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競馬で勝てないのは、「当てよう」としすぎているからだ

しばらく前から、趣味で競馬を機械学習で分析している。儲けるためというより、データで「どこまで読めるか」を試す実験に近い。

やってみて、いちばん効いた学びは、馬券の当て方ではなかった。「勝負は、当てることより、価格の歪みを探すことだ」という、もっと一般的な考え方のほうだった。これは競馬を離れても、ずっと使える。

「当たるかどうか」は、勝ち負けを決めない

最初は、つい「どの馬が一着になるか」を当てにいこうとする。当たれば気持ちいいし、外れれば悔しい。でも、当たった外れたで一喜一憂しているうちは、たぶん勝てない。

なぜなら、競馬のオッズには、すでに「みんなの予想」が織り込まれているからだ。強い馬は、強いと分かっているから、オッズが低い。当たっても、ほとんど儲からない。逆に、本当に儲かるのは、「実際の勝つ確率より、オッズが過小評価している馬」を見つけたときだけだ。

つまり、問うべきは「この馬は勝つか」ではない。「この馬の本当の勝つ確率に対して、いまの価格は安すぎないか、高すぎないか」だ。当てにいくゲームではなく、値付けのズレを探すゲームだった。

勝率でなく、期待値で考える

ここで効いてくるのが、期待値という考え方だ。

たとえば、十回に一回しか当たらない馬でも、当たれば十一倍になるなら、長く続ければプラスになる。逆に、八割当たる本命でも、配当が低すぎれば、トータルでは負ける。勝率が高いことと、儲かることは、まったく別だ。

だから「九回外して、十回目で大きく取れればいい」という発想になる。一回ごとの勝ち負けに反応するのをやめて、長い目で期待値がプラスかどうかだけを見る。これができるようになると、外れても動じなくなる。外れは、想定の範囲内の一回でしかない。

これは、競馬の話じゃない

この「勝率より期待値」「価格の歪みを探す」という見方は、競馬の外でこそ役に立つ。

投資もそうだ。みんなが良いと思っている銘柄は、すでに値段が高い。歪みは、評価が割れているところにある。仕事もそうで、誰もがやりたがる花形より、価値があるのに過小評価されている地味な役割のほうに、リターンが眠っていたりする。キャリアの選択も、人間関係も、構造は同じだ。

世の中の多くの勝負は、「正解を当てる」ゲームに見えて、実は「価格が歪んでいる場所を探す」ゲームだったりする。

競馬は、それを安い授業料で教えてくれる教材だった。一着を当てる快感より、値付けのズレを冷静に探すこと。これを覚えてから、勝負ごと全般の見え方が、少し変わった。

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