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月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚 第三話 姫君を喰う話

ヒルデガルト共和国東端シュミットボン――

「やっぱり、いつの時代でも人は血を見て愉しみたいものなんだね」

 綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは言った。

 面白いお話を探して、全国各地を旅している丸顔でモノクルを掛けた女だ。

「お前自らこんなところに出向いてよく言うぜ」

 メイド兼従者兼馭者のズデンカは嘲笑った。背が高く肌が浅黒く、いつもルナの傍に付き随っているものの、口は悪い。

 つまり、二人は処刑場にいるのだ。もちろん、いるのは二人ばかりではない。雲霞のような大勢の群衆に紛れるかたちだった。

 今日、一人の王族が処刑されようとしている。

 斧で落とされるのは十七歳のヒルデガルト旧王国第十王女エルゼの首だった。ここシュミットボンは共和国の端にあり、オルランド公国と接近した辺境の地にある都市だ。旧王族が移住という名前の流刑先に選ばれている場所だった。

「ヒルデガルトで旧王族の処刑はたくさん行われているけど、今回のはあまりにも特異な理由からだね」

 ズデンカの耳元へ身を寄せてルナは言った。

「どんなだ?」

「王女は元近衛侍従で旧王族収容施設の管理人だったキンスキーを喰い殺した」

 ルナが囁く。

「喰い殺した!」

 驚いたズデンカは思わず声を上げてしまった。

「新聞記事によれば」

 とルナは紙面を取り出して広げ、

「朝食の席でいきなり喉笛に齧り付いたそうだ。爪で皮膚を引き剥がし、眼球をえぐり砕いて飲み込む。鼻をそぎ取った。頬を裂き、生のまましゃぶった。腹部を裂き臓物を貪り、陰部まで喰ったとか。手足を切除し始めているところで取り押さえられたようだが、両手を真っ赤にして笑っていたということだ」

 嬉々として読み上げる。周りの人がびっくりして身を引いた。

「異常だな」

 とは言いつつも、ズデンカは逆にルナへ近づいた。

「血を啜る君がそれを言うかい」

「あたしが血を欲しがるのは、そうする必要性があるからだ。しなくていい人間がするのは異常だろう」

「人間の肉を喰うのが好きな人間というものはいるのさ」

 ルナが答える。

 ズデンカは黙った。考えを整理しているようで、

「同族の肉なんか喰って、何が楽しいんだ」

 と首をひねった。

「憎しみの結果だったり、はたまた愛の証明だったりするんだろう。知らんけど。古い部族は儀式として喰ったりすると聞く。姫が何を思ってしたのかわたしは分からない。というか、そこを聞き出せないかと思ってヒルデガルトまで来た」

「これだけの人だ。無理に決まってんだろ」

 と、ズデンカは否定したが、何か思い付いて、 

「例の『鐘楼の悪魔』が関わってるかもしれんぞ」

 と言った。

「可能性は捨てきれないね」

 ルナは相変わらず曖昧に濁した。

 そうこうしているうちに群衆がざわめき始めた。

 刑吏に引かれて、白いドレスを着た王女が連れてこられたのだ。

 しかし、王女はすこぶる異様な格好だった。後ろ手に枷がされているのは当たり前としても、その顔には仮面が被せられていたのだから。しかも、その口の部分だけがご丁寧に開かれ、小さな鉄格子のような柵が作られていた。

 「人を食わないように、だろうな」

 ズデンカが察した。

 「一国の王女がここまで警戒されるのは珍しいな」

 ルナは顎に手をやった。

 王女を引き立ててきた刑吏の頭と見える男が嘆いていた。

「共和国から命を救われたはずの旧王族が、このような口にすらできぬ大罪を犯すとは!」

「殺せ」
「叩きつぶせ」
「この人喰いが!」

 民衆は叫び声を上げた。中には石を投げる者もいて、王女の仮面へ命中した。

 だが王女は虚脱状態なのか、一向に身動ぎせずに立ち尽くしている。

「凄い憎まれっぷりだな」
「王族には熱心なスワスティカの党員もいたからね。シエラフィータの民をこの世から浄化すべきだ、と唱えながら」

「ルナ……」  

ズデンカは焦った。ルナの過去はほとんど聞いたことがなかったが、スワスティカの民族根絶政策で辛い思いをしたであろうことは想像がついたからだ。

一方、ルナは微笑みを浮かべてズデンカを見つめるばかりだった。

 「これより王女エルゼの処刑を執り行う!」

 刑吏頭の指図で、恐る恐る仮面が外される。流れるようなブロンドの見目麗しいエルゼの顔が露わとなった。外した二人の刑吏は、ずだ袋を被り、身体をしっかりと鎧で覆っていた。

