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生きる意味について考えていく-2-【実存主義】

実存主義という言葉を皆さんは知っていますか?

まずは以下の本を引用してみます

物の本質は実存に先立ち、人の実存は本質に先立つ?

実存とは現実存在のことです。つまり触れるものです。
本質とは触れないものです。つまり、脳の中でつくられるものです。

ナイフのような物は、ものを切るという本質が先にあり、その後に作られるので、本質が実存に先立つ。一方、人間は生まれた時には本質(役割と言ってもいいでしょう)がないから、実存が本質に先立つ

これが実存主義のメッセージだと私は思っています。

今回は、このメッセージについて意見があるので書いていこうと思います。

つまり、物の本質は本当に実存に先行するのか?について反対意見を述べます。



そもそも本質とはなんでしょうか。
ナイフの本質は「切ること」
本の本質は「読まれること」
このNoteの本質はなんでしょうか笑
それは私が決めることです。「皆さんに読んでもらうため」だとか「アウトプットしたいから」だとか「文章でお金を稼ぎたい」だとかいろいろ思い付きます。

でも、どれでもあるし、どれでもないというのが正直なところかもしれません。今この記事を書いているのも割と偶然の思い立ちですし、自分の考えを書くことによって整理するためとも言えそうです。

同様に、ナイフは切ること以外にも用途はあります。時には人を脅すために使ったり、命を奪うために使われることもあります。それに切ると言っても、果物だったり肉だったり、紙だったり枝だったり、切られる物は多様です。そうしたものを想定した上で、あなたはナイフを作ったりしますか?あるいは買いますか、ということです。

本質はいわゆる用途役割と言い換えてもいいと思います。そして重要なことですが、実存主義ではそうした用途が変わらないことを本質という言葉で暗示していると思います。

でも、いったい変わらない用途や役割なんてあるのでしょうか?ナイフは錆びてしまえば、その役割を失います。役割が失われれば(研がれない限り)捨てられる運命にあります。

人は自分が捨てられるのが怖いので、そうならないように変わらない役割を求める傾向があります。そんな物はどこにもないのに(私の意見です)変わらない本質を求めている。

本質はないのです。だから、本質が実存に先立つというのは嘘です。言うならば、役割が実存に先立つ物がある、ということになります。

(役割すら実存に先立つのかどうかは別に考えます)

また、その役割ですら見る人によって変わるのです。ただし、ナイフの役割は何かとアンケートを取ったら、切るためにあると答える人が多いでしょう。そうした社会集団における見方の偏りを調べるのは面白そうです。


意味は脳がつくる:条件付け

役割や用途は意味と呼んでも良さそうです。ナイフの意味は切ることにある、と言っても不自然ではないからです。

意味は脳で作られます。だから脳がなければ意味は生まれません。どのように意味が生まれるのか、それに完全に答えることはできません。

ですが、条件付けという現象が鍵を握っているはずです。

パブロフの犬という有名な話があります。なんともないベルの音でも、それを聞かせた後に餌を与え続けていると、ベルの音だけで唾液が出てくるという実験です。

餌という条件を与えたときに、ベルの音で唾液を紐付けできるので条件付けと呼ばれます。

人が役割を想起するときも条件付けだと思うのです。つまり、他人がナイフで肉を切っていたのを見ていたからこそ、人はナイフの役割は肉を切ることだと言えるようになるのです。

これはいったいなんだと思いますか?

これは実験用の鼠を固定するための器具です。固定して脳を開いて、脳に細工するのです。パブロフの犬は今から百年以上も前の実験ですが、現在もこうした器具を使って脳の細部の研究が続いています。条件付けの研究は奥が深く、世界中で多くの研究者たちが日夜研究に打ち込んでいます。

おそらくほとんどの人がこの道具を見ても、なんの役割を持つのかわからなかったはずです。ですが、実際にこの器具は存在するのです。「私はわからなかったが、これを作った人は作る前から役割を想定していたはずだ」という意見にはどう答えましょう。

そこは考え所です。
また、脳においてどのように意味が作られるか、それも私の興味の一つです。今後も記事にしていきます。


今回伝えたかったのは、本質なんてない、変わらない役割がないのだから、ということです。ご意見待ってます。

前回の記事です

人の実存は本質に先立つ。物の本質は実存に先立つ。これをサルトルは本当に言ったのでしょうか。下の本を読んでまた記事を書きます。


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