【火花】芥川賞読んでいく:55冊目【2015年受賞作】
芥川賞の受賞作を地道に読んでいくということをしています。
今回は2015年下半期(第153回) の受賞作 を読みました。
記憶に残った文章:キャラを演じること
芸人の先輩である神谷さんが、主人公の僕の容姿についていろいろ聞いてくるシーンがある。僕は銀髪にして変わった服装をしているからだ。
一見すると独特に見えても、それがどこかで流行っているのなら、それがいかに少数派で奇抜であったとしても、それは個性とは言えないのだと言った。それを最初に始めた者だけの個性であり、それ以外は模倣に過ぎないのだと言った。
それがいかにマイナーであろうと、誰かの真似であることに変わりはない。
例外もあって、たとえば一年を通してピエロの格好を全うするという人がいた場合、これは個性と言っていいとも言った。
誰かの真似であっても、長いこと続ければ、それはそれで認められることもある。カズレーザーとか春日を最初見たとき「また奇抜なのが出てきたな」と思ったけど、今ではもうなんとも思わない。あの格好だけで売れ残ってきたわけではないと知っているから。
でもな、もしそのピエロが夏場に本当は暑いからこんな格好はしたくない。と思っていた場合、これは自分自身の模倣になってしまうと思うねん。自分とはこうあるべきやと思って、その規範に基づいて生きてる奴って、結局は自分のモノマネやってもうてんねやろ?だから俺はキャラっていうのに抵抗があんねん
自分自身の模倣というのはキャラに呑まれるということだろう。というか、奇抜な格好や誰かの真似だったとしても、それになりきって仕舞えば本物になると神谷さんは思っているのだろう。
過去の天才達も、神谷さんと同じように、「いないいないばあ」ではなく、自分の全力の作品で子供を楽しませようとしただろうか。僕は自分の考えたことをいかに人に伝えるかを試行錯誤していた。しかし、神谷さんは誰が相手であってもやり方を変えないのかもしれない。それは、あまりにも相手を信用し過ぎているのではないか。だが、一切ぶれずに自分のスタイルを全うする神谷さんを見ていると、随分と自分が軽い人間のように思えてくることがあった。
神谷さんは自分の能力を信じて、独特な芸を続けたりもする。一方、後半の方では豊胸したり後輩の僕(徳永)の格好を真似たりする。本質的な芸以外には関心がないのだ。
ネットでとある意見を見つけた:芸人が受賞すれば話題になる
なぜこの作品が受賞したかについて

私はこの類の意見はどうでもいいと思う。商業的な側面もあるかもしれないが、どうでもいい。

選考委員の評価

確かに新人らしい気迫や欠落はなかったかもしれない。うまいと思ったけど、えぐられる感覚はなかった。
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