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【VOL.40】奈良大和七福神⑤ 談山神社|大化の改新の記憶と、木造十三重塔の山

こんにちは。

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

桜井識子さんの著書『七福神めぐりのすごいひみつ』を読んで始めた七福神めぐりも、鎌倉・江の島、京都の都七福神を経て、今回の奈良へとつながってきました。

今回は、奈良大和七福神八宝霊場めぐりの2日目の午後に参拝した、談山神社(たんざんじんじゃ/福禄寿神)をご紹介します。

実は、第2回の記事でも少しふれたのですが、1日目は霧と豪雨のため、あと1kmという地点で引き返すことになりました。

そして2日目、あらためて参拝できた談山神社は、「大化の改新ゆかりの地」と「古塔中現存唯一ともいわれる木造十三重塔」という二つの顔を持つ、とても印象深い場所でした。

紅葉の美しさだけで語るには惜しい神社です。

ここは、藤原鎌足公をお祀りし、日本という国のかたちが大きく変わる前夜の記憶を宿す、祈りと歴史が重なる山の聖地でもあります。

今回は、その奥行きまでゆっくりご紹介できればと思います。

奈良大和七福神の中での談山神社

まず、今回の八宝霊場の構成をあらためて整理すると、次の八ヶ所になります。

・長谷寺(大黒天)

・談山神社(福禄寿神)

・安倍文殊院(弁財天)

・おふさ観音(恵比寿天)

・岡寺(寿老神)※2023年8月に久米寺から変更

・當麻寺中之坊(布袋尊)

・信貴山朝護孫子寺(毘沙門天)

・大神神社(七福倍増)

談山神社は、このなかで「福禄寿神」を担っています。

福はしあわせ・福徳、禄は経済的な豊かさや地位、寿は健康・長寿。

七福神のなかでも、「仕事・お金・健康」という人生の三大テーマをまとめて見守ってくださるような存在で、大きな決断や転機のタイミングと相性がよいといわれています。

福禄寿神

「談(かたら)い山」と大化の改新の記憶

談山神社が建つ多武峰(とうのみね)は、もともと山岳寺院「妙楽寺」として開かれ、のちに藤原鎌足公をお祀りする神社へと姿を変えてきた場所です。

御祭神は、藤原鎌足公。

中臣鎌足、のちの藤原鎌足をお祀りし、藤原氏の始まりと、大化の改新の記憶に深く結びついています。

社伝や『多武峰縁起』によれば、その物語は一つの出会いから始まったと伝えられています。

飛鳥・法興寺の蹴鞠会で、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が出会い、蹴鞠の最中に飛んだ皇子の沓を、鎌足が拾って差し出した—そんな場面が語り継がれています。

一つの沓を拾う所作から、やがて国を動かす二人の縁が結ばれていった、というのは、なんとも印象的な始まりです。

その後、二人は蘇我入鹿の政をどうするかを話し合い、藤の花の下で「撥乱反正(はつらんはんせい)」の謀を談じたと伝えられています。

この「談(かたら)い合った山」が、「談山(たんざん)」「談所ヶ森」という名の由来になったとされています。

やがて皇極天皇四年(645)、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿が討たれ(乙巳の変)、その後の政治改革が大化の改新と呼ばれるようになりました。

歴史の評価には諸説がありますが、談山神社は、その大きな転換の原点を伝える場所とされています。

さらに天智天皇八年(669)、病の重くなった鎌足を天智天皇が見舞い、大織冠・内大臣という最高位とともに「藤原」の姓を授けたと伝えられています。

藤原氏は、ここから始まったとされます。

静かな山の奥で交わされた話し合いが、日本の歴史を大きく動かしていった—そう思いながら石段を登っていくと、ただの観光地ではない、何か大切なことを決めるための特別な空間のように感じられました。

鳥居と社号標


妙楽寺から談山神社へ─神仏習合の記憶

談山神社を理解するうえで欠かせないのが、この地がもともとお寺だったという歴史です。

鎌足公の没後、そのお墓は摂津国阿威山(現在の大阪府高槻市付近)に造られたと伝えられています。

その後、唐から帰国していた長男・定慧(じょうえ)和尚が、白鳳七年(678)に遺骨の一部を多武峰の山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して「妙楽寺」と称した、とされています。

