【むらさきスカートの女】 芥川賞読んでいく:6冊目【2019年受賞作】
芥川賞の受賞作を片っ端から読んでいくということをしています。
今回は 第161回 芥川賞受賞作 むらさきスカートの女について書いていきます。

この本について何か書かないといけないと思い、本を開きさららとめくってみた。1ページもしるしがついていなかった。
私は読みながら気になったところがあればチェックをつけたり、絶対後で考えたいと思うページにはドッグイヤー(本の端を折って犬の耳みたいにする)をする。
この本には一つもそうしたしるしがなかった。
それに反して、この本のストーリーは驚くほど良く覚えている。本の中へ入り込んで一気読みした覚えがある。彼女の書く文章が読みやすいということもあっただろう。けど、ストーリーも面白かったのだ。どこが面白かったかと言われると困ってしまう。読んでみたらわかる、そういうタイプの本だ。

本の後半にはエッセイがいくつか載っていて、今回そちらを読んでみた。
面白かった。なので、それを今回まとめる。
絵本作家になる夢は、一日であきらめました
十九歳の時、親のお金で一人暮らしをさせてもらっていました。当時、私は学生でしたが、まったく勉強をせず、かといって遊んだりもせず、引きこもりがちな日々を過ごしていました。摂食障害を患っていて、人と食事をすることが何よりも苦痛だったので、常に一人でいたかったのです。この時期に、絵本作家になりたいと思ったことがありました。誰とも関わらなくてよさそうだし、家の中でできるし、何より子供の頃から絵を描くことが好きだったからです。絵本作家になる、と決めた私は、早速ストーリーを考え始めました。十分たっても二十分たっても、何も浮かびませんでした。絵本作家になる夢は、一日であきらめました。
そんなすぐにあきらめるなよ笑
彼女の文章は読みやすい。素直な感じがすごく伝わってくる。
最初の一文は浮かんでいるのに、どうしてもその先が続かない
かれこれ二カ月の間、書いては消し書いては消しを繰り返している。〈わたしは「むらさきのスカートの女」と呼ばれている。〉という最初の一文は浮かんでいるのに、どうしてもその先が続かないのだ。この話、一生完成しないかもしれないな、とかなり弱気になりながらも、翌日は、またドトールへと足を運んだ。
ドトールっていいよね。特にモーニングがうまい。500円。コーヒーもうまい。昼くらいになると混んでくるから、そのくらいになったら退散するんだよね。
〈わたしは「むらさきのスカートの女」と呼ばれている。〉という最初の一文は浮かんでいる
そうか、この本は最初の一文から立ち上げていったんだ。村上春樹もそうした書き方をするとどこかで書いていた。そういう書き方って生き物を育てるみたいで面白いな。
書き方を変えたら物語が進んだ
最初の一文、わたしは「むらさきのスカートの女」と呼ばれている。)を(うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。)に変えたら、物置小屋の片隅でも、書くことができた。
ずっと書けなかったんだけど、視点を変えてみたらスルスルと書けるようになったらしい。わかる、そういうことすごくある。

最初は左のように私自身がむらさきスカートの女だった。書き手と書かれる対象が分離していない。
変更後の文章では、書き手がむらさきスカートの女から分離されている。こうなると書きやすくなる。(なぜだろう)
いったいこの語り手の女は何者なのか。この世界でどう生きているのか。
物語が始まると同時にわたしたちは作品の構造に魅了される。つまり、語り手が女を観察し/読解する一方、読者も語り手を観察し/読解することになるからだ。
読み進めていくと「?」の人物が浮かび上がってくる。
この物語を読んだ人から、こんな質問をいただいた。主人公は二人の女のうち、どちらですか、そもそも二人いるんですか、じつは同一人物なのではないですか。そんなふうに言われると、本当のところはどうだったのか、書いた本人もよくわからなくなってくる。
実際、芥川賞で面白かったものを知人と話したりすると、この本を上げる人は少なくない。

最近始めたThreadの方でも「好きな芥川賞作品ありますか」と尋ねると、この本を上げる人がいた。ネット上でも割と見かける。最近の作品ということもあるけど、一度読んでみるのもいいと思う作品でした。
まとめはこちら
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