見出し画像

「見捨てられ不安」で色々自己理解して。大いに反省と謝罪。

自分語りです。
そして謝罪でもあります。

すったもんだあって独り身になったわけですが、その後から他人への依存が強くなっていることを自覚しています。
自覚しつつも、衝動的だったり我慢できなかったりで、周囲へ悪影響を及ぼしてしまっています。

いつも通りの自省をしていたとき、「見捨てられることに対する不安」について深堀りしてみようと思い立ち、Google先生に聞いてみました。

見捨てられる 不安 [検索]

まぁ色々出てきまして、ひとつの病名にたどり着けました。
「境界性パーソナリティー障害」

全部が全部当てはまるわけではないですが、ある程度一致するような側面がありました。
別に診断を受けたわけではないですし、自傷行為や暴力行為などに及んでいないので、診断も下りない程度の軽度なのでしょうけども。

皮肉なことに、最近別れたパートナーにも、かつてのパートナーにも、境界性パーソナリティー障害の傾向がありました。
数々の報われない恋愛の背景にはこいつが潜んでいた???報われたいもんです。

原因として幼少期の養育者に関するストレスと記載されていますが、思い当たる節がなく、おそらくは幼少期の友人関係にあるのかなと。
幼馴染と遊びたいのにやりたい遊びが違ってモヤモヤ、小学校入学などでそれぞれ友達ができて遊ぶ機会が減ってしまってモヤモヤ、とかが思い起こされます。
いま考えれば当然っちゃ当然ですが、当時から「誰かの一番の存在」「誰かの特別な存在」であることに飢えていたように思います。

そして今現在でも、「見捨てられ不安」という単語で表現できるような数々の自分の反応があります。
過去に自信について書いた記事がありました。

書いた当時は性格的な問題ととらえていました。
しかし「見捨てられ不安」と照らし合わせて考えると、
・自分は何か価値を提供できないと見捨てられる
・人間性で評価してもらえるような人間じゃない
・常にスキルを磨き続けて関係を継続してもらえるようにすべき

と考えているように思えてきました。

今この瞬間にも、「カメラの技術が他の人より劣っていたら、モデルさんは他の人に乗り換えるんじゃないか」という不安と戦っています。
冒頭の謝罪というのは、この点に関して試し行動が出ていた点です。
自分でも「重たいな」と自覚はあるのに、余計なお節介をしたり、余計な言葉をかけてしまったり。
この年齢になって子供のような身の振り方をしてしまっていること、それによって心理的負担をかけてしまっていること、反省しかありません。

引っ越しとか身辺整理が終わったら、この考え方と向き合うための期間を作ろうと思います。
「自分はこうだから、ありのままを許して」というつもりは毛頭なく、変えなければならない部分は変えるよう行動し、その上で迷惑を掛けてしまったら「申し訳ないけど○○という背景があって直しきれてない」と謝るしかないかなと。

各方面にごめんなさいと、これから直せるよう頑張ります、という言葉で締めさせていただきます。

いいなと思ったら応援しよう!

たかはしあさぎ ご覧いただきありがとうございます! サポート頂きましたら、役者さんのコーヒー代、撮影機材への投資、資料購入費として使わせていただきます🙏