さらに大宝元年(701)には神殿が建てられ、鎌足公の御神像がお祀りされました。

これが談山神社の始まりと伝えられています。

談山神社は、鎌足公の供養と、廟所と、神としてのお祀りが、一つの山の上で重なってきた場所なのです。

長く妙楽寺と一体であった多武峰は、明治初めの神仏分離令ののち、神社だけが残りました。

それでも境内には、塔や講堂といった仏教的な祈りの名残が、今も静かに息づいています。

神社でありながら塔が立ち、講堂が残る—この神仏習合の姿こそ、談山神社を特別な場所にしているように思います。

古塔中現存唯一ともいわれる木造十三重塔

談山神社といえば、やはり木造十三重塔が象徴的な存在です。

社伝では、鎌足公の長子・定慧和尚が、父の供養のために白鳳七年(678)に創建した塔と伝えられています。

現在の塔は享禄五年(1532)の再建で、高さは約17メートル。古い木造十三重塔として、古塔中現存唯一ともいわれる貴重な建造物で、重要文化財に指定されています。

鎌足公の墓塔・供養塔としての性格を持つとされ、華やかな名所である前に、鎌足公を弔い、祀り、語り継いできた信仰の中心なのだと感じます。

山の斜面に張り付くように建つ朱色の塔は、紅葉の時期には特に存在感を放ちます。

遠くから見ると、山の緑と朱のコントラストが強く印象に残り、近づくと、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が一段一段、丁寧に重なっている様子がよくわかります。

下から見上げると、上にいくほど屋根の間隔が少しずつ詰まり、全体のバランスを取っているように見えました。

古い建物が好きな私は、「この屋根は、何十年かごとに葺き替えが必要だと聞いたことがある」と思いながら眺めていました。

これだけの規模の塔を、何百年ものあいだ守り続けてきた人たちの技術と積み重ねに、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。

木造十三重塔


塔の正面には、神廟拝所(じんびょうはいしょ)があります。

これは定慧和尚が父の供養のために建てた、旧妙楽寺の講堂と伝えられ、塔の正面に仏堂を置くという、神仏習合ならではの伽藍配置を今に残しています。

内部の壁には羅漢や天女が描かれているとされ、塔と講堂が向かい合うこの構成そのものが、談山神社の歴史を静かに語っているようでした。

十三重の塔を見上げながら感じたのは、「いきなり十三段目には行けない」という、ごく当たり前のことです。

一段目は生活の基礎、二段目は健康、三段目は仕事、四段目はご縁……というように、自分の人生の「段数」を、一段ずつ思い浮かべたくなります。

福・禄・寿を担う談山神社で、この十三の段を見上げる時間は、自分の積み重ね方を静かに見直すきっかけになりました。

朱塗りに極彩色─社殿と建築の美しさ

談山神社は、「関西の日光」ともいわれるほど、社殿建築が豊かな神社です。

御本社の本殿は、江戸時代に造替されたと伝えられる三間社隅木入春日造(さんげんしゃすみきいりかすがづくり)の、朱塗極彩色の華やかな社殿です。

旧別格官幣社として格式を持ち、その細やかな意匠や彩色の美しさは、日光東照宮の手本になったともいわれています。

本殿を囲むように立つのが、拝殿・楼門・東西透廊です。

永正十七年(1520)の造営とされる朱塗り舞台造の拝殿は、中央の天井が伽羅(きゃら)の香木でつくられていると伝えられ、折れ曲がりながら本殿を囲む透廊の檜皮葺の屋根も、たいへん美しいものでした。