 さっきまで殺せと怒鳴っていた群衆もそれを見て急に静かになった。

「みなさん、わたくしは確かにキンスキーを殺めました。けれど、キンスキーという男は殺められて当然の男だったのです。その理由を話させてくさだい」

 エルゼを両手を広げた。

「魔女め、お前の話など誰が聞くか!」
「そうだそうだ!」

 怒りを取り戻した群衆たちは次々に叫んだ。

 だが、キンスキーその人を知るものは少ないらしく、本人に関する擁護は見られなかった。キンスキーはオルランド公国でこそ、たまに名前を目にした人物だが、故郷のヒルデガルトではそれほどでもないようだ。

「王女の話、ぜひ聞いてみたいね」

 ルナは目を輝かせて言った。早速愛用の古びた手帳と鴉の羽ペンを取り出した。

「慣例として罪人には最期の言葉が許される決まりとなっている。主権者が人民たる共和国ではいかなる者にもそれは許されて然るべきだ。それゆえ、王女エルゼにも権利は与えられる」

 大仰な文句を並べ立て、刑吏頭は告げた。

「ふわぁ~、早くしてくれ、待ってるんだよ」

 ルナは大きなあくびをした。
 化粧もしないのに朱のように赤くみえるエルゼの唇は、自分の物語を話し始めた。

 わたくしは皆から美しい美しいと言われて育ちました。それが正しいか間違っているかはわかりません。

 けれど、わたくしを美しいと思って接してくる者が多いことはわたくしにとって間違いなく一つの災いでした。

 幼い時、周りの廷臣たちはわたくしの美しさを持てはやしながら、その身体に触れていくのです。わたくしはそれが普通のことであるのだと思っていました。

 でも、衿口から手を差し入れられて背中やお尻を撫でられたときは思わず気持ち悪くなって叫んでいました。しかし、相手は笑って離れるばかりです。

 わたくしは大人しい娘と思われていました。実際、お父様お母様に言いつけることは出来ませんでした。王位継承順位は低く、決して目立つ存在ではなかったのもあるかも知れません。お兄様お姉様たちからも優しくされた試しがありませんでした。

 特に三つ上の姉ロザリンドはことのほかわたくしを憎み、意地悪ばかりしてきました。

「指輪はどこにいったの?」

 お父様に頂いた大事な指輪がいつの間にか机の上から消えていたのです。物をなくしたことなどこれまでなかったので、わたくしは大慌てで宮中を探し回りました。

 やがて、その指輪をロザリンドが手にしていることに気付いて、

「返して」

 と掴み掛かりました。普段のわたくしなら考えられないことなのですが、その時は怒りのあまり力が出たのです。

 ロザリンドはわたくしに髪を毟られ、泣き声を上げました。
 色んな廷臣が集まってきたけど、非難されたのはわたくしでした。
 
「あなたは人並み外れた美しさを頂いているのですから、お姉さんを勘弁してあげなきゃいけません」

 わたくしが諭される一方で、ロザリンドは舌を出してこちらを馬鹿にしてくるのでした。

 泣きそうになったわたしが中庭にある大理石の噴水のほとりに坐っていると、

「どうされました、お姫さま?」

 痩せて髑髏のような顔付きの男――キンスキーが近づいてきました。たくさんいる侍従のうちで、その時まであまり知らない存在だったのです。

 わたくしは怖かったので逃げようとしましたが、

「悪いのはロザリンドさまで、あなたさまは悪くないのに」

 そう一言呟いたキンスキー。わたくしはいきなり心の中が暖かくなるように思われ、とうとう泣きじゃくってしまいました。

「かわいそうに、かわいそうに」

 そう言いながらキンスキーは頭を撫でてくれました。

「この宮中で一番かわいそうなのはあなただ。いつも優れた存在でいなければならないと言われ続けるのだから」

 幼いあまり言葉に出来なかったことを言い当てられたような気がしていました。

 キンスキーだけはわたくしに優しくしてくれました。分かってくれるのは、彼だけのような気がしていたのです。わたくしは彼に懐いていました。大人が食べてはいけないという酒が入っているお菓子をこっそりとくれるのです。

