っ赤なマスクを被っただけの、
全裸の女の人だった。


「こ…これ、どうしたん?」



興奮した声で聞く僕に、
兄貴はドヤ顔で言い放った。


「本屋で中身、すり替えてきた」


発想がアウトとか、そういうレベルではない。犯罪です。


表紙は健全な
『ゲームセンターあらし』


中身は永井豪先生の禁断の傑作
『けっこう仮面』




昭和の書店という名のセキュリティーホールを突いた、兄貴による
「魔改造」だった。


その日、僕の中でドラえもんは一旦ベンチに下がった。


青いタヌキより、赤いマスク‼︎




兄「絶対オカンに言うなよ!」
僕「言うかいな!」



という固い誓いは、僕たちの間に鉄の結束を生んだ……はずだった。


___数日後。


学校から帰り、あの“あらし(仮)”をもう一度拝もうと兄貴の部屋へ直行した。

しかし、ない。どこにもない。


「チッ、隠し場所変えやがったな」


毒づきながら喉の渇きを癒そうと
台所へ向かうと、食卓の上に
「あらし」が無造作に置かれていた。


ラッキー♪



手を伸ばした瞬間、背後から雷鳴が轟いた。



「触ったらアカン!!!」



オカンの一喝。


その声は、息子が「踏み込んではいけない領域」に足を踏み入れたことを確信した、特捜班みたいだった。



___その晩。



ドアの隙間から見えたのは、
オヤジとオカンに挟まれ、
この世の終わりみたいな顔でこっぴどく叱られている正座した兄貴の姿だった。


たぶん、兄貴は入れ替えるとこまでは完璧やったんやと思う。


ただ、「隠す」という潜入捜査における一番大事な工程を、達成感のあまりすっ飛ばした。


ほんま、詰めが甘い。


___あれから数十年。



二番目の兄貴の「詰めの甘さ」は
相変わらずで、よく義理姉に怒られているが、あの日、隣で黙々と
『ブラック・ジャック』を読んでいた長男は、今、本当に医者になっている。



同じ日に、同じ本屋で、同じように一冊の漫画を買ってもらった三兄弟。


一人は四次元ポケットに夢を見、
一人は真っ赤なマスクの背徳感に溺れて撃沈し、
一人はその一冊を正真正銘の正夢にした。


今でも本屋で漫画を見るたびに、
台所で見たオカンの「仁王立ち」を思い出す。


ただ、今になってふと思うことがある。


あの本屋で、
僕たちと同じようにウキウキしながら、意を決して『けっこう仮面』をレジへ持っていった人がいたはずなのだ。


その人が家に帰り、
誰にも見られないよう自室にこもり、鼻息荒くページをめくったその瞬間。


そこから「出っ歯のあらし」が現れたとしたら。
僕なら、膝から崩れ落ちる。


「炎のコマ!」なんて叫ばれても、
こっちはそれどころではない。


返品に行く勇気も出せず、
真っ赤なマスクの代わりに「水魚のポーズ」と向き合うしかなかった、名もなき「あの日の方」へ。


兄貴に代わって、今さらながら深くお詫び申し上げたい。