境内には、このほかにも見どころが点在しています。

もとは常行堂であった権殿(ごんでん)は、室町の頃に盛んになった芸能「延年舞」で知られ、今も芸能上達を願う人々の祈りの場とされています。

閼伽井屋(あかいや)の井戸は「摩尼法井(まにほうい)」と呼ばれ、かつて定慧和尚が法華経を講じたとき、龍王が現れたという伝承が残されています。

本殿の左右には校倉造の東宝庫・西宝庫が対になって立ち、山内には、かつての妙楽寺の記憶を伝える如意輪観音堂も残されています。

定慧和尚が唐から持ち帰ったと伝わる霊木「菴羅樹(あんらじゅ)」があるのも、この山ならではの奥ゆかしさです。

山に広がる、摂社末社の祈り

談山神社の魅力は、御本社だけにとどまりません。

山のあちこちに、さまざまな神さまをお祀りする摂社末社が点在し、祈りが幾重にも重なっています。

歴史の重みを持つ聖地だからこそ、まずは祓戸社(はらえどしゃ)で心身を整えてから、境内へ進みたいところです。

祓戸大神をお祀りし、六月と十二月の大祓式もこの社の前で執り行われると伝えられています。

境内の一角には、鏡女王(かがみのおおきみ)をお祀りする恋神社(東殿・若宮)があります。

鏡女王は鎌足公の正室とされる女性で、旧本殿を移築した重要文化財のお社に、定慧和尚・藤原不比等とともにお祀りされています。

縁結びの神として信仰が厚く、「むすびの岩座」と呼ばれる岩をそっと撫でてからお参りすると、ご縁が結ばれやすいと伝えられています。

公式の案内では、本殿正面からお参りし、時計回りに背後へ回ってお参りし、正面に戻って再びお参りする、という作法が紹介されています。

もちろん、周りの状況に合わせて、ご自身が落ち着ける形でお参りするだけでも十分です。

恋愛だけでなく、一緒に働く人とのご縁や、これから進む道とのご縁を、まとめて結び直す時間にもできる場所だと感じました。

御本社が鎌足公をお祀りする中心であるなら、天神地祇・八百万神をお祀りする総社は、祈りを大きく広げる場所です。

延長四年(926)の勧請と伝えられ、日本最古の総社ともいわれています。

その拝殿には唐破風がかけられ、狩野永納の筆と伝わる壁画が残るとされ、建築と美術の両面で心惹かれるお社でした。

さらに山内には、旧称を山王宮といい、飛鳥の大原から移されたと伝わる比叡神社本殿、暮らしや商いを支える稲荷神社、商売繁昌・学業成就・芸能や財運の祈りが重なる三天稲荷神社(宇賀魂命・菅原道真公・市杵島姫命)、多武峰の山の神をお祀りする山神神社(大山津見命)、木の神をお祀りする杉山神社(久々能智神)、天照皇大御神をお祀りする神明神社などが点在しています。

檜皮葺の社殿や木造の塔を見守るように立つ杉山神社は、木を大切にしてきたこの山にふさわしいお社に思えました。

藤原氏ゆかりの地らしく春日社も鎮まり、奈良の春日信仰とのつながりも自然に感じられます。

摂社末社を「ご利益の一覧」として巡るというより、山の神、木の神、水の神、稲荷、天神、天照、春日……と、さまざまな祈りが重なり合っていく広がりそのものを味わえるのが、談山神社の奥深さだと思います。

