封花|掌編小説
私の祖母は、毎年この季節になると、庭の金木犀に白い布をかぶせる。 それは金木犀を愛でるためでも、虫よけのためでもない。
――呪いを封じるため。
祖母はそれ以上のことを語らない。白布の端を麻縄で縛り、ゆっくりと結び目を確かめる背中は、痩せているのに不思議と大きく見えた。私はその背中に声をかけようとして、いつも言葉を飲み込んでしまう。
――何を封じているのか。
――なぜ金木犀なのか。
問いは幾度となく喉まで上がってくるのに、祖母の目を見ると、どうしても言えない。
庭に金木犀があるのは、私が物心つくよりも前からだ。秋になると、橙の花が無数に咲き、甘い香りが家中に満ちる。でも、布をかけられたその姿は、まるで白い着物を着た人のようで、花の匂いすら遠ざけてしまう。
私はどうしても確かめたかった。
その夜、祖母が寝静まるのを待ち、縁側をそっと抜け出した。月明かりの下、白い布に覆われた金木犀は静かに揺れていた。風なんて吹いていないのに。
足音を立てないように近づくと、布の内側からかすかな声がした。囁き声のような、泣き声のような、とても弱々しい声。思わず耳を塞ぎたくなる。
「……あけて」
それは確かに、声だった。幼い少女の声。私は布に手をかける。しかし、指先が触れた瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。
「触るんじゃない!」
振り向くと、祖母が立っていた。白髪が乱れ、裸足のまま。その目には恐怖、いや、憎悪が宿っている。私に向けてではなく、布の中に向けて。
「封じを切れば、お前も喰われる」
祖母はそう言うと、私の首根っこを掴み、家まで引きずって行った。部屋に閉じ込められた私は眠れないまま、あの声を思い出しては震えていた。
翌朝、何事もなかったかのように朝ごはんを作っている祖母に、私は勇気を振り絞って聞いた。
「おばあちゃん……あの声、誰なの?」
「言わんでいいことだ」
祖母はそれだけ言って、視線を逸らした。
その日の夕方、私はひとりで、再び庭へ出た。金木犀はまだ白い布に覆われている。近づくと、昨日よりも声ははっきりしていた。
「……さむい……たすけて……」
布がかすかに膨らみ、内側から誰かが触れているようだった。
心臓が早鐘を打つ。でも、耳を塞ぐことはできなかった。
――あなたは……誰?
心の中でそう言いながら布を掴んだ瞬間、風が吹き荒れた。布が舞い上がり、橙の花びらが一斉に散る。その中に、少女の顔があった。透けるほど白く、目だけが真っ黒に広がっている。
「みつけた」
声が直接、胸の奥に流れ込んできた。
「見るな! 名を呼ばれるな!」
いつの間にか背後にいた祖母が叫んだ。祖母の声は耳を裂き、金木犀の枝がぎしぎしと耳障りな音を立てて軋む。
私は息が詰まり、視界が暗くなった。その暗闇の中で、少女の声だけが、はっきり聞こえた。
「……いずれ、あなたもこちらにくる」
目を開けると、私は布団の中にいた。枕元で祖母が一心不乱にお経を唱えているのを見て、再び目を閉じる。
金木犀は再び白い布に覆われたらしい。もう、花の匂いはしなかった。
それ以来、秋になると、あの声が夢に現れる。
――私の名を、呼ぶために。
(了)
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