他人の不幸で、自分の幸福を再確認したくないよねという話
価値観をバージョンアップする場所
私はTwitterが結構好き。
最近はThreadsもよく見るのですが、
どちらも共通しているのは、
1つの物事に対して、
あーでもないこーでもない
と気軽に意見を述べ合える場所ということ。
私は炎上が怖くて発言しませんが、
ツリーを見てふむふむする時間が好き。
まるで、ディベートを観覧してるような感じ。
自分とは180°違う意見があれば、
こういう考え方をする人もいるんだ!
と、自分の視野が広がるし、
私の考え方と近い人が袋叩きにあっていると、
考えを改めたり、軽率な発言はやめよう!と
言動に気をつけることが出来ます。
時代ともに価値観や常識は変わるので、
価値観をバージョンアップするためには、
TwitterやThreadsは良い場所だと思います。
他人の悩みや不幸話で、
自分の幸福を再確認したくない。
しかし、これは嫌だな〜って思う時もあります。
例えば、
「夫婦生活が上手くいっていません。
旦那が〜〜で、離婚を考えてしまいます」
みたいなツイートに対して、
「私の旦那は家事育児めっちゃ手伝ってくれる
スパダリなんだ!私って幸せ者なんだ!」
のようなコメントがついている時。
なんてこと言うんだよ!
と、モヤモヤしてしまいます。
色々な意見があって、それを読むことで
価値観をアップデートする場所なので、
色んな意見があるのはわかるけれど、
人の悩みや不幸話をしている場で、
自分の幸福を再確認するのは違うんじゃない?
と思うんです。
ただ心の内で幸せだと思ったなら、
それは帰って旦那さんに愛や感謝を伝えるのが
みんながハッピーになれる選択だと思うんです。
高校時代、私は二重幅が狭いことが
コンプレックスでした。
二重整形を受けたいと思っていた時期もあって、
奥二重の友だちとその話をしていたときに、
その場にいたぱっちり二重の子が、
「大変だね。私は二重でよかった〜」
と、悪気なく言ったんです。
仲の良い友だちだったので、
「おーい!ひどいよー!」
と、笑いながら言いましたが、
ちょっぴり嫌な気持ちになりました。
戦争をしている地域のニュースを見て、
その人たちの目や耳に届く場所で
日本に生まれてよかった〜とは言わないし、
経済的に困窮している人の前で、
私にはお金があってよかったー!
とは言わないですよね。
例え些細なことであっても、
現実で顔を合せない相手でも、
そういう配慮はしたい。
私の父方の家系は武道一家なので、
例え試合に勝っても、明日は我が身。
相手の前で喜んだり笑顔を見せたりしない事が、
武道の精神だと教えられてきました。
礼に始まり礼に終わる。ということですよね。
絶対的な幸せの見つけ方
色々言いましたが、結局のところ、
人の不幸で自分の幸福を実感しても、
それは相対的な幸せでしかないんです。
自分がただただ幸せと思える絶対的な幸せを感じていく方が、精神衛生上良いはず。
わざわざ、他人と比べる必要はないんです。
でも、人間は無いものねだりだから、
絶対的な幸せを探すって難しい。
そんな時は、誰かのハッピーな話で、
自分の幸せを見つけてみるのが良いですね。
こんな美味しいものを食べたとか、
こんな素敵なものを見たとか、
こんな良い思い出が出来たとか。
そんな話を聞く中で、
私も最近こんな良いことがあった!
それってとても幸せなことだったんだ!
と、見落としていた幸せを拾い上げてみる。
noteを読んでいると、他人の悩みや不幸話で、
自分の幸福を再確認するようなコメントをする人を見かけませんし、日常の小さな幸せや気づきを発信している方がとても多いように感じます。
私が楽しみながらnoteを書いたり読んだり出来るのは、そういう理由だったんだ(oˆ罒ˆo)
と、これを書きながら気付けた⸜(*˙꒳˙*)⸝
これもまた1つハッピーなことだ🍀