龍神社と龍ヶ谷──岩と水の、古い祈り

摂社のなかでも、ぜひ心にとめておきたいのが、龍ヶ谷にある龗神社(おかみじんじゃ)・龍神社です。

公式の案内では、龍ヶ谷の滝と岩座は、古神道の信仰の姿を今に伝える霊地とされています。

古代の信仰では、神聖な岩に天上から神さまをお迎えして祭祀を行ったと伝えられ、この滝は大和川の源流の一つともいわれています。

やがて飛鳥時代に大陸から龍神信仰が入り、日本の水神である高龗神(たかおかみのかみ)と結びついて、龍神社と呼ばれるようになったとされています。

朱塗りの社殿や十三重塔の華やかさとは対照的に、ここには岩と水と山の気配がそのまま残されているといいます。

神社として整えられる以前の、もっと古い祈りの記憶にふれられる場所として、静かに手を合わせたいところです。

谷筋は足元が不安定なこともあるため、訪れる際は無理をなさらないようご注意ください。

御破裂山─山が異変を告げると伝わる場所

本殿の裏手には、御破裂山(みはれつやま)があります。

藤原鎌足公の墓所と伝えられ、「国家の大事の前に山が鳴る」「山が鳴ると、本殿の鎌足公像にひびが入る」という伝承が語り継がれてきました。

もちろん、実際にその瞬間を体験したわけではありません。

静かな山中で風の音を聞いていると、「山全体がひとつの存在として生きている」という昔の人の感覚が、少しだけ分かる気がしました。

社殿だけでなく、山そのものが祈りの対象であり続けてきた—談山神社は、そんな山なのだと思います。

この神社は、こんな方におすすめです

談山神社は、紅葉や十三重塔の美しさだけでなく、歴史の転機と、自分の人生の転機を静かに重ねてみたい方におすすめしたい神社です。

・人生の大きな決断や転機を前に、心を静かに整えたい方

・藤原鎌足公や大化の改新など、日本の歴史の転換点に思いをはせたい方

・神仏習合の建築美──朱塗りの社殿や木造十三重塔にひかれる方

・社殿だけでなく、山そのものを祈りの場として味わいたい方

・恋愛にかぎらず、人・仕事・これから進む道とのご縁を結び直したい方

・七福神めぐりを、奈良ならではの深い歴史とともに巡ってみたい方

📚 一段ずつ積み重ねた歩みが、ゆるがない景色へと続いていく。

御朱印


アクセス・参拝前に確認したいこと

・所在地:奈良県桜井市多武峰319

・公共交通:JR・近鉄「桜井駅」からバスで約30分、「談山神社」バス停下車、徒歩約5分

・お車:南阪奈道路 葛城ICから約40分(山道・カーブが多めです)。駐車場はありますが、紅葉シーズンは早い時間に満車になることもあるため、午前中の到着がおすすめです。

・拝観時間・拝観料(目安):8:30〜17:00ごろ、大人600円・小学生300円前後(ライトアップ期間は延長されることがあります)

・服装・持ち物:歩きやすい靴、雨具、防寒具。石段と勾配のある参道が続き、霧や雨の日は滑りやすくなります。

・季節の見どころ:春は桜と新緑、夏は深い緑、秋は3,000本ともいわれるモミジの紅葉とライトアップ、冬は雪化粧の十三重塔(積雪状況によります)。

御破裂山や龍神社まで足をのばす場合は、さらに山道が続くため、足元と服装にじゅうぶんな準備を。

拝観時間・拝観料・ライトアップ日程は季節や行事により変わる場合があります。

特に紅葉期や夜間拝観を予定される方は、出発前に公式情報を確認しておくと安心です。

なお、本記事でふれた縁起やご利益は、古くからの信仰・伝承に基づくものです。

まとめ|歴史の転機と、人生の転機が重なる山

奈良大和七福神八宝霊場の旅のなかで、談山神社はこんな役割を担ってくれたように感じます。

當麻寺中之坊:今の自分を一度落ち着かせて整理する場所

長谷寺:これから前に進むための力をいただく場所

大神神社:七福神のご縁をまとめて「七福倍増」させる場所

安倍文殊院:知恵を授かり、頭を整理する場所

おふさ観音:心をゆるめ、癒やされる場所


:「人生の方向性を、少し変えてみようか」と静かに相談したくなる場所

一度は霧で引き返し、あらためて参拝できたことも含めて、ここは「簡単にはたどり着けない山だからこそ、タイミングが大切」「無理にこじ開けるのではなく、タイミングが合ったときに、自然と道がひらく山」なのだと思いました。

日本の歴史が大きく動いた場所で、自分自身のこれからを見つめ直す。

歴史の転機と人生の転機が、静かに重なる山でした。

七福神めぐりの途中で立ち寄る方は、ぜひ、いま変えたいこと、これから育てていきたいこと、守りたいご縁—この三つを心のなかで整理しながら、十三重塔と山並みを眺めてみてください。

次回は、奈良大和七福神八宝霊場の結願の寺「岡寺」(寿老神)についてご紹介していきたいと思います。

さらに奈良の七福神めぐりのあとは、これまで巡ってきた関東の神社仏閣めぐりについても、少しずつご紹介していく予定です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が、あなたを次の旅へと、背中をやさしく押せますように。

どうか良い一日をお過ごしください。

📚 あわせて読みたい関連記事

第1回:信貴山・朝護孫子寺(毘沙門天)

第2回:當麻寺中之坊・長谷寺・談山神社(布袋尊・大黒天・福禄寿神)

第3回:大神神社(七福倍増)

第4回:安倍文殊院・おふさ観音(弁財天・恵比寿天)

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