釜揚げタイムマシーン|毎週ショートショートnote
「これ、タイムマシーンなんです」
後輩の白石の指差す先に、大きな鍋がある。鍋というより、五右衛門風呂のような巨大な鉄の釜だ。
「ああ。忙し過ぎたんだな……。明日休んでいいから、どこかに出かけてリフレッシュするといい」
「先輩。真面目に聞いてくださいよ。本物ですよ。本物」
昨日、仕事中に突然、白石から「見せたいものがあるからウチに来てください」とお誘いを受けた。俺が「見せたいものって何だ?」と何度聞いても「来てからのお楽しみです」ともったいぶって言おうとしない。まさか、それがタイムマシーンだったとは……。
「悪いことは言わない。退職した方がいいぞ? 君はまだ若い。ウチみたいなブラック企業なんて辞めて、ちょっと休んで、また別の会社でやり直せ。な?」
「そうですよね。信じられませんよね。でも、本物なんです」
俺は全く遠慮せずに「はぁ」と大きなため息をついた。今の白石は、自分がどれだけおかしなことを言っているのかが理解できていない。人を自宅――実家のガレージに呼びつけて、鉄の釜を「タイムマシーンだ!」なんて、精神を病んでしまったとしか思えない。もちろん、その責任の一端は俺にもある。今の俺ができるのは、白石に退職を勧めることだけだ
「ものづくりの会社なんてどうだ? そのタイムマシーンを持ち込んでさ」
「先輩。そんなに信じられないなら、試してみますか?」
「分かった変わった。そうだな。じゃあ、過去に戻してくれ」
白石は真剣な顔をして、鉄の釜についている、何かのスイッチをいじり始めた。
「具体的な日時を言ってください」
「えーと……。2018年の12月……14日。違う。12日だ。時間は……夜の9時半くらい」
「先輩、釜の中へ入ってください。ああ、靴は履いたままでいいですから」
こうなったらとことん付き合うしかない。俺は言われるがまま、釜の中に入る。
「これでいいのか?」
白石が赤い大きなスイッチを押すと、釜が「ゴトン」と大きな音を立て、ヴォォォンと唸り出す。
「では、いってらっしゃい」
満面の笑みで手を振る白石の顔がぐにゃりと歪んだ。
意識が遠のいていく……。
「……ん?」
俺は椅子に座っていた。テーブルを挟んだ向かいには、別れた妻がいる。
「何よ」
状況がつかめない俺に、元妻は敵意をむき出しにして言い放つ。
「あ、これ……」
目の前にある、妻の名前だけが書かれた離婚届を見た瞬間、俺は全てを理解した。
俺は迷わず、離婚届を破った。
「ちょっと! 何すんのよ!」
「ダメだダメだ!」
俺は立ち上がって叫んだ。元妻、じゃなくて妻が敵意と戸惑いを含んだ視線を俺に向けている
「離婚は……ダメだ。後悔する。いやその、俺は6年経ってもずっと後悔してたんだ!」
「はぁ? 意味分かんない」
「とにかく、離婚のことは、もう一度考え直そう。もう一度、話し合おう。頼む。この通り」
俺は妻に頭を下げた。
「うわ……あなたが私に頭を下げるところ、初めて見たわ」
そう。
妻にはひどいことばかりしてきた。ひどいことばかり言った。頭を下げたことなんて、一度もなかった。
「もう寝ましょう。明日も早いんでしょう?」
「ああ、風呂入ってくるよ」
「さっき入ったでしょう? まったく……」
妻はぶつぶつ言いながら、寝室へと向かった。
俺はしばらく呆然と立ち尽くした。そして、辺りを見回す。何もかも、あの時のままだ。
――白石に礼を言わないとな。
携帯電話を取り出し、白石の番号を探す。
――あれ? おかしいな。
いくら探しても、白石の番号が見当たらない。
――いや、ちょっと待てよ?
白石が入社したのは、確か2021年だ。今から3年後になる。
「ビシバシしごいてやるぞ。あいつ……」
まだ出会っていない後輩の顔を思い浮かべ、俺はニヤついた。
(了)
たらはかにさんの企画「毎週ショートショートnote」に参加しています。
今週のお題は「釜揚げ師走」です。
今週もギリギリになってしまった…。
現在、超繁忙期の真っ只中で、年内は31日まで特別体制での勤務となります。
でも、年明けから配置転換(異動?)になるので、少しは状況が変わるかと。
こちらもどうぞ。
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