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写真を公開するときに伴うのは責任だけであってほしいなぁというボヤキ

どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。

ダイソンさんがnoteをヒットなさったので、思い起こすところもあって便乗させてもらおうかなと。
当事者ならではの熱のこもった記事は、ぜひご一読いただきたい内容です。

写真というか画像の価値の変化

表現のコモディティ化という記事が話題になり、私自身も色々考えながら記事にしたりしました。

本格的に写真を撮っている人でも、そうでない人でも、気軽に写真を撮って発信できる時代になりました。
撮ってアルバムに保管される時代から、商品価値を有したり、速報性を持ったメディアコンテンツとしての役割を演じたり、自己顕示欲を満たすツールになったりと変化しました。

その商品価値から利益を得たり、自己顕示欲を満たしたりするのに一番コストをかけずに、手っ取り早く効果を得るのは、評価を得ているコンテンツを盗用するのが一番。
それが簡単にできるのが現代です。

象徴的なのは、「コンテンツ自体に価値があって、表現者には見向きもしない」という傾向ではないでしょうか。

表現者の面倒

上述の盗用を考えると、表現者側が対策を求められます。

写真や絵などのコンテンツは、画像という形で公衆に発信された段階で、「誰が初出なのか」「誰の作品なのか」という証跡や証拠が不明瞭になりがちになります。
つまり、「保存してどこかで使う」という行為を行われた場合、果たして盗用なのか否か突き詰めることが面倒で、咎めて利用を停止させるのか否かを判断して対応する必要がでてきます。

ダイソンさんの記事では、ウォーターマークについて触れられています。
「誰の作品か」という証跡を示したり、盗用する人へのけん制をするには致し方無い対応です。

しかしながら、Twitterでは最近こんな投稿が話題になるほどでした。

正直どこまでいっても「いたちごっこ」感が否めず、発信者側が対応するにも色々限界があるのが実情です。
なにより、本来的には表現そのものへの追及に専念できるはずが、外野から余計な手間をかけさせられるばかりに、要らぬ作業が発生している点を問題視しています。

賽の河原のような対策よりも、責任ある表現に向けた技量向上や様々な理解を深めるほうが有意義だし、本来的だと思います。
素晴らしい作品が生まれるのは、素晴らしい表現を求めた過程があったからわけですので、その人自身も評価・配慮されて然るべきです。

写真における表現者の責任

表現をするにあたり、本来的に表現者が負うのは責任であると思っています。
その責任の1つは「特定・不特定にかかわらず、名誉を棄損したり、イメージを損なわせるような内容を発信しない」ということです。

以前、スポーツ撮影における性被害に対して記事を書きました。

女子プロレスにおいては、際どいラインが写ってしまっていたり、良からぬ印象を持たれかねない写真は、基本的にはNGにしています。
それは「表現の自由に求められる責任」と思っています。

ことポートレートを撮るようになって、一層気を付けるようになりました。
プロレスのコスチュームとは違うので、ポーズをとった時に見えてはまずい部分が写ってしまうこともあります。
さらに言えば顔の角度やコンプレックスに感じている個所など、モデルさんによって「見られたくない」「世に出したくない」というポイントが違います。
私が良いと思っていてもOKとは限らないです

人に限って話をしましたが、観光地や花、風景などでも同様です。
現代の写真による世間への影響度は計り知れず、たった1つの投稿で注目が集まったり、批判の対象になったりします。
世に発信するなら、「自分の投稿で被写体の運命を左右してしまうかもしれない」くらいの認識も持ちながら投稿する、ということは責任として付いて回ると思います。

責任の中には、「自分の写真が悪用されない対策」は含まれない、そう思いたいのです。

まとめ:もっと著作権の理解が広がってほしい

まとめると、
・写真の価値は変化して、色んな要素を持つようになった
・盗用対策にも限界があるし、いたちごっこ
・盗用対策よりも突き詰めたいことがある
・表現側にも責任がある

です。

こんな時代ですので、もっと著作権についての理解が広がってほしいです。
義務教育でのプログラミング教育などが話題になってしばらく経ちますが、メディアリテラシーや法律関連も触れるべきではと思います。

私自身、ポートレートでのトラブルもいくつか経験しましたし、プロレス写真が悪口のために利用されたりして、結構気が滅入った時期があります。
また演劇関連の撮影を担当するにあたり、契約書の作成を行うようになって、改めて著作権法への理解の重要さを感じました。

画像を利用する側は怒られて終わりかもしれません。
ですが発信する側は「疲れちゃったから辞めよう」という事態に発展しかねないです。

上述しましたが、素晴らしい作品はその人なくして成立しません。
少しでも多くの表現者が守られることを祈ります。

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