ストーブの匂いのする街で|掌編小説(#シロクマ文芸部)
――十二月。
その言葉を口の中で転がすと、微かに煤と乾いた風の味がする。
カレンダー最後の一枚。街が少しだけ浮足立ち、同時にどこか寂しげな色を帯びる季節。僕はコートの襟を立て、吐く息の白さを確かめるようにして、古びた私鉄の駅に降り立った。
改札を抜けると、そこは記憶の中よりもずっと狭く感じられた。駅前のロータリーには、頼りない点滅を繰り返すイルミネーションが飾られている。青と白のLEDは、この寂れた地方都市には少し眩しすぎて、かえって周囲の闇を深く際立たせていた。
「変わらないなぁ」
独り言は、冷たい夜気に触れてすぐに消えた。
十五年ぶりに帰ってきた故郷は、まるで時が止まった箱庭のようだった。シャッターの閉まったままの商店街。立ち読みすると、必ず怒鳴りに来る店主がいた本屋。高校時代、部活帰りに毎日のようにたむろしていたクレープ屋は、もう看板の文字すら読み取れない。
僕は自動販売機で温かい缶コーヒーを買った。指先に伝わる熱さが、かじかんだ皮膚感覚を少しずつ溶かしていく。プルタブを開けると、甘ったるい香りが鼻腔をくすぐった。
十二月になると、いつもあの放課後の教室を思い出す。石油ストーブの上で、やかんがシュンシュンと音を立てていたあの教室。窓の外は鉛色の空で、もうすぐ雪が降るだろうと誰かが言っていた。
僕たちは何者でもなく、そして何にでもなれると信じていた。
「東京に行ったら、ビッグになるんだ」
そんな安っぽい台詞を、本気で口にしていた友人の顔。
マフラーを半分こにして、寒くないふりをしていた彼女の赤い鼻先。
期末テストのあとの開放感と、卒業が近づいてくる焦燥感がごちゃ混ぜになった、あの独特の空気。
あの頃の僕にとって、十二月は「終わり」ではなく「始まり」への助走期間だった。これから始まる輝かしい未来への、長い滑走路だと思っていたのだ。けれど、大人になった今の僕にとって、十二月はただの「確認」の季節になってしまった。
今年は何かを成し遂げただろうか。何を失ったのだろうか。そんなことを棚卸ししては、ため息をつく季節。
商店街のスピーカーから、音割れしたクリスマスソングが流れてくる。
あの日描いていた未来と、今の自分が立っている場所は、ずいぶんと違ってしまった。ビッグにもなれなかったし、隣に彼女もいない。ただ、日々の仕事に追われ、電車の揺れに身を任せるだけの毎日だ。でも、不思議と嫌な気分ではなかった。
ポケットの中で温かい缶コーヒーを握りしめながら、僕は商店街を歩き出した。
乾いたアスファルトの上を、枯葉がカサカサと音を立てて転がっていく。
実家の玄関を開ければ、きっと母が煮物の匂いをさせて出迎えてくれるだろう。そして、古びた石油ストーブが、あの頃と同じ青い炎を揺らして燃えているはずだ。
何も変わらない景色が、ここにはある。
夢破れたわけではないけれど、少しだけ疲れてしまった羽を休めるための止まり木が、まだ残っている。
十二月は、寒くて、寂しくて、そして優しい。
僕は空を見上げた。厚い雲の切れ間から、オリオン座が鋭い光を放っている。
「ただいま」
誰に言うでもなく呟くと、風の音が「おかえり」と答えた気がした。
僕は歩く速度を少しだけ速めた。温かい場所まで、あと少しだ。
(了)
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