「これは二人だけの秘密だからね」

 少しだけ大人の世界に足を踏み入れたようで、うれしくなったものです。
 わたくしが七つの時、スワスティカは崩壊し、同時に王国も潰えました。

 戦後、党員となった王族が犯していた大罪が明るみに出ていく中で、わたくしたちは裁かれ、憎まれる存在になりました。

戦前から私財を蓄え、オルランドでの事業に手を出していたキンスキーはスワスティカと距離を取っていたため、糺弾されることもなく、離散したわたくしたち王族の一部を引き取り、シュミットボンに作られた王族収容施設の管理人になりました。わたくしとロザリンド他の歳の幼い姉妹はみな、厳重にお父様お母様から離され、キンスキーの管理下になったのです。

 キンスキーと暮らせることになってわたくしはとても喜びました。

 宮中での暮らしはわたくしにとっては嫌なことばかりだったからです。

 しかし、ああ、これが地獄の日々の始まりだったとは。

 やってきたその日にわたくしは施設の地下に作られた小部屋へキンスキーに連れていかれました。

「ああやっと手に入れた、手に入れたぞ」

 キンスキーは嬉々として声を上げました。

 そして、わたくしは目隠しをさせられました。

「口を大きくお開け。美味しいものをあげよう」

 またお菓子をくれるのかな。わたくしはそう考えていました。でも、そこに差し出されたのは。

 何が舌先に臭い、しょっぱい味がするものが突き付けられました。わたくしは何か分かりませんでした。

 でも、あえぐキンスキーがわたくしの衿口から肌へ手を入れたとき、ゾッとして目隠しを取り、身を引き離しました。

 はじめ、わたくしはキンスキーがそんなことをするとは信じたくなかった。

 でも、下半身をさらして、鼻息荒く迫ってくるキンスキーを見て、これは本当に起こっていることなんだと思うしかありませんでした。

 キンスキーはわたしを押さえつけ、身を乗り出してきました。服を脱がされ、骨張った手でどこを撫で回されているのか分からないほど何度も何度も触られて、鳥肌が立ちました。

痛みが走って、こらえるのに必死でした。

「じきに気持ちよくなるぞ!」

 そう叫んでキンスキーは何度も何度ものしかかってきましたが、わたくしは皺だらけのキンスキーの興奮した顔が迫ってくるばかりで、ひたすら怖くて泣き叫ぶのを抑えられませんでした。

 何度も抗っていると、とうとうキンスキーも疲れ果てたようで、わたくしから身を離しました。

「ふん。お前の他にも娘はいるんだからな。今度は姉のロザリンドで試してみるか。お前よりは劣るが不細工の方がそそる」

 キンスキーに唾を吐かれたのが分かりました。でも、わたくしは恐怖から逃れられた安心で、ほっと一息ついたのです。

 翌日にはロザリンドが地下室に連れていかれました。

 わたくしは牢獄のような、病棟のような何もない部屋の中に閉じ込められて、何日も出られないままに暮らしていましたから、そこで何が行われたのかはすぐには分かりませんでした。

 でも、憔悴しきったロザリンドが部屋に入ってきたことで、同じことが行われたと理解できたのです。

 隅の方に俯き、三角座りをして身を震わせているロザリンドの姿に、わたくしは正直ざまあ見ろというか、溜飲が下がるものを覚えました。

やや気持ちが落ち着いてきたわたくしは、ロザリンドに近づきました。

「離れて!」

 ロザリンドは顔を隠しながら退けようとしました。
 わたくしはいい気味に思って、

「意地悪ばっかりしてるからそんな目に遭うんだよ」

 と言ってしまいました。今でもこの言葉を後悔しています。

 わたくしは自分が嫌な惨めな思いをしたのに、同じ目に遭った気に食わない姉を嘲笑ってしまった。

 心の安らぎを得ようとしてしまった。

 キンスキーはそこにつけ込みました。ロザリンドには酷く痛めつける日と、優しくする日を別に作ったのです。優しくする日にわたくしがロザリンドの不幸を望んでいるのだと囁きました。

