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第13章 「分ける」という言葉の意味

――同じ図面を見ながら、違うものを見ていた――


父が亡くなった年の初夏、6月18日。家族が集まった。兄夫婦と、弟夫婦と、私たち夫婦。六人だった。

事前に、何を話すかは知らされていなかった。集まってから、土地の話になった。

父が遺した土地は、一枚の畑ではなかった。いくつもの農地があり、山林があり、私と弟がそれぞれ暮らす宅地も、父の名義だった。私たちは、父の土地の上で生活していた。

宅地は、それぞれが住む本人が受け継ぐ。そこは、おおむね決まっていた。話の中心は、農地をどう分けるかだった。

一枚の図面が広げられた。父の土地の、すべてが描かれていた。

その図面に、線と、名前が書き込まれていった。

A4以外の農地は、すべて弟の名前になった。そしてA4にも、一本の線が引かれた。東側に私の名前、西側に弟の名前が書かれた。

弟は、父が遺した農地について、こう言っていた。

「2,000㎡以上欲しい。」

それは、農地全体の、およそ半分にあたる広さだった。

私は、A4を継ぐという父との約束を、心の中に持っていた。だが、弟が稲作を続けたいと望んでいることも、分かっていた。

家族の関係を、これ以上壊したくなかった。だから私は、受け入れた。A4以外の農地を弟に渡し、A4も西側を弟に譲る。私に残るのは、A4の東側だけだった。

それでも、いいと思った。まだ、続けられる場所は残る。そう思っていた。

その代わりに、二つのことを取り決めた。私の家の上下水道管はA4を通っている。その移設の工事は、弟が引き受ける。稲作に使う農機具は、弟が持つ。

図面には、私の名前があった。A4の東側に、確かに書き込まれていた。

A4の東側には、父と二人で育ててきたブルーベリーがあった。父が、木を増やそうと言った。挿し木で苗を作る方法を、私に教えてくれた。私は毎年それを続け、苗は二百本を超えていた。

ブルーベリーは、植えてすぐに実がなる木ではない。何年も育てて、ようやく収穫にたどりつく。父は、その実を口に入れて、来年はジャムを作ってくれ、と言っていた。

その木々のある場所が、私に残る。だから私は、その線を、これからもここで暮らしていくための線だと思っていた。何年も先まで、ここで続けていく。それが、分筆という言葉の意味だと思っていた。

しばらくして、私は取り決めを実行に移そうとした。

移設には、私が家を建てたときの業者に、注意点や保証を確かめる必要があった。配管の図面を持っているのは、私だったからだ。

私はその業者に見積もりを取り、およその金額を弟に示した。そして、図面の線のとおりに分筆する、その詳細を確かめようとした。

すると、弟が言った。分筆ではない、と。

隣で、兄も頷いていた。

そのとき、初めて分かった。

同じ図面を見て、同じ「分ける」という言葉を使いながら、私たちが見ていたものは、同じではなかった。

私が見ていたのは、土地を分け合う線だった。地番を分け、それぞれが持つ。

弟が見ていたのは、おそらく、違う線だった。

やがて、費用の負担をめぐる話も進まなくなり、6月18日の案は、成立しないまま白紙になった。

だが、私にとって大切なのは、合意が消えたことではない。

あの日、すでに「分ける」という言葉が、二つに割れていたことだ。

もし最初から、弟が農地のすべてを継ぎ、私が農業から離れる前提だったのなら、あの図面に、私の区画は置かれなかったはずだ。

けれど実際には、A4の東側に私の名前が書かれ、水道管のことも農機具のことも、私を含めて話し合われた。

それは、少なくともあの時点では、「一人がすべてを継ぐ」という前提ではなかったことを示している。

争われているのは、線そのものではない。

その線を引いたとき、それぞれが何を思っていたのか。

同じ言葉が、いつから別の意味で保存されていたのか。

6月18日は、対立が始まった日ではない。

