【爪と目】 芥川賞読んでいく:5冊目【2013年受賞作】
芥川賞の受賞作を片っ端から読んでいくということをしています。
今出せる自分の力で、読んだ本の感想を書いていきます。
今回は、第149回 芥川賞受賞作 爪と目。
「あなた」で進む斬新な書き方
芥川賞選考委員の言葉
「わたし」は「あなた」との、書かれていない「その後」の対話を通じて知らない時間を生き直し、「あなた」の半生を描くと同時に自伝をも書いているのだ。
https://prizesworld.com/akutagawa/senpyo/senpyo149.htm#authorJ149FK
『爪と目』が恐ろしいのは、三歳の女の子が“あなた”について語っているという錯覚を、読み手に植えつける点である。しかも語り口が、報告書のように無表情なのだ。弱者であるはずの“わたし”は、少しずつ“あなた”を上回る不気味さで彼女を支配しはじめる。
物語は三歳の女の子目線で語られていく。彼女は"母親"を「あなた」と呼称しながら、"母親"と彼女の周りで起きたことを淡々と描写していく。少しずつ「弱者であるはずの“わたし”は、少しずつ“あなた”を上回る」感覚を読者に与える。
文体は斬新だけれど、変な違和感がない。
あなたは紅茶を含んだ。熱くて、舌がじわりとしびれた。その文章が、ほの暗い明るさをもってまたたくのがわかった。活字が親しげに微笑み、ひょいと片手をあげて挨拶したみたいだった。あなたは、その文章をもう一度ていねいに読んだ。それから、また適当なページを何度か開いて、そこに書かれている文字のいくらかを読もうとした。でも、もう同じことは起きなかった。ページは、なにかの行列に並んでいる無数の人々を上空から見下ろしているように見えた。顎を上げてあなたを見上げ、目配せをする文字列は見当たらなかった。あなたは本を脇に置き、テレビを点けた。あなたの目の表面に、テレビ画面の色と輝きがちかちかと反射をはじめた。あなたは薄笑いをしていた。テレビを見て笑っているみたいだった。実際には、そうではなかった。あなたはなにかを考えようとしていた。でも、それがなんなのかわからず、考えごとをはじめることができないでいた。言語化できないかたまりが、あなたの脳を圧迫していた。それきりあなたは二度と手を出さなかったから知らないが、その本は架空の独裁国家を舞台にした幻想小説だ。あなたが見つけ、そしてあなたを見つけたセリフは、成り上がりの独裁者が、お抱えの伝記作家に耳打ちした忠告だった。携帯電話がメールを受信した。あなたはそれを機に、考えごとをはじめようとするのをやめた。あなたは、ある意味で脳を機能させる機会を失ったわけだけど、そんなふうには感じなかった。むしろ、フリーズしていた脳が再起動したように感じた。あなたは携帯電話を手に取った。メールは、古本屋からだった。古本屋にとって、会うのに都合のいい日が向こう半月分も列挙されていた。あなたは携帯電話を閉じ、カーテンも閉じた。わたしを迎えに行く時間だった。あなたは、翌日にはもう本のことはほぼ忘れた。古本屋のことも考えなかった。あなたには、やるべきことがあった。
”あなた”というのは”母親”のことである。
「それきりあなたは二度と手を出さなかったから知らないが」という文章から、あなたは知らないが、私は知っている、ことを暗示している。つまり、私は”あなた”が真面目に読まなかった本を読んでいる。目線は三歳児であるが、語っているのは三歳児ではない。それが堀江敏幸の言った「書かれていない「その後」の対話を通じて知らない時間を生き直し」ている意味だ。小説では私が大きくなったその後は描かれていないが、読者にそれすらも想像させるような力がある。
書き手の私は”あなた”を「上回る」。本に集中できず、携帯がメールを受信したような些細なことに絶えず気を取られる。”あなた”が「脳を機能させる」ような考えるべきことを考えられず、他の外部からくることに対してだけ反応し「フリーズしていた脳が再起動したように感じた」と短絡的に錯覚していることに私は気づいている。
”あなた”のように外部のことに気を取られ、内側の声に目を向けないことは誰しも経験しているはずだ。ただ異なるのは、そのことに自分自身気がついているのか、また気がついて内なる声にどれだけ耳を傾けているかが人によるということだ。
あなたの共感と理解は、正確にいえば、あなたが勝手に、している、と規定しただけのもので、それがほんものであるのか、精度がいかほどであるのか外部から審査されることはなかった。あなたは、目の前の子どもよりも、父よりも、あなたの両親や弟よりも、友人たちや恋人たちよりも、そしてあなた自身よりも、彼女たちに共感し、理解したと感じた。
それと同時に、あなたは、あなたがなにに関心を持ち、なにをよろこびとして生きてきたのかさっぱり思い出せなくなっていた。
”あなた”が内の声に耳を傾けられない人間であることは私にバレている。そんな凡庸な人間に、特別な母親を奪われた私の感情が静かに綴られている。読者は否応でもそれを感じ取らずにはいられない。
「あんたもちょっと目をつぶってみればいいんだ。かんたんなことさ。どんなひどいことも、すぐに消え失せるから。見えなければないのといっしょだからね、少なくとも自分にとっては」
これは誰のセリフだろうか。見ないふりをしていれば本当に存在しないのと同じだろうか?
平凡で暴力的な大衆に、大切な人が、非直接的なかたちで消されることの、静かな怒り。
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