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「写真集を読む」第四回|インベカヲリ★『理想の猫じゃない』

「男の人に『綺麗だね』って言われても、ここまでやってるんだからそりゃそうですねって感じ。『痩せてるね』って言われても、吐いてるから当たり前だし。吐くのは自然にできなくて、海外のダイエット薬で、血圧をあげて動機がして気持ち悪くなることで無理やり吐くんです。本当は体重が100キロとかあるような人が飲む薬なんだけど」
  聞いていて、体がキリキリしてきた。

インベカヲリ★『理想の猫じゃない』
「モニュメント」より引用

この一冊は写真集のようで、実のところドキュメンタリーであり、ジャーナリズムであり、主張。
読んでいて吐き気を催すような現実とも空想ともわからぬものがそこにあって、ただただ身を引き裂かれるような追体験をさせられる。
今回はそんな一冊。

誰のためでもない、ウケも狙わない、そんな連載4回目。
本連載のゴールに向けて避けては通れない1冊を今回持ってきました。
月イチ投稿が守れずにいるので必要なカードは切っていきますよ。

なお、少々センシティブな表現と、セクシャルな内容を含みますので苦手な方はブラウザバック推奨。

『理想の猫じゃない』

インベカヲリ★の2冊目の写真集。
全編女性のポートレート、さらに一人一人の過去や撮影にかんするエピソードをコラムのように綴り構成されています。
この本を言い表すには、タイトルの解説を参照することが一番の近道。

タイトルの「理想の猫じゃない」は、ある事件の犯人の台詞だ。2017年10月、北九州で当時高校の臨時教職員をしていた男が、飼い猫を次々に殺し、計20匹を燃えるゴミとして捨てていたため動物愛護法違反容疑で書類送検された。犯行動機について男は「理想の猫じゃないから殺した」と主張、「呼んだらすぐにやってきて、体を触らせて、きちんとトイレをするのが理想の猫だ」と供述した。
(中略)
しかし人間にとっては、他人が求める理想を演じているほうが、自分を貫くよりもはるかに容易い。世間は「理想の猫」に擬態した人で溢れている。

同 あとがき より引用

ある種の理想像、理想の人間というものが各人の中に存在し、それに適合するか、はたまた外れるのか、という価値基準で他人を評価している。
多かれ少なかれ、他人と接触する以上は「これをしたら許せない」「こんな人がいい」なる基準が存在しているもの。

一方、本書にポートレートが掲載されている女性たちは、みな暗い過去や生きづらさ、世間のメインストリームからは外れた個性をもった人々。
つまり「理想の猫じゃない」人々。

ただ写真を見るだけでは何も分からない。
情報があるようで全く足りていないから。
この写真集は、言葉と写真が組み合わさることで成立している、ある種のドキュメンタリー。

おぞましさすら想起させるヌード

冒頭引用した「モニュメント」。
モデルは端正な顔立ちの、まるで女優のような、彫刻のような人。
人を惹きつける魅力を放っている。
そして局部は写っていないもののヌード。

でもそれは表面的な話。
彼女についてのテキストを読んでみると、一転して想像しても想像が足りていないほどの、憎悪のような恐怖のような感情が心を満たすのです。
凄まじく空虚で、それでいて男を徹底的に見下しつつも理想の猫を演じる姿。
美しい体は社会通念なのかエゴなのか、何かしらが作り上げた偶像なんだと気づくと直視するだけで心が荒んでいきます。
エロくないヌード、そう呼ぶしかない。

その他のページもみんなそう。
写真だけみるとただのシュールな、技術的にどうこうない写真。
撮影会写真が嫌いな私には心地いい方だけど。
文章を見ることで見方が変わる。
すべて破壊してしまった方が楽になるのではないかと、はたまたすべて空虚なのではと、思考がふらついてしまうのです。

対局な写真集を引いてみる

私が嫌いと言うか、見ていて気持ち悪いと思ってしまう写真家がいます。
青山裕企。
氏の活動そのものが無くなるべきとは言いませんが、何度見ても私は氏の写真を受け入れることができないのです。

今回2冊購入して対照的な資料としました。
『SCHOOLGIRL COMPLEX 5』『絶対領域』

端的に言うなら「男子が、男性が、こんなシチュエーション妄想するよね」というカットを創作している写真集。
よく言えばフェチを刺激するのだけど、悪く言うと性欲の気持ち悪さをストレートに表現している。
何よりイラストという空想の具体化を空想で行う手法でなく、実際の人間を使って実現させている点が、私にとっては受け入れがたいと思ってしまうのです。

いや、こうとも言えるではないか。
ありえないシチュエーションのアダルトビデオも同じだ、と。
私もまま見るじゃないか、と。
何が原因?ヌードであることが問題ではなさそう。

理想、とは

エロい着衣と、エロくないヌードの境界。
もうこれしかない。
どのような鑑賞者を設定して創作されているのか。
内容からこの行間を恣意的に読み解いて、それを自らのエゴに従ってジャッジしているに過ぎない。

『理想の猫じゃない』のテキストもそう。
男性社会へのヘイトスピーチとして読めば憎悪の塊のように見えるし、淡々と自分の半生について語っただけとみれば武勇伝のようにも聞こえる。
あくまで自分の中にある「こう読みたい」という理想に沿って読んでいるに過ぎないと気づかされるのです。

ひるがえって、ここに掲載されないような、例えば週5勤務の会社員である人々が理想の人間なのかと言えば、決してそうではない。
何一つ欠点のない理想の存在はありえないし、みな何かしら誰かの許容範囲を超える悪いところをもっているのに、何かしらの基準に従って”理想っぽい”振る舞いをしているに過ぎないんだろうな、と。

いまこれを書いている自分はどうか。
つい昨日、自分の撒いた種で自分の首を絞めつつ、他人様にいらぬ面倒をかけたばかり。
こんなこと一度や二度でない、理想とは程遠い存在ではないか、と。
いや、逆にみなから理想を抱かれていたけど化けの皮が剥がれただけかもしれない。
自分は相手を理想で見るし、相手も理想で見てくる、そこからいかに外れるかというだけの話なんじゃないか、と。
どれだけ多くの人の理想に応えられるかのレースに負けただけの人、それ以上でもそれ以下でもないな、って。
載れるかね。

おわりに自分語り

誰からも理想で見られない。
形容するなら新宿歌舞伎町で見かけるネズミだろうか。
こんなところにいるのか、と。
いやこんな汚い場所ならいるだろう、みたいな。

ベタだけどドブネズミみたいに美しくなりたい、みたいな。
いや私はヤドクガエルになりたいんだけど。
あたかも倫理観に沿った存在であるように振舞っているだけの、よく見たら気持ち悪いヌメヌメしてるし致死性の毒持ってるヤツ。
いいよそれで。私の理想だから。

書ききってメンタルがぐちゃぐちゃになったのでジムに行きましょうね。
おわり。



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