異端音像 逸記:弍の廻
――沈み祠の声――
現でも異でもない。
此岸と彼岸の狭間にて、二人の巫女が声を交わす。
彼岸:
曼殊よ、また“沈む声”が聞こえるわ
曼殊:
ええ……水は澄んでいても、そこに眠るのは祝福ではない。呪い。
人を呼び、抱き込み、終わりなく沈めるもの
彼女たちが示すのは、山間に築かれた一つのダム。
一年に十人以上が命を投げる場所。
そこに沈んだ“祠”には、神ではなくノロイが祀られていた――。

沈
黒い水面は、風もないのに微かに揺れていた。
昼はただの貯水湖。だが夜になれば、不気味な噂を孕む水の牢獄。
男は訪れた。
懐中電灯とカメラを抱え、真実を確かめるために。
「祠を……見るんだ」
その瞬間、耳の奥で音がした。
――カタリ。
泡のような囁きが水面から這い上がる。
『おいで……おいで……』
水に映るのは、白い影。
そして、藻に覆われた木造の屋根――沈んだ祠の姿。
正面には、かすれながらも確かに刻まれていた。
「祀:ノロイ」

溺
ノロイの名が呼ばれた瞬間、水面が割れる。
無数の手が伸び、男の身体を掴む。
それは人の手でも、水の手でもない。
“名を失った者たち”の手だった。
男は叫ぶこともできず、カメラごと黒い水に沈んでいった。
翌朝、ダムの駐車場には一台の車が残されていた。
助手席に置かれていた濡れたカメラには、最後の数秒だけ“祠の扉が開く瞬間”が映っていたという。
その日から、また一人、そしてもう一人と、ダムは命を呑み込んでいった。
終りに…

彼岸:
ノロイは眠らぬのね。水に溶け、命に入り、呼び続ける
曼殊:
そう、人は知らぬまま、喉を潤す水にさえ、祠の残響を受け入れている。
――だからこそ、この物語は終わらない
黒い水は今日も澄み切っている。
だが、風のない夜に限って、確かに囁きが聞こえるのだ。
『おいで……水はまだ、満ちていない……』
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