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【荒地の家族】 芥川賞読んでいく:56冊目【2022年受賞作】

芥川賞の受賞作を片っ端から読んでいくということをしています。今回は 第168回 芥川賞受賞作 荒地の家族を読んだので感想を書いていきます。


半年前くらいに読み始めただろうか。暇な時に読み進めていた。東日本の津波の被害を受けた人々の話で、全体的な雰囲気は万年曇り空のようにどんよりとしている。

地震や津波そのものに目を向けるというより、人との関係に焦点を当てている作品だった。個人的に人間関係より自然や物について書いた文章が好きなので、離婚やら地元の関係やらの文章は読んでて退屈ではあった。ただ、時折挟まれる外の描写が結構良くて、それをメモしておきたい。

白くすべすべした無機質な防潮堤はさざ波立った人の心の様をまざまざと表す。災厄直後の亘理の浜に、防潮堤より他に建設するものはなかった。限界まで巨大に設計された防潮堤は、ついこの間経験したばかりの恐怖の具現そのものだった。海からやってくるものの強大さをいわば常時示すように防潮堤は海と陸をどこまでも断絶して走っていた。

津波の後に建設された長大な防波堤を恐怖の具現であると書いている。たしかに再び来るであろう大津波に向けて防波堤を設計するのは理にかなっているように見える。でも、次はいつだろう。その不明確なものに対する恐怖に基づいて、海を過剰に敵視してはいないか。非常を案じすぎて日常を破壊してはいないか。

まあだからと言ってまた津波が来たらどうすると言った時に、それは自然現象だからしょうがないと返事をすれば「無責任」ということになろう。人間は責任を背負って壁を広げていくように思えてならない。

防波堤を抜けて浜へ降りていくと、一人の老人が一斗缶で焚き火をしている。

ほう、と老人は焚き火を注意されると思っていたらしく、祐治がただぶらぶらしているだけだと知ってにわかに警戒を解き、火の熱を帯びて艶々した頰を和ませて「当たらい」と火を指した。
「切った枝も、稲わらも、畦掃除して出たゴミも、前は畑で燃やしたんだけど」

焚き火を禁止したことも人間が建設した壁の一部である。自然のものを何でも危険視し排除していくことを、この作品はところどころで書き出している。

白い要塞のように聳え、海から人を守っているのでなく、人から海を守っているように見える防潮堤に向かって祐治は歩いた。

人から海を守っているように見える防波堤

人が作り出す建造物は人を自然から隔離する。心は自然の賜物であるから、隔離された心は渇いていく。乾いた心に水を垂らすように肉体をひたすらに反復して動かす作業を、作品は描写する。

研いでいるうちに動作が意識を離れ、腕が機械のように自動で前後に動く。刃を玄関の光にかざす。水を振る。没頭する。時間が消える。

昨日森をひたすら歩いている間、身体が森や土の一部になったような感覚におちいった。はじめてではない。動物である人に欠かせない自然とつながっている感覚。

焚き火や海の波や、森の一部としての歩行を失った現代の人間は、抱えた歪みをどこで消化しているのだろう。おそらく消化することなく、身のうちに沈殿し凝り固まるのではないか。

息苦しさ、と人は呼んでいる。


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