万博訪問記:Null2
はじめに
思い返してみると、数年前にNewsPicksの「Weekly Ochiai」をきっかけに、落合陽一さんの発信を追い始めました。
さらに著書『デジタルネイチャー』も読んで、「なんて面白い思想を持つ人だ!」と衝撃を受け、しかもその思想をもとに、2025年の関西万博で落合さんがパビリオンを手掛けると知りました。
これは行くしかない、というわけでNull2に行ってきました!
コンセプトや解説は公式からも様々な記者の方々が発信されているので、私の個人的な視点からの感想を書いていきたいと思います。
では、さようなら
ヌルの森と呼ばれていたNull2の空間では記号を手放す儀式が行われていました。
「記号」というのは私の理解では、人間が社会を形成するために作り出した意味や概念の塊のようなものです。
つまり、Null2ではデジタルネイチャーに達した世界で、人間が自身で記号を持つ必要がなくなったことを表していると理解しています。
詩的な表現で好きだったのは落合陽一氏は「記号を持つこと=ヌルの森を出ること」と定義していて、逆にNull2にいることというのは「記号を手放すこと=ヌルの森に帰ってくること」を示していることでした。
計算機が自然と溶け合ったデジタルネイチャーの世界を私は体験していたのでした。

自分のアバター
記号を手放す一つのプロセスとして、参加者である私は自分のMirrored Bodyを作りました。
自分でもテストをしてみましたが、自分の顔と声をしたアバターに質問をすると、自分と同じ声・趣向で回答を自動で喋ってくれます。
裏側で動いているAI(GPT-4.5?)の気配は軽微で、自分の記号を持った存在がしゃべっている。
自分の記号を手放せるのだという感覚。
デジタルな世界でリアルな感覚を得る、というのは矛盾しているようで面白い。
ちなみに、ヌルの森には私と妻(+娘)の他に40人程度の人がいたのですが、アバターが登場した3名のうち、2名が私と妻でした。
ものすごい確率を引き当てました。
どちらのアバターも質問者に対して確かに私ならそういうことを言ってそう、という回答をしていました。

計算機はお話をひとつにしてくれるの?
計算機との対話の中で記号を手放したらどうなるのかを問答していきます。
そこで印象的だったのが、計算機への問い「きみたちはお話をひとつにしてくれるの?」。
「お話」というのはサピエンス全史のなかでハラリ氏が指摘した人間の特性である「物語を信じることができる能力」に関するもので、人間がまとまるためにはみんなが信じることができるお話が必要だが、今でもそれはできておらず争いはそこらで起きていることが対話の中で指摘されています。
それに対する計算機の答えは記号を手放せば「お話」自体がなくなってヌルになる、というもの。
ヌルの森にはには記号に頼って培われた人間の精神性とは異なった世界観が広がってそうだと私は感じました。

ヌルになる
そして儀式の最後、私たちはヌルになる。
ちなみに私は0歳児の娘と訪れていましたが、ヌルの森に入ってすぐ、娘は寝てしまいました。
彼女はまだ記号を持っておらず、ヌルの森の住人だったから落ち着いたのかも知れません。
爆音や大きな低音の中、静かに寝ていました。

おわりに
Null2の建物は万博会場の中でも異色でした。
鏡面でできた建物は何か低い音を発しながら表面が波打つように細かく振動してますし、振動以外に内部のアクチュエーターによって引っ張られたり、押し上げられたりして常に動いていましたーーNull2は動く建物だったのです。
建物の前で人知れず未来を感じました。
内部の体験も建物の外観も、画像や動画を通じて事前に見ていて、デジタルの情報としては知っていましたが、リアルに行ってみると伝聞とは全く違う存在感・体験を体感できました。
デジタルとリアルの境界へはリアルから近づくのが良さそうです。
参考資料
null2オフィシャル
コンセプトや世界観がわかる”ヌルヌルの旅”という物語などおすすめ。
建築に関する解説参考記事:
動く建物という未来感をどんなふうに作っていったのかわかる記事。
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