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人生は「名場面にならない場面」でできている

黒板を消しながら、ふと窓を見ると、夕焼けが校舎のガラスに貼りついていた。まるで「今日もお疲れさまでした!」と、空が大型スーパーの店員みたいな顔をしている。
 
僕は職員室に戻る前、いつも教室を一周する。
 
落とし物確認だ。
 
鉛筆。
名札。
半分だけ折れた定規。
なぜか靴下片方。
 
小学校という場所は、ときどき「子ども専門の竜巻」が通過した跡みたいになる。しかも、その竜巻はかなりの確率で靴下を奪っていく。
 
今日も、ゆうたの机の下から消しゴムのカスが大量に出てきた。雪国なら除雪車を呼ぶ量だった。
 
「こいつ、算数の時間にどれだけ人生を修正したんだ?」
 
思わず笑ってしまう。
 
大人になると、消しゴムを使う機会は減る。
代わりに人は、「間違ってないふり」が上手になる。
 
でも子どもは違う。
 
盛大に間違える。
堂々とズレる。
しかも、その直後にはもう笑っている。
 
今日の5時間目、ゆうたは「月はなぜ落ちてこないのか?」という話の途中で、「月って、地球のストーカーなん?」と真顔で聞いてきた。
 
たしかに言われてみれば、かなり長期的な追尾である。
 
僕が説明に困っていると、隣の席のさくらが、「でも地球も太陽のあとついていってるよ!」と言った。
 
その瞬間、教室が笑いに包まれた。
 
僕はあの時間が好きだ。
 
正解が生まれる瞬間じゃない。
誰かの変な発想が、みんなの頭を少しだけ自由にする瞬間だ。
 
子どもの言葉というのは、ときどき古い家具の裏から出てくる10円玉みたいに、妙な輝き方をする。
 
職員室へ戻る途中、僕はスマホを開いた。
 
誰かが海外旅行へ行っていた。
誰かが起業していた。
誰かが高そうなランチを食べていた。
 
画面の中では、人生がずっと文化祭みたいだった。
 
それに比べて僕の今日はどうだろう。
 
靴下片方。
消しゴムのカス。
給食で牛乳を吹いた男子。
「先生、カマキリって眉毛ある?」という質問。
 
SNS向きでない。
あまりにもない。
 
でも、
 
もし人生が映画なら、たぶん人を本当に救うのは、爆発シーンじゃない。
 
ストーリーと関係ないところで、主人公が黙ってコーヒーを飲む場面だ。
 
子どもが廊下を走って怒られる。
夕方のチャイムが鳴る。
誰かが忘れた水筒を、誰かが届ける。
 
たぶん人生は、ああいう「名場面にならない場面」でできている。
 
教室の電気を消す前、僕はもう一度だけ後ろを振り返った。
 
誰もいない机。
少し曲がった椅子。
夕焼けで赤く染まった黒板。
 
その景色を見ていると、今日という日は、ちゃんとここにいたんだなと思う。
 
 
ゆうたは月をストーカー呼ばわりしたし、さくらは地球を。
 
それだけで、今日はわりと豊作だった気がする。
 
僕は職員室へ向かいながら、小さく笑った。
 
人間ってたぶん、「すごい出来事」がないと幸せになれないんじゃない。
 
消しゴムのカスみたいな日々を、「銀河系の一部」と思える瞬間に、少し救われる生き物なんだと思う。

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