無意識に設定していた「鑑賞者=男性」を壊す1枚の写真
プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。
以前、写真を「誰のために撮るのか」というテーマで2本ほど記事を書きました。私の写真に対するモットーというかテーマを作るために書いた記事です。
両記事とも、「誰か」というターゲットについて明確にはしていませんでした。
あるとき、1本の動画に出会いました。そして、はっとさせられました。
「誰か」は「男性」であると無意識のうちに設定していたのでは、と。
その上で、この無意識の意識を壊すが如く、
誰のためでもない写真
という写真が撮れました。というお話。
誰に向けて撮っていたか
「誰かのために試合を撮るというスタンス」の中で設定した3つの視点は以下の通りです。
①自分のために撮る
②選手(被写体)のために撮る
③誰かのために撮る
この③の「誰か」という視点ですが、この時は「選手・団体のファン」を設定して書いていました。
誰かとは、自分をフォローしてくれているフォロワー、フォロワーのフォロワー、選手のフォロワーなど、その選手・団体が好きな誰かのためにステキシーンを届ける役割を担う、という撮り方です。
当時の私に「その選手・団体が好きな誰か」のペルソナについて考察する視点が甘かったようです。
このペルソナ、おそらくSNSである程度「いいね」が貰えるようになったころから無意識のうちに「誰か=男性」という認識をしていたように思います。
弊害となりえること
プロレス写真においても、役者ポートレートにおいても、(特に被写体が女性の場合)閲覧者の多くは男性であることは確かでしょう。メインターゲットを最多の層に設定すること自体は問題ないように思います。
そこで冒頭の動画です。動画内で、次のようなワードが出ます。
以前から居た存在だけれど鑑賞者の椅子を渡されなかった人々
この視点について思慮が欠けていました。
すなわち、そのコンテンツの閲覧はしていたものの、「鑑賞者」として見られていないがために疎外感を覚える人々がいる、という認識が甘かったのです。
裏を返せば、「新しい写真」というものがあるとすれば、それは椅子を与えられていない人々について思慮を深め、その人々が「鑑賞者としての椅子」を得られるコンテンツである、と動画では述べられています。
実際問題と何が言いたいか
つらつら書きましたが、誰もかれもが「新しい写真」というものを求めているわけではありません。それは撮影者の側からも、閲覧者側からも同じです。
私が本稿で書きたいのは、「『鑑賞者のペルソナ』を各カメラマンがどう持っているのか」という視点での写真鑑賞、ひいては「自分の『鑑賞者のペルソナ』の見直し」という点です。
前述のとおり「鑑賞者=男性」という視点は多いように思います。しかし、特にポートレートを撮るようになって違和感があるように思えました。
ひも解くに、撮影者 - 被写体 - 男性ファンの3者で完結してしまう、閉じたコンテンツになってしまうのでは、と。
「誰かのために」と謳って作品作りをしていても、その誰かというのは限られた範囲の人でしかない、という突き付けを喰らった気がしました。
誰のためでもない写真
そんな折、一枚の写真を撮りました。

役者の結城ひなたさんを撮影した一枚。
なんとなしに「横断歩道を渡りながら撮ってみよう」と提案したものです。
この時は「横歩きしながら人にぶつからないよう撮る」ということで頭がいっぱいだったので、正直難しいことは考えていませんでした。
しかし後から見返した時に、色々引っかかるものを感じました。
笑顔をはじめとする「好意的な仕草」がないこと。
目線はカメラを向いているものの鋭く近寄りがたさも感じること。
でも嫌悪のない無表情であること。
言うなれば
「誰のためでもない写真」
誰の視点でこの写真を見ていいのか、私はわかりません。
友人でも、恋人でも、他人でも、しっくり来ないような。
今でも、この写真の鑑賞者がいったい誰なのか分かりません。
ですが従来無意識に意識していた方々がターゲットではないことは間違いなく、予想のとおりTwitterでの反応もイマイチでした。
でもそれで良かったのです。
モデルとカメラのキャッチボール、それで完結した1枚。
SNSで世に広めるコンテンツとしての役割から脱却した、どこの誰とも知らない鑑賞者に開かれた椅子をこしらえたような写真。
自分の目標へ到達するのではなく、真逆の地点で光明を捉えたことで、自分の考えに広がりが出たような気がしました。
おわりに
モデルを引き受けて下さったひなさんには感謝です。。。
モデルとしての良し悪しとは別の軸として、彼女とだからこそ撮れた1枚と思っています。
また今回、尊敬する「さかやきさん」の記事にもインスピレーションを頂きました。ありがとうございました。
「誰かのための写真」としての、一つの答えだと思います。
そして「誰かのため」といいつつ、自分が最も大切なテリトリーにおいては「推しのために、自分のために」となるエゴを持ち合わせる。
「○○さんと言えば△△選手」があるのなら、「□□さんは××選手のカメラマン」があって当然です。
そんなプヲタカメラの楽しさを再認識させてくれました。
またプロレス写真も復活したいと思う3月のある日でした。
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