 それは事実でした。でも、ロザリンドが責め苛まれるのは、すべてわたくしの指図だと言うことになっているのでした。

 しかし、当時のわたくしはそのようなことは知るすべがありませんでした。ただ、ロザリンドが深い憎しみの目でわたくしを睨んでくるのが分かりました。

 キンスキーはわたくしを連日連夜犯し続けました。わたくしは最初のうち、声を上げて泣き続けましたが、国民全員が敵なのだから誰も助けてくれないと諦めました。七歳の子供でも、それぐらいは理解していたつもりです。

 次第にこうすればキンスキーを悦ばせ、暴力を振るわれることがないというやり方が分かってきました。

 あえぎ声を上げることです。身を震わせ、絶頂を迎えたふりをすることです。必死に演技を覚えました。

「淫乱な雌餓鬼め。とうとう良さが分かったようだな!」

 と罵りながらキンスキーは喜んでいて、わたしの身体を撫で擦っていました。

 目に見えて待遇は良くなっていきました。

 あちこちから美味しいものを仕入れてきて食べさせてくれました。しかし、噛んでも砂のような味がするのです。

 わたくしは心を殺していました。疼く傷口を象の皮のように硬くして守ったのです。

 ロザリンドはわたくしをさらに憎みました。

 いつものように隅に座っている彼女を見下すように眺めたとき、いきなり太腿に噛み付かれたことがありました。

 わたくしは思わずその頬を叩いていました。

 狂犬のようにロザリンドの目は光り、憎悪で煮えたぎっていました。

「お前ばかりいい思いしやがって!」
「……ざまあないね!」

 乱暴な言葉を使わないようにと育てられたわたくしたちでしたが、キンスキーを見習ってかこうして口汚く罵り合うようになっていました。

ロザリンドはわたくしに組み付き、床へ押し倒しました。

「クソッ、クソッ!」

 とわたくしの頬を何度も何度も殴り付けました。

「なんで、こんな目に!」

 わたくしと違って、ロザリンドは宮中の暮らしが好きだったのでしょう。

 宮中が大っ嫌いだったわたくしは、こちらの方でも優越感を覚えました。

 今ならそれがわたくしたち二人を争わせようとしたキンスキーの策略なのだと簡単に分かりますが、当時は難しかったのです。

 他の姉妹はどうしたかお聞きになりたいでしょう?

 みんな、死んでしまったのです。すでに五年ほど時は過ぎていました。キンスキーは地下に連れていき、さんざんいたぶりましたが興味がなくなると食事も与えず、何もない部屋に放置するのです。餓死する者がたくさん出て来ました。

 仮に死んだとしても新聞には短く一行出るだけで、軽んぜられた存在になっていました。

 キンスキーの眼鏡に適ったのはわたくしとロザリンドだけでした。だから辛うじて生かされたのです。

 でもロザリンドも、だんだん衰弱していきました。

 わたくしは満足に食事を与えられているのに、ロザリンドはキンスキーが気に入った時しか与えられなかったのですから。

 わたくしは十四、ロザリンドは十七になっていました。今のわたくしと同じですね。

 その年、姉は逝きました。

 痩せこけた姉がベッドにぐったりと寝ている時も、わたくしは冷ややかに見下していました。

 何度も犯され、食事すら与えられなかった姉はうつろな目で天井を見つめるだけだったのです。

 やがて、うっすらと涙がその縁を伝って流れ出すのが分かりました。

「エルゼ……」

 姉はわたくしを呼びました。どうせ、馬鹿にする言葉が出るのだろうと思ったわたくしは無視することにしました。

「あの頃は……楽しかったなぁ」

 一瞬、耳を疑いました。罵りの言葉が出るかと思ったのに。

 なおも無視しながら、姉が語ることを聞き逃すまいと身を近づけました。

「二人で一緒に中庭を遊んだりしたよね」

 あの件があって仲違いするまでは二人で一緒に遊んだこともあったんです。

 わたくしは答えませんでした。

「指輪のこと……ごめんなさい」

 姉が続けました。

 そんなことまで覚えていたのか。わたくしは驚きました。やった方は覚えていないものと思っていたのに。

「うらやましかった。お前がお父様に愛されているのが。お前はとても可愛らしくて、みんなから愛を独占していた」

 わたくしの認識とはすっかり違う世界をロザリンドは見ていたのです。死に瀕した姉は、初めてそのことを告げました。

「お父様はわたしに何もくれなかったのに、お前にだけは」

 ロザリンドがお父様から何も頂いていないことを知ったのは初めてです。とくに何も言わずにくださったので、娘には誰でも与えているものだと考えていました。

「お前の指輪を見てどうしても欲しくなってしまったの、美しく輝いていたから」

 わたくしは緑色に輝く指輪を思い出していました。急いで部屋の中をさぐり、抽斗の奥深くに眠っていたそれを取り出しました。多くの持ち物はキンスキーが抜き取っていましたが、子供の指に入るものでとても小さかったためか忘れられていたようです。

