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表現の自由研究「日常と非日常」

泉が入ってくる。泉は街を駆けまわってわずかな日陰を探した。必要なものが見つからなかったので、彼女は嘆きながら、見てきたことを語る。いくつものランプでできた太陽を見たら、もうひとつの太陽より心にしみたの、本当よ。カフェのテラスで歌を一つか二つ歌ったら、黄色と白の重い花束を投げられたのよ。髪を顔になでつけたら、髪の匂いはとてもきつかったわ。

アンドレ・ブルトン『溶ける魚』
山田兼士の研究室(http://yamadakenji.la.coocan.jp/france35.htm
)より引用


朝ごはんが食べられなくなった。
可能な限り規則的な生活を送り、健康診断の「朝食を抜くことはありますか」に「いいえ」と回答し続けた私が。
自分で焼いたシフォンケーキを1かけ。
それとラテだけ飲んで出かけた。
そんな、たかはしです。

毎月第1月曜日の大人の自由研究です。
今回も今回とて、テーマに悩みました。
悩みぬいた末の「日常と非日常」です。

本の引用から趣向を変えて、noteの記事だったり動画を参考に書いてみようと思います。

前回記事はこちら。

ハブ記事はこちら。


辞書的な意味

まずは意味を改めて見てみます。

にち‐じょう〔‐ジヤウ〕【日常】
つねひごろ。ふだん。平生。

weblio辞書「日常」
https://www.weblio.jp/content/%E6%97%A5%E5%B8%B8
より引用

非日常
日常的ではないこと、特に、通常の日常生活では体験できないような場面や状況、または経験などのことを幅広く指す言い回し。

weblio辞書「非日常」
https://www.weblio.jp/content/%E9%9D%9E%E6%97%A5%E5%B8%B8
より引用

もう少し掘りこんだ説明があるかと思ってましたが、あっさりしていました。
独自解釈も入れながら掘ってみます。

違いは発生頻度

辞書的な意味から推測できますが、
日常=発生頻度が高く、ふだん経験すること
非日常=発生頻度が低く、ふだんからは経験しないこと
とできます。

いつもどおり食事の配膳ができれば日常。
お気に入りのマグカップを落として割ってしまったら非日常。

デパートへ買い物に行くだけなら日常。
初デートで買い物に行くなら非日常。
芸能人を見かけても非日常。

でも発生頻度とは違った見方もできるかもしれません。

夢は非日常?

絵画の歴史についてかじっていたところ、夢について触れたジャンルがありました。
非日常、というよりは超現実、の方が適切ですが。

サルバドール・ダリ『記憶の固執』。
”溶けてる時計”で有名な絵画です。

ダリは、シュルレアリスムの代表的な作家のひとり。
『記憶の固執』は、ダリの夢の世界であるとされています。
彼は夢の中やモチーフの崩壊に、超現実性を見出しました。

夢というのは、比較的身近な現象です。
日常的に見る人もいれば、ほとんど見ない人もいますが。
しかしその内容というのは、非日常的で非現実的です。

非日常に対して、非現実が出てきました。
ちょっと非現実的な世界に寄り道をしてみます。

シュルレアリスム

シュルレアリスム、もといシュールという言葉から何をイメージするでしょうか。
私は「よくわからん」です。

しかしシュルレアリスムは、その創成期に定義が試みられています。
アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』です。

書籍を入手しようとも思ったのですが、内容が複雑すぎて諦めました。
雑に要約すると、「自動記述オートマディスム」によって描かれる文章・絵画、となります。

じどうきじゅつ【自動記述 écriture automatique[フランス]】
1919年,フランスの詩人ブルトンによって創始され,シュルレアリスム運動発足の前提となった実験的記述法。道徳上,美学上のあらゆる先入主を捨て,しかもあらかじめ何を書くかをいっさい考えずに,できるだけ速く,自動的に,文章を書き進めてゆく行為を言う。

コトバンク『自動記述』
https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%A8%98%E8%BF%B0-840324
より引用

自分の中から湧き上がる何かを、フィルターを通さずに落とし込む作業・作品を「シュルレアリスム」としています。
シュルレアリスム」日本語に訳すなら「超現実主義」です。
日常的に頭の中で考えていても、潜在的な部分であるため日常的には触れていない。
そんな思考領域を解放しようじゃないか、みたいな解釈をしています。
日常の中にある非日常(≒非現実)の表現、とも言いましょうか。

ちなみに、本稿の冒頭で引用した『溶ける魚』は、自動記述で書かれた文学作品とのことです。
あなたは何か感じ取りましたか?
私は何もわかりませんでした。

非日常の中の日常

寄り道から戻って。
シュールな世界を構築している、私が好きなコントをご紹介します。
ラーメンズ『小説家らしき存在』です。

ストーリーとしては。
天才小説家「常居つねい次人つぐと」のもとを訪れる編集者。
常居は”作品によって文体を自由自在に変えることができる多重人格作家”と称される謎の人物。
そんな彼に原稿の依頼を持ってきた編集者は、かつて持っていた小説家へのあこがれを語り…
とても完成度が高いストーリーなので、一度ご覧いただきたい作品です。

