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【写真】写真のない、えのすいの記憶

2018年の私は、少し無理をしすぎていた。
休んでいるつもりでも、心と体がうまく休めない時期だった。
そんな中で、えのすいへ行った。

その日、イルカショーを見ていて、なぜか涙が出た。

悲しかったわけではない。
感動した、と言い切るのも少し違う。

ただ、水しぶきとイルカたちの動きに触れて、固まっていたものが少しほどけたのだと思う。

そのとき、私はカメラを持っていなかった。
iPhoneでも写真を撮っていない。

だから、あの日の写真は一枚もない。
それでも、記憶だけは残っている。


青い光の中へ

ぬいぐるみというものは、少し不思議だ。
その日の写真よりも長く、記憶のそばに残ることがある。


水槽の奥を、大きな魚がゆっくり横切っていった。
こちらの時間とは違う速度で、生きているように見えた。


水槽の前に立つと、時間の流れが少しだけ遅くなる。
魚たちは何も言わず、ただ青い光の中を泳いでいた。


群れは、ひとつの生きもののように形を変えていた。


光は、水の中でほどけていた。
見ているだけで、少しずつ呼吸が深くなっていく。


ただ、揺れているもの

言葉になる前の感覚が、クラゲの形をして漂っていた。


何かを急いで理解しなくてもいい。
ただ眺めているだけで、心の表面に立っていた波が少しずつ静まっていく。


一匹のクラゲが、青の中に浮かんでいた。
存在しているだけでいい、ということを、静かに見せられているようだった。


受け取りすぎてしまう心は、ときどき疲れる。
けれど、受け取りすぎるからこそ、こういう光にも気づけるのかもしれない。


水族館には、生きものを見る時間と、自分の内側を見てしまう時間がある。この日、私はその両方のあいだに立っていた。


イルカが跳んだ日

外へ出ると、光が強かった。

水槽の青とは違う、空の下の青。
その中で、イルカたちは跳ぶ準備をしていた。


水しぶきが上がった。
それだけで、2018年の記憶が少し近づいてきた。


イルカが跳んだ。

ただそれだけの光景に、かつての私は涙を流した。

あの日の自分が、何に救われたのかは、今でもうまく説明できない。

けれど、水の音と、イルカたちの動きと、そこにいた人たちの明るさが、固まっていた何かを少しだけほどいてくれたのだと思う。


残っていたもの

2018年のその日、私は写真を一枚も撮っていなかった。

けれど、くじで当たったイルカのぬいぐるみだけは、なぜか今も残っている。

あの日の写真はない。
でも、あの日に救われた記憶は、まだここにある。

そして今、私はカメラを持って、もう一度その場所に立った。

変わると決めた日のことを、忘れないために。


今回の撮影機材

撮影:SONY α7C / Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
現像:ART


では
また!


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