 わたくしは何も言わず、指輪を姉へ差し出しました。

 ロザリンドは弱々しくそれを撫でました。

「子供の時、あんなに欲しかったのにね」
「今は欲しくないの?」

「もう大人だもの。それに……」
「それに?」

 ロザリンドは答えず、わたくしの手を握り返してきました。

「ロザリンド!」

 わたくしは思わず名前を叫んでいました。

「わたし、死にたくない。死にたくないよ!」

 そう怯えた顔で呟く姉の目から光が消えていくのが分かりました。

 今まで思ってもみなかった姉への思慕の感情が、突然湧き上がりました。

 わたくしは温もりが消えるまで姉の亡骸を抱きしめていました。
 なぜ、姉は謝ったのでしょうか。死を前にしてわたくしへの怨みが消えたのでしょうか。

 姉もまた被害者なのだ。

 キンスキーに対する怒りすら、姉は表現出来ずに死んだのです。
 時間が経つごとにわたくしは自分の無力さが情けなくなり、キンスキーを許せなくなっていきました。

 キンスキーは最後まで生き残ったわたくしを表面的には丁重に扱いました。

 どう思われているかも知らず。

 メイドを雇い、わたくしの身の回りのお世話をするように命じたのです。

 まるで昔の王女に戻ったようですが、結局どこへも出ることは出来ないし、毎日毎日、キンスキーに抱かれるばかりの日々です。

 嬌声をあげ、演技だけは上手くなりましたが、押し殺してきた憎しみの炎が消えることはありませんでした。

「お前は王女の中で一番美しい。お前が残るのは当然のことだ」

 わたくしが何度美しく生まれたことを呪ったことか。

 二度子供を堕ろしたこともあります。

 キンスキーは醜い自分と美しいわたくしを掛け合わせるのが嫌なのだと呟いていましたが、結局は遺産分割で本妻の子と揉めるのを嫌っただけのことです。

手術が終わった後、麻酔が覚めていくうつらうすらとした意識の中で、何者かが傍にたつのが感じられました。

 メイドでした。いえ、メイドなのですけれど、どこか他人のようにわたくしは感じました。

「キンスキーを殺したいんだね、姫君エルゼ」

 驚くほど、冷たい声でメイドは問いました。 わたくしは朦朧とした中でキンスキーへの殺意を口にしたのでしょう、メイドに聞かれたら大変なことになると、不安な気持ちになりました。

「その願い、叶えてあげるよ。一週間後、はっきり意識を取り戻してもまだその思いが変わらないなら、夜寝る前にボクを呼んで。姫君」

 およそ人間めいたものは感じ取れない声でしたが、わたくしには心強く思えたのです。

 わたくしは頷いていました。

 メイドからキンスキーにこのことが告げられた様子はありませんでした。であれば何を置いても打擲されるはずです。

 一週間後、わたくしは夜ベッドに腰を掛けて、

「キンスキーを殺したい思いは変わりません。わたくしをこのような目に遭わせたあいつが憎い」

「キミが死ぬことになっても?」

 声は闇の中から問い返されてきました。

「もちろん、構いません。こんな暮らしをずっと続けるより、死んだ方がましです」

「よかった。どちらにしろキミは死ななければならない。大罪を犯したヒルデガルトの王族は全て。いや、王族だけじゃない。全ての国の民は死ななきゃいけない。ボクに喰われなきゃならないんだ」