ラーメンズについて語ると、それだけで記事1本書けるので触れません。
彼ら、もとい脚本を書いている小林賢太郎さんは、物語のテーマを「非日常の中の日常」と語っています。

物語の登場人物は、転生してきたとか旅をしているとかでもない限り、その場所で日常的に生活しています。
しかし見る側の人間からすると、いつもの生活(=日常)と違っていて、そこに面白さを感じる。
つまり「非日常の世界に広がっている、その世界の日常的な光景」がラーメンズのコントなのです。

『小説家らしき存在』も、常居次人にしてみれば日常的なワンシーンなのですが、編集者や観客にとっては非日常の空間なのです。
シュールではありますが、シュルレアリスムとは対極の理知的な非日常(≒超現実)と言えるでしょう。

写真における日常と非日常

写真は、日常も、非日常も撮影できます。

子供の成長や、街の風景の移り変わりを記録すれば日常。
普段見ている光景の中に、ちょっとした面白さを見出せば非日常。
多重露光や長時間露光などで、人間の目には見えない世界を写せば超現実。

いずれにしても、被写体をどう捉えて、どう表現するのかによって、ありきたり度合いをコントロールすることができるわけです。
ただし、絵画のように”そこにない物体や光”を描こうとすると、合成やCG描画が必要になります。
そうなると写真というより、絵画でいうコラージュに相当するかと思います。

ここでは現実に存在する被写体、もとい人に絞って話を進めます。
ポートレート撮影をする場合、基本的に非日常となります(持論)。

よく考えてみてください。
行って楽しむこともしますが、その場所で写真を撮ることがメインって、なかなか普段やらない行為じゃないでしょうか。
映え目的は別ですが…
仕事でモデル業をしている方でもない限り、相当にレアなイベントだと思っています。

そんな作為的であるポートレートですが、これも日常と非日常で表現が可能です。
日常ならデート風とか、お家でリラックスしてる風みたいな。
非日常なら、意図的に街中で違和感を出してみたり、それこそ写真の技法で超現実的な写りにしてみたり。
私自身は非日常フォトが専門領域、といえます。

ルネ・マグリット『人の子』風
びゅんびゅん

日常と非日常、どちらが良いのか

noteで「非日常」と検索すると、『日常を非日常にする』のようなタイトルが散見されます。
あたかも日常が悪くて、非日常を歓迎すべきというが如く。
日常で検索すると『日常を素敵に』みたいなものも現れますが。

私は、日常も非日常も、夢も現実も、自分がどれだけ美しいと思えるのかが大切だと思っています。
そこに優劣はありません。

しかし非日常フォトしか撮れない私からすると、日常の表現というのはステキでキラキラしてるのです。
なんてことのない日常の1シーンに、ときめくポイントを見出だしているのですから。
これほど感受性にあふれた表現はありません。

かといって、私は私が撮る写真を気に入っています。
普段会社に勤めている時には味わうことが出来ない空気感。
役者さんが醸し出す世界との調和。
そういったものを味わって表現して、っていう写真が好きで撮っているので。

肝心なのは、夢でも現実でも、自分が体験したり知覚したり考えたことを、感受性豊かに解釈して、表現すること。
そしてその表現を好きでいること。
日常的に非日常を愛し、日常を愛し。
そんな人間に、わたしはなりたい。

という曖昧な着地点にして、今回はおわり。

終わりに:非日常に身を置くようになって

私、プロレスが好きなのですが。
よくプロレスのことを「非日常」と表現するレスラーがいます。
そりゃ半裸の人間が、互いに痛めつけ合うエンターテインメントって、日常的に触れないですもの。

しかしプロレスって、ほぼ毎日日本のどこかで興行打ってます。
プロレスファンも熱心な方が多いので、人によってはほぼ毎日観に行ってるんじゃないかくらい観戦してるようです。

私も2年くらい前までは、かなり高頻度で行っていました。
非日常を、それなりに日常的に浴びていますね。

今現在は、ポートレートという非日常を浴びています。
多い時は週2回。

そのどちらでも、結構毎回楽しんでいるというか、毎回新しい経験をしていたように思えます。
カメラの設定や撮り方を変えてみたり、モデルさんや試合の流れに新たな発見をしたり。
飽きるのが遅いのは昔からでしたが、何か見出だそうとする無意識的な力があるのかもしれません。

改めて今回『日常と非日常』を1か月考えてみて、自分は流行を追えないけど、細く長く楽しみ続けられる長所にできているんじゃないかな、と思えました。
自分を見直して、自己愛につなげたいな…と。
8月中旬ごろにネガティブのピークを迎えておりましたが(実家帰ってダメージ負ったせい)、モデルさんと話して回復できたの大きい。

非日常は心の栄養です。
非日常があるから、日常を彩れるし。
日常のなかでの気付きを、非日常のアクセントにしてみたり。
そんな風に思えた、鈴虫が鳴く夜でした。


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