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雪和尚の掃き掃除|毎週ショートショートnote

 二月の東京、深夜二時。
 アスファルトの上に降り積もるのは、予報通りの大雪だった。雪は街灯のオレンジ色の光を反射して、辺りを妙に明るく照らしている。
 静寂の中、僕はコンビニの袋を下げ、凍りついた歩道を歩いていると、前方の公園の入口で変なものを見た。
 最初、それは巨大な雪だるまに見えた。あるいは、誰かが不法投棄した白いぬいぐるみか何か。でも、近づくにつれて、それは人の形を成していると気づいた。
 ――真っ白な法衣。
 それは布というより、霧が固まったような質感だ。その上に、氷の粒を編み込んだような袈裟を掛けている。頭はつるりと剃り上げられ、青白く光っていた。
 その「何か」は、竹箒たけぼうきで雪を掃いていた。サッ、サッ……という乾いた音が、静まり返った街に響く。
 ――雪和尚ゆきおしょうか。
 前に見たのは、確か小学生の頃、祖父母の家の近くだった。まさか、こんな都会にも出るとは思わなかった。
「こんな時間に、精が出ますね」
 無視すればよかったんだが、雪を掃く動作に迷いがなく、そして悲しいほど丁寧だったので、つい声をかけてしまった。
 雪和尚は動きを止め、ゆっくりと振り返る。顔には目鼻立ちがほとんどない。滑らかな雪の面に、かすかな窪みがあるだけだ。でも、彼は確かに僕を見た。
『見えるか、人の子よ』
 声は耳からではなく、脳内の氷が軋むような響きで届いた。
「ええ、まぁ、わりとくっきりと。あの、なんでこんなところで掃除してるんですか?」
 見ると、彼が掃き集めた雪は、公園の隅に積み上がるどころか、空中に溶けるようにして消えていた。
『これは雪ではない。降り積もった「とどこおり」だ』
「滞り?」
『そうだ。都会の冬は、空気が冷えるだけではない。人の心の、行き場を失った熱が冷めて、こうして少しずつ積もっていく。恨み、後悔、あるいは忘れたい記憶。それらが湿って重くなり、この街の循環を止めてしまう。私はそれを掃き出し、春が来る場所を空けているのだ』
 僕は自分の足元を見た。僕が踏んでいるのは、ただの雪だろうか。それとも、昨日部長に言われた理不尽な叱責や、さっきすれ違ったサラリーマンの舌打ちだろうか。
「それ、僕も手伝いましょうか?」
 自分でも驚くような言葉が出た。雪和尚は感情の読めない顔をこちらに向ける。
『やめておけ。凍え死ぬぞ』
「かもですね。でも、この雪をそのままにしておくと、明日誰かが滑って転びます。それが僕自身かもしれない」
 僕はコンビニ袋をベンチに置き、雪和尚に近づいた。彼は持っていた箒を差し出す。その箒に触れた瞬間、指先の感覚が消えた。冷たいのではない。感覚そのものが、絶対零度の冷気に塗りつぶされるような感覚だ。
『ほう。お前の内側にも、随分と雪が溜まっているな』
 僕は雪和尚から借りた氷の箒を手に、無心で雪を掃いた。掃くたびに、不思議なことが起きた。
 雪をひとかきするごとに、胸の奥に詰まっていた重苦しさが、少しずつ軽くなっていく。サービス残業の記憶、将来への漠然とした不安、生きることに必死になれない無力感……それらが白い塵となって、夜空へ消えていく。
「これ……掃除っていうより、デトックスですね」
『ふん。現代人は贅沢だ。昔の人間は、これを「ごう」と呼んだものだが』
 雪和尚は横で腕を組み、僕の作業を眺めていた。
 一時間ほど掃いただろうか。公園の入口から街灯の下まで、不自然なほど綺麗に地面が露出した。
「ふぅ……。これで明日の朝は大丈夫かな」
 箒を返そうとすると、僕の手にはもう何もなかった。雪和尚は数歩下がって、闇に溶けかかっている。
『よくやってくれた。お前のおかげで、この一角だけは三月が早く来るだろう』
 雪和尚の姿が薄くなる。雪の結晶が舞い上がる。
「あの、雪和尚さん」
『何だ』
「また雪が降ったら、会えますか?」
 雪和尚が微かに笑ったような気がした。
『会わない方がいい。私が見えるということは、お前の心に冷たい隙間があるということだ。温かいものを食え。そして、よく寝ろ。掃き出しきれなかった分は、春の陽光に任せればいい』
 光の粒が弾け、視界が白一色に染まった。
 気づくと、僕は公園のベンチの横に立っていた。手にはコンビニの袋が握られていて、中に入っていた肉まんは、すっかり冷たくなっている。でも、僕が立っている場所だけ、雪がきれいになくなっていた。まるで、そこだけが清められ、春を待つ準備を終えたかのように。
 僕は冷えた指先をポケットにねじ込み、歩き出した。家に着いたら、やかんでお湯を沸かそう。雪和尚の言った通り、とびきり熱いお茶を飲んで、肉まんを食べて、自分の中の雪を溶かしてしまおう。
 ――来年、また来てくれないかな。
 心の中でそう呟き、空を見上げた。雪はまだ降り続いていたけど、不思議と、さっきよりも寒さは感じなかった。

(了)


たらはかにさんの企画「毎週ショートショートnote」に参加しています。
お題は「雪和尚」です。

U-NEXTで「夏目友人帳」と「蟲師」を見ていたので、何となくそのノリで書いてみました
「見えるか、人の子よ」って、まんまですね…。


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