 何を言っているかは分かりませんでしたが、わたくしの願いはキンスキーを殺したい。それだけでした。

「じゃあ、まずキミから頂くね。姫君」

 耳元で声がはっきり聞こえました。

 かくして、わたくしは死んだのです。

 続いて、キンスキーも死にました。

 そして、これから死ぬのはあなたたちです。

 群衆に響めきが上がった。死んだのだとすれば、今目の前にいるエルゼ王女は誰なのか。

 死ぬのは自分たちだとは、一体どう言う意味か。

 困惑の波があたりに広がった。

「実に面白い綺譚《おはなし》だ」

 ルナは満足したようだった。勢いよく羽ペンを走らせ書き終えると、手帳を懐へしまった。そして、

「しかも、おまけまであるらしい」

 と付け加えた。

「何だよ、何が起こるって言うんだ」

 ズデンカまで戸惑っていた。

 返事をする代わりにルナは王女エルゼを指差した。

 今まで話していた王女の腹部が突然赤く血に染まり、十本の指が突き出された。やがて服ごと皮が引きちぎられ、二本の腕が露わになると、頭がにょっと現れた。

 とたんに王女の顔はしわしわと萎れていき、皮一枚になった。嵌められていた枷はそれとともに下へ落ちた。

 王女の中にいたのは背のとても低い少年――

 いや、少女だった。

 短く刈り上げた髪が、居並ぶ者たちにそう誤認させたのだ。
 身にまとうのは誰も見たことがないかたちの外套で、首の部分に頭を覆うフードと紐が付いていた。

 胸部には愛と憎しみリーベ・ウント・ハースと赤と白の糸で縫い取りされている。

 ――もちろん、全ては血に塗れていたものの。

「初めまして。ボクの名前は――そうだな。仮に『大蟻喰』とでも呼んでくれ。反救世主だ。これでも、この世を滅ぼす者でね」

「反救世主。神に逆らう存在――今まで、その名を騙った者は多くてさ」

 ルナはそう言ってニヤリと笑った。

「ボクは人を食べる。いとも気軽にね。そして食べた人間の記憶や能力を全て得ることができるのさ。だけじゃなく、こうやって皮を被ればそいつに成り代わることもできる。姫君の思い出を君たちに話せたのはこう言ったわけさ」

 少年のような少女は、エルゼの皮をおやつのように噛み食いながら処刑台を歩きまわった。

「怪しいやつ!」

 呆然としていた二名の刑吏が我に返り、斧を大蟻喰へ振りかざしてきた。
 あくびをしながら大蟻喰は両手を左右に振った。

「だるい」

 瞬時に二人の刑吏の首が落ちていた。
 大蟻食は返り血を浴びながら、落ちた首を拾い上げてその頬肉を囓った。

「まずいな」

 そうは言いながら大蟻喰は物凄い速度でがりがりと頭の皮を削り、髑髏が覗くまでにした。

「さて、みんな。ボクはね、キミたちを食べなきゃならない。人間というクズな蟻を吸い尽くす蟻喰こそがボクなのだから」

 そう言いながら、一気に押し寄せる刑吏たちの間を擦り抜けつつ、その足や腰を切断していった。

「法によって定められた刑の執行を妨げる不届き者め!」

 そういう刑吏頭の腹へと手を突っ込んで腸を引き出し、ソーセージのように噛み切る大蟻喰。

 「ボクが法だ」

 悶える刑吏頭を踏みつけながら、静かに宣言した。

 その首を捻り切ると、頭蓋をこじ開け中に詰まっている脳味噌を指で掻き回し、舌へ手を持っていき、ねぶった。

 群衆は阿鼻叫喚を上げ、逃げ惑っていた。

「ボクは姫君との約束を守ってキンスキーとやらを喰った。もちろん、死ぬまである程度息が続くようにはしてやった。苦しませてあげなきゃいけないからね。それから、わざと捕まった。君たちを食べるためだ」

 大蟻喰は手を空に向けて広げ、

「血の雨よ、降れ! 『貪食《フェラガイ》』!」

 小さい身体の腹部が突き破られるほど膨張し、巨大な口――並び立つ凄まじく尖った歯を持つ肉塊がうねりながら、群衆へ襲いかかった。

 大蛇のように動きで逃げ惑う群衆をあますことなく噛みちぎり、飲み込んでいく肉塊。

 骨が砕け、髄が散り、処刑を見に訪れた者は結局自らも処刑される側となっていたのだった。

 だが、大蟻喰は視線をルナとズデンカに移した。既にだいぶ群衆から身を引き離して、まろび落ちた臓物の海の中で冷ややかに立っている。

「ルナ! ルナ・ペルッツ!」

 大蟻喰は嬉々として叫んだ。

「やっぱり、キミが来たんだね!」

 轟音と共に己の身内に肉塊を引っ込めると、大蟻食はルナ目掛けて凄いスピードですっ飛んでいった。

「ボクはルナの大脳が食べたい。小脳が食べたい。延髄が食べたい。脊髄が食べたい。食道が横隔膜が心臓が肺臓が肝臓が脾臓が胆嚢が腎臓が十二指腸が結腸が大腸が小腸が虫垂が膀胱が卵巣が子宮が膣が食べたい。キミの全てを食べて、食べ尽くして一緒にならならなきゃならないんだ!」

