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【乳と卵】芥川賞読んでいく:10冊目【2007年受賞作】

芥川賞の受賞作を片っ端から読んでいくということをしています。
今回は 第138回 芥川賞受賞作 乳と卵 について書いていきます。

関西弁でまくし立てるように書いていく口語スタイル、斬新でした。そのうち慣れてきて読みやすくなるのは川上さんの文章力でしょう。

この本を読んだ後に『みみずくは黄昏に飛びたつ』という村上春樹へのインタビュー本を読みました。そこで鋭い質問(分析について等)をされていて興味を持っています。他にも読んでみたい。


文体がすごい特殊

お金のことでお母さんといいあいになって、なんであたしを生んだん、ってこと前にすごいケンカしたときにはずみでゆうてもうたことがあって、あたしはそれをよく思いだす。
セリフ的にまずいなって思ったけど、いきおいで仕方なくて、お母さんは怒ってるねんけど、黙ってしまって、すごい後あじが悪かった。

でも読みやすいですよね。
ホステスのお母さんとその娘が出てきます。

お母さんが仕事の服をきて、しかもあの紫のやつらしいので、自転車で走ってんのを男子に見られて、お母さんのことをみんなの前で面白おかしくゆわれたことがはじまりやった。
そのときにみんなのまえで笑ってごまかしたあたしも厭で、んで色々あって、最後は、泣きそうな顔で仕方ないやろ、食べて行かなあかんねんから、ってお母さんが大きい声で言ったから、あたしはそんなんあたしを生んだ自分の責任やろってゆうてもうたんやった、
でもそのあと、あたしは気がついたことがあって、お母さんが生まれてきたんはお母さんの責任じゃないってことで、あたしはぜったいに大人になって子どもなんか生まへんと心に決めてあるから、でも、あやまろうと何回も思ったけど、お母さんは時間がきて仕事に行ってしもうた。

昨今の親ガチャ論争(子供が生まれたのは親の責任か否か)です。子供をもうけるかどうかは親の意思によるとは思いますが、授かるかどうかは確率的で、生まれるかも確率的ではありますよね。

出産と同じような、意思によるところもあるし、自然によるところもある現象って、他に思い浮かびますか?

受験とか?受験するかは意思によっていて、でも受かるかは確率的なところもある。
自分探しの旅は?いくのは自分の勝手だけど、満足して帰って来れるかは不明確。

出産も自分探しの旅も、現代では忌避されるようなものな気がします。受験はどうなるんでしょうか。

おおきくなるんは厭なことや

いや、という漢字には厭と嫌があって厭、のほうが本当にいやな感じがあるので、厭を練習。厭。厭。

厭ってむずいな。書いたことないかも。

https://reibuncnt.jp/1306#google_vignette 

調べてみました。
嫌は短期的な不快感、厭は長期的な不快感という理解ができそうです。

厭、厭、おおきくなるんは厭なことや、でも、おおきならな、あかんのや、くるしい、くるしい、こんなんは、生まれてこなんだら、よかったんとちゃうんか、みんな生まれてこやんかったら何もないねんから、何もないねんから、と泣き叫びながら今度は両手で玉子をつかんでそれを同時に叩きつけた。

大きく成長するのは子どもにとっては長期的かもしれませんね。何度も何度も反復的に厭だと思ってしまって。
私は早く大人になりたかったな。理不尽な大人から離れたくて、自分が大人になればそれは叶うと思って。

ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで

緑子、ほんまのことって、ほんまのことってね、みんなほんまのことってあると思うでしょ、絶対にものごとには、ほんまのことがあるって、みんなそう思うでしょ、でも緑子な、ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。

お母さんの言葉です。

ヘブンとか読みたいです。文体も変わったとあのエッセイに書いてましたので、それもみてみたい。


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