眠れぬ夜の授業参観
「先生、ねむくて、ぼく、今なにしてるか、よくわかんない。」
朝の会で目を半分閉じながらそう言ったのは、4年1組のMくんだった。
給食前にはふらふらと立ち上がって、給食当番のエプロンを前後ろ逆に着たまま、掃除用具ロッカーに頭から突っ込んだ彼を見て、僕は確信した。
——ああ、この子、魂だけ布団に置いてきたな。
睡眠不足の小学生は、なぜか魂だけ先に登校させる技を持っている。本人は登校しているつもりだけれど、授業中も、配膳中も、話しかけると2秒くらい時差がある。宇宙ステーションと会話してるみたいな気分だ。
「先生……さっきの算数、やったっけ……?」
「もう終わったよ。黒板に答え書いたの、見たよね?」
「えっ、黒板の答えっていつからあるの?」
そう、ここは地球、あなたは今、学校にいます。おかえり、Mくん。
僕が初めて「子どもの眠り」を意識したのは、新任2年目の頃だった。
当時の担任クラスに、Kちゃんという女の子がいた。
まつげの長い、やさしい瞳の子で、なにをやっても「ありがとう。」って言う子だったのに、2学期あたりから急に、授業中に泣いたり怒ったりするようになった。
給食のゼリーが半解凍で泣いたときは、さすがに驚いた。
「先生……このゼリー……こおってて、うちのとちがう……。」
それはまあ、学校給食のゼリーというのは、だいたい風情のないビニール袋に封じられており、しかも冷蔵庫の都合で半解凍状態だ。罪深いことに、スプーンですくうときの音まで「ズチャッ」としている。確かに泣きたくなる気持ちもわかる。
だけど、気になったのはその「涙のスイッチ」の軽さだった。朝の会から不機嫌で、ぼーっとしていて、ノートを開いたまま10分くらい鉛筆を持ったまま固まっていたりした。
ある日、迎えに来たお母さんにそれとなく聞いてみた。
「あの、Kさん、夜はよく眠れてますか?」
すると、お母さんはちょっと申し訳なさそうに、笑って言った。
「実は、最近は一緒にNetflix見るのが日課で……あの子、韓ドラ大好きで、寝るのがちょっと遅くなっちゃって。ま、朝はがんばって起きてるんですけどねー。」
ああ。
がんばって起きてるのか。
そりゃ、がんばった結果が、半解凍ゼリーへの号泣なんだな。
子どもって、眠ってる間に、ちゃんと「人間」になるんだ。
最近、そう確信するようになった。
眠らずに朝を迎えた子は、人間未満の、なんかこう、液体状の何かみたいになっている。情緒はとろけ、集中力は蒸発し、理性は底に沈んでいる。
でも、ぐっすり眠った翌朝には、嘘みたいに笑顔であいさつをしてくる。
「先生、おはよう! きのう、9時に寝たで!」
その言葉は、テストで100点を取ったよりも嬉しい。
まるで魔法の呪文だ。
「きのう、9時に寝た!」
これを合言葉にしたら、世界はきっと平和になる。
僕はそう本気で思っている。
ただ、現実の家庭には、「ねむりの敵」が多すぎる。
夜10時以降のスマホ。リビングに延々とついているテレビ。塾の宿題。遅い帰宅の親。
まるで、子どもの眠りを罠にかけるトラップみたいだ。
この前、授業参観のあとに懇談会があって、ある保護者が言った。
「先生、うちの子、最近朝が弱くて……やる気がなくて、だらけてて……。」
となりにいたMくんのお母さんが「うちもです〜。」と苦笑いをして、
そのまた隣のTくんの保護者が「YouTube、2時間くらい見てから寝るみたいで。」と言ったとき、教室に、妙な静けさが流れた。
「いや、そんなに見てるの……?」
「うちは、ゲームは1時間って決めてますけど……。」
すこしずつ、視線が交錯しはじめる。
——この瞬間、僕は思った。
睡眠は、保護者の「成績表」みたいになってるんだな、と。
だから誰も、「夜中まで起きてました。」とは言えない。
だからこそ、子どもは眠れなくなる。
ある日、Mくんが言った。
「先生、なんかさ、ぼく、寝てるときのほうが、頭、ちゃんとしてる気がする。」
「え、どういうこと?」
「うーん、昼はね、うるさくて、しかられて、忘れて、わけわかんなくて。でも夜に寝るとさ、夢で、じゅんばんにならんで、なんか、スッキリするねん。」
僕は笑いそうになったけど、涙が先に出た。
それ、たぶん、睡眠による記憶の再整理ってやつだ。
脳の神経ネットワークがつながり直してるんだ。
だけど、そんなこと、言わなくていい。Mくんは自分の言葉で、それをもう、知っていた。
眠りは、いちばん小さくて、いちばん確かな「愛」だ。
おやすみ、と言ってもらえる世界。
目を閉じたときに、なにかを待たずにいられる世界。
明日が、安心してやってくる世界。
子どもたちは、自分の力では、その世界を作れない。
だからこそ、僕たち大人が、毎晩の小さな魔法使いにならなきゃいけない。
テレビを30分早く消す。
スマホの充電器をリビングに移す。
一緒に本を読み、腕の中でまぶたが落ちるのを待つ。
それだけで、子どもはちょっとずつ、明日へ向かう勇気を手に入れる。
今夜もきっと、誰かの家のソファで、スマホを握ったまま、眠い目をこすっている子がいるだろう。
その子が、ほんの少しだけ早く、布団に入れますように。
そして、夢のなかでちゃんと「今日の自分」と会えますように。
僕は明日も、教室で待っている。