 そうやってよだれを垂らしながらルナに囓り付こうとするところを強烈な殴打の一撃がはじき飛ばした。

「気色悪りぃんだよ!」

 ズデンカだった。

「わたしは君に食べられてもいいよ。でも、今はだめだ。他にすることがあるから」

 ルナは相変わらずだった。

「お前までなんなんだよ。おい、こいつ知ってるのかよ」

 ズデンカは焦った。

「うーん、すぐには出て来ない、かな」

 ルナは首をひねった。

「この姿じゃ覚えてないかもね。でも……」

 ゆらゆらと立ち上がったかと思うと、大蟻喰は再び跳躍して、ルナの元へ近づいた。 

 それを押さえようと遮るズデンカ。

「食べちゃえばそんなの関係ない!」

 大蟻喰は勢いよく手刀をズデンカの額へ突き立てた。

「脳を食べさせてよぉ!」

 しかし、血は流れない。ズデンカは冷ややかにニヤリと笑った。

「脳が……ない……?」

 大蟻喰は微かに驚いたように見えた。その腹へ思い切りズデンカの回し蹴りが入り、地面へたたき伏せられる。

「あたしは吸血鬼《ヴルダラク》でね。脳味噌はとっくの昔に腐れ落ちて、痛みすら感じねえよ」

 額にぽっかり空いた暗い傷口がみるみるうちに塞がっていく。 

「ヴルダラク……知能が低い僻地の不死者かぁ」

 血の混じった唾を吐き、大蟻喰はうそぶいた。

「ルナに触れんじゃねえ!」

「やーだよ」

 靴で大蟻喰の顔を蹴りつけるズデンカ。相手はその足を掴んで握りつぶそうとした。

 力と力のぶつかり合い。どちらもが物凄い力で押している。

 ややあって二名は柘榴が弾けるように左右に分かれた。

 再び、激しい勢いでぶつかり合う。

 ズデンカと優に二倍近くの身長差があったが、大蟻喰は軽々と跳ね回り、蹴りや手刀を腕に何度も叩き込んだ。

 激しい勢いで斬られてもズデンカはすぐに再生していく。

「キミ、よっぽど、ルナが好きなんだねぇ……ムカツク!」

 大蟻喰の声に少し怒りが混じった。

「てめえはイカれてるよ」

 ズデンカは大蟻喰の打撃を受け止めながら叫んだ。

ルナはそれを冷ややかに見ながらパイプを取り出して煙草を詰め火を点した。

「幻解《エントトイシュング》」

 ルナが次々と吐き出す煙が、あたりを覆い尽くした。

「ああ、ルナの幻想だぁ……」

 大蟻喰はうっとりとした顔をした。

 煙はやがて一つのかたちになっていった。それは先ほど大蟻喰が己の腹の中から引き出した、肉塊と同じかたちをしていた。

「まだ、まき散らされた脳の一つが生きていたらしい。最後に見た光景を再現出来たようだ」

 ルナは平然としていた。ズデンカは大蟻食から離れて、それを急いで横抱きにして走り出した。 

 肉塊は大蟻食へと雪崩懸かっていく。

「しけたげんそーにむくいあれー」

 自分の腕の中でへらへらと半笑いで決まり文句を唱えるルナをズデンカは渋い顔で見つめていた。

ヒルデガルト共和国シュミットボン郊外――

 
「あんだけの騒ぎだ。生存者と見なされたら官憲から事情聴取されるかもしれん」

 やれやれと言ったようにズデンカはつぶやいた。

 二人は馬車に乗ってシュミットボンを離れ去ろうとしていた。

「我々を調べても何も証拠は出ないだろ」

 ルナはまだパイプを燻らしていた。

「何も出なくても、しばらくは拘留される。ずっと同じところにいたらお前は退屈するぜ」
 
 ズデンカは言った。
 
「わたしのことがよく分かってるじゃないか」

 ルナは答える。

「分かりもするさ。いつも行き当たりばったりなんだからな」

 ズデンカは呆れた。

「大蟻喰? だっけは簡単に死にそうなやつじゃない。シュミットボンごと食い尽くすかもしれないよ。我々が留まっていれば救えた命かも知れない」

「それは……」

