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【VOL.60】冬の都七福神まいり|「長寿」「延寿」「福運」を結ぶ三つの祈り|行願寺(革堂)・赤山禅院・妙円寺 🛕

こんにちは。

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。

前回から、2025年2月21日から27日にかけて巡った、愛知県~静岡県~山梨県~神奈川県~千葉県~栃木県~埼玉県、そして京都府のパワースポット旅を、数回に分けてご紹介していきます🗾

【7日目】2025年2月27日(木)京都府(京都市内)

  • ①東寺(毘沙門天)🛕

  • ②萬福寺(布袋尊)🛕

  • ③六波羅蜜寺(弁才天)🛕

  • ④ゑびす神社(恵比須神)⛩️

  • ⑤行願寺 革堂(寿老人)🛕

  • ⑥赤山禅院(福禄寿)🛕

  • ⑦妙円寺(大黒天)🛕

この記事では、その7日目に訪れた「行願寺(革堂)・赤山禅院・妙円寺」をご紹介します。

【目次】

  1. 都七福神まいり、結願への後半|三つの寺院を歩く

  2. 行願寺(革堂・寿老人)|慈しみから生まれる、本当の「長寿」

  3. 赤山禅院(福禄寿)|護摩の炎が教えてくれた、手放す勇気

  4. 妙円寺(大黒天)|すでにある豊かさに気づく、静かな場所

  5. まとめ|三つの「福」が照らした、日常の在り方



1. 都七福神まいり、結願への後半|三つの寺院を歩く

前回、萬福寺・六波羅蜜寺・ゑびす神社を巡った都七福神まいり。

今回はその続きとして、行願寺(革堂)・赤山禅院・妙円寺を訪ねました。

全行程もいよいよ後半に入り、一箇所ずつ丁寧に参拝を重ねていくタイミングです。

七福神と聞くと、どうしても"ご利益"に意識が向きがちかもしれません。

けれど実際に巡ってみると、それ以上に「今の自分と向き合う時間」が得られることに気づかされました。

何かをお願いするというより、日々の中で崩れた「心の優先順位」を、本来あるべき場所に整えていくような感覚です。

この日の参拝は、願いを積み上げるよりも、今の自分の状態を点検するような、穏やかな時間になりました。

SNSでも、行願寺の賑わう様子や、赤山禅院では護摩の火に心癒されたという声を見かけますが、その季節ならではの空気を肌で感じる一日でした。

2. 行願寺(革堂・寿老人)|慈しみから生まれる、本当の「長寿」

⛩️ 基本情報:行願寺(革堂)

  • 正式名称:霊麀山行願寺(れいゆうざんぎょうがんじ)

  • 通称:革堂(こうどう)

  • 宗派:天台宗

  • 御本尊:千手観音菩薩

  • 七福神:寿老人(じゅろうじん)

  • 由緒:1004年(寛弘元年)、行円上人によって創建。
    上人が狩りで射止めた牝鹿の腹に宿る子鹿を見て深く悔い、その皮を生涯身に纏い、諸国を巡って供養と教化に努めたことから「革堂」の名が付いた。

  • 寿老人について:中国の道教に由来する長寿の神。
    不老長寿・福財・子宝・諸病平癒のご利益があるとされる。
    鹿を従えた姿で描かれることが多い。


行願寺(革堂)に着いてまず感じたのは、境内のサイズ感と、人の気配の心地よいバランスでした。

こじんまりしているのに、思った以上に人が多い。

SNSで見かけた「午後でも混んでいる」という感想に、素直にうなずいてしまいました。

都七福神では、行願寺は寿老人で知られています。

寿老人と聞くと、「長生きできますように」という願いが真っ先に浮かぶかもしれません。

でもこの日、私が強く感じたのは、"年齢の数字"というより、「日常を丁寧に整える」という姿勢でした。

行円上人が鹿の皮を纏って生涯を過ごしたという逸話。

命を奪ってしまったことへの深い悔恨と、だからこその慈悲の心。

この背景を知ると、「長寿」という言葉の意味が少し変わってきます。

長く生きることは、ただ時間が過ぎることではなく、一日一日を慈しみながら、心を若々しく保つこと

そんなメッセージが、静かに境内に漂っているように感じました。

寿老人堂は格子越しにお姿を拝む形式になっていて、「直接は見えない」という絶妙な距離感が、かえって祈りを丁寧にさせるのかもしれません。

長寿を願う時、人は「未来」を見ます。

一方で、未来だけを見ていると、今日の体調、今日の気分、今日の人間関係が置き去りになります。

行願寺の賑わいを見ていると、みんな何か大きな願いを抱えているというより、「まずは元気でいたい」「家族が平穏でいてほしい」という、生活に一番近い祈りが集まっているように感じました。

3. 赤山禅院(福禄寿)|護摩の炎が教えてくれた、手放す勇気

⛩️ 基本情報:赤山禅院

  • 正式名称:赤山禅院(せきざんぜんいん)

  • 宗派:天台宗(比叡山延暦寺の別院)

  • 御本尊:赤山大明神(泰山府君)

  • 七福神:福禄寿(ふくろくじゅ)

  • 由緒:888年(仁和4年)、慈覚大師円仁の遺命により、その弟子・安慧が創建。京都御所から見て北東(表鬼門)に位置し、都の守護を担ってきた。
    気学発祥の地ともされる。