 ズデンカは躊躇った。

「ふふ。君が真面目に思い悩むのが面白くてあえて言った」
「お前なあ……」

 ズデンカは曰く言い難い声をあげた。

「わたしも君のこと分かってきただろ?」
「半分も分かっちゃいねえな」

「非常に厳しい答えだ。変な奴の相手はごめん被りたいのが人情だよね。我々の旅は人助けじゃなく、面白い綺譚《おはなし》を探しているだけなのだから」

 前発言で自分の心を惑わせたことの埋め合わせなのかとズデンカは頭の中で考えた。

「やつはお前のことを知っているようだった」

「あー、心当たりはあるけどね。でも全然姿が違う」

「違うのになんでわかるんだ?」
 
 ズデンカは訊いた。
 
「雰囲気さ。一緒の時間を過ごした者しかわからないね」

「誰なんだよ」

「言いたくないんだ」
 
 ルナはうつむいた。 

 ――またかよ。

 ズデンカは舌打ちした。

 心の中で微かに疼くものがあるのを感じる。と、言ってもズデンカが痛覚をなくしたのは二百年も前だ。

 身体の痛みについては、こんなものかと想像することしか出来ない。だが、感情の揺らぎをときどき覚え、それを疼きだと呼ぶことにしている。

 今目の前に現れた少女とルナが二人だけの時間を分かち合っているのだと考えると、疼くものを覚えるのだった。

「君は涙さえ流せる吸血鬼だけれど」

 ルナがまた話し始めた。

「脳はなくても、舌はあるんだね。君の臓器は」

「舌って臓器なのか?」

 ズデンカは疑問に感じた。
   
「そうだよ。バラしたら大蟻喰に食べられちゃうかもね」

 ルナは笑った。

「気持ち悪いこと言うな。長く生きてると切れることもあったが、すぐ元通りだったぜ」

「へえ、面白いね。でも脳がないのに、君はどうやって考えるんだろう」

 ルナは興味津々だった。

 ズデンカは困惑した。

「わかんねえよ」

「君はどんな風にこの世界を見ているのかな。わたしの場合、この目から見ている。視覚だね。聴覚があり、嗅覚に、味覚がある。触覚も」

 とモノクルを掛けた目、耳、鼻をクンクンさせながら出した舌を指差し、その手をひらひらと動かす。

「あたしも変わんねえよ。臭いと味には鈍いが、分かりはする。人間だったときと違うのは、痛みを感じねえだけだ」

「どう言う仕組みだろうね。君の頭の中には手で触れない『透明な幽霊』がいるのかな」

「なんだよその表現は」

 ズデンカは詩を書く。だから表現には厳しいのだった。

「誰かの詩からの引用だよ。君に限らず、多くの人間の脳の中にはこの幽霊がいるんだろう」

「あたしと脳がある人間が同じかよ。訳わかんねえな」

「意識それ自体が幽霊だろう。そういう意味なら君もわたしも頭の中に幽霊を飼っていることになる。脳があるかないかは大差ない」

「じゃあ、エルゼ王女や大蟻喰の中にもいるのか」

「あそこで語られた綺譚《おはなし》は王女じゃなきゃ語れないよ。一時にもせよ大蟻喰はエルゼの意識を宿したんだ」

 とルナはパイプを置き、手帳を開いて読み返しながら言った。

「難しいことはあたしにゃ分からん」

「大蟻喰は彼女のなりのやり方でエルゼに共感していたのかもね、って話だよ」

「あんな残忍なやつがねえ」

 ズデンカは信じなかった。

「王女は復讐の代償に喰われることを許した。ならよかったじゃないか。いずれにしろ、わたしじゃあ王女の願いは叶えられなかった。叶えたのは大蟻喰だ」

「……ほんとうに王女は幸せだったのか? 復讐を果たせたとして、あんな最期」

「君は優しいんだね」

 ルナはほくそ笑んだ。

「優しかねえよ」

 そう言い終えて、ズデンカは手綱を動かした。


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