  • 福禄寿について:中国の道教由来の神で、福(幸福)・禄(財運)・寿(長寿)の三徳を授けるとされる。
    長い頭と長い白髭が特徴で、杖と巻物を持つ姿で描かれる。

次に向かった赤山禅院は、空気ががらりと変わりました。

同じ「七福神まいり」でも、ここは"にぎわい"より"心地よい緊張感"を感じる場所です。

赤山禅院は福禄寿で知られています。

福禄寿は、福(しあわせ)・禄(生活の安定)・寿(長寿)という三つの徳をまとめて象徴する存在です。

私にはこれが、「どれかだけ良くなればいい」のではなく、人生のバランスを崩さないというメッセージに感じられました。

京都御所の北東、いわゆる表鬼門に位置するこの寺院は、平安時代から都の守護を担ってきました。

ここに赤山禅院を置くことで、都全体を守る結界としての役割を果たしてきたのです。

境内に足を踏み入れると、その"守護"のエネルギーが伝わってくるような、凛とした空気がありました。

SNSでも、新春の大護摩供の体験談が話題になっていましたが、実際に護摩の火を前にすると、気持ちが熱くなるというより、逆に冷静になっていきました。

炎は力強いのに、こちらの頭の中は静かになっていく。

「何がしんどいのか」
「何を後回しにしているのか」。

そういうことが、普段は曖昧にしていることが、誤魔化せなくなる感覚がありました。

護摩は"願いを叶える儀式"として語られがちですが、私には、溜め込んだ疲れや迷いを手放して、次に進むための区切りのように感じました。

燃やすことで何かが消える、というより、燃えている炎を見つめながら「今、何を手放すべきか」という順番を決められる。

この感覚こそが、赤山禅院の持つ強さなのかもしれません。

境内には福禄寿殿のほかに不動堂もあり、こちらは穴場的なスポットとして静かに佇んでいます。

大護摩供の熱気とは対照的な、この静寂が心を落ち着かせてくれました。

4. 妙円寺(大黒天)|すでにある豊かさに気づく、静かな場所
⛩️ 基本情報:妙円寺(松ヶ崎大黒天)

  • 正式名称:妙円寺(みょうえんじ)

  • 通称:松ヶ崎大黒天

  • 宗派:日蓮宗

  • 御本尊:大黒天

  • 七福神:大黒天(だいこくてん)

  • 由緒:1616年(元和2年)、日蓮宗の寺院として松ヶ崎の地に開創。
    京都の「五山送り火」で知られる「妙法」の山裾に位置し、古くから地域の人々の信仰を集めてきた。

  • 大黒天について:インド由来の神で、台所の守護神・福運招来の神として信仰される。
    打ち出の小槌を持ち、米俵の上に立つ姿が有名。
    七福神の中で唯一、仏教由来の神様。


最後に訪れた妙円寺(松ヶ崎大黒天)は、前の二つとはまた違い、生活の気配を身近に感じる場所でした。

都七福神の中で大黒天を祀る寺社は、"金運"や"台所"といった言葉で語られることが多い場所です。

大黒天と聞くと、どうしても華やかな金運のイメージが先に立つかもしれません。

この日の参拝で心に残ったのは、もっと等身大で現実的な感覚でした。

それは、「足りないもの」より「今、すでに機能している日常」に目を向けるという視点です。

毎日の食事、仕事の段取り、家族との何気ない会話。

当たり前の日々が、何事もなく続いている。

その「変わらない毎日」の尊さを、改めて深く感じました。

七福神まいりは、何か新しい幸せを足していく旅のように思えるかもしれません。

妙円寺の静かな境内に立つと、むしろ逆で、「持っていない」と思い込んでいただけで、実はすぐそばに多くの豊かさがあったことに気づかされます。

松ヶ崎という地域に根ざし、江戸時代から「都の台所」を守り続けてきた大黒天の存在感は、派手に背中を押すというより、日々の足元をしっかり固めてくれるような安心感がありました。

結願を前に、遠くの大きな願いを追いかけるのではなく、今ここにある暮らしを肯定する。

そんな温かな締めくくりとなりました。

5. まとめ|三つの「福」が照らした、日常の在り方

行願寺(革堂)・赤山禅院・妙円寺。

三つの寺院を続けて巡り、心に残ったのは、「願いの種類」以上に、自分自身の祈り方の変化でした。

  • 行願寺(寿老人)では、「未来」を心配するより、今日を丁寧に過ごすこと。

  • 赤山禅院(福禄寿)では、心の重さを放置せず、リセットするための区切りをつけること。

  • 妙円寺(大黒天)では、「足りないもの」を探すのをやめて、「すでにある豊かさ」に気づくこと。

都七福神まいりは、華やかな行事としても楽しめます。

ですが、一歩ずつ進めていくと、意外と自分の心のクセが見えてきました。
不安になると願い事を増やしてしまったり、足りないものばかり数えてしまったり。

そんな自分の等身大の姿に気づけただけでも、参拝した意味は十分にあったと感じています。

「福」とは、何かを新しく手に入れることではなく、今あるものの価値に気づき、それを大切に扱うこと

三つの寺院が、それぞれ違う角度から、そのことを教えてくれたように思います。

次回は、伏見稲荷大社についてご紹介します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が、あなたの次の旅へと、背中をやさしく押せますように。

どうか良い一日をお過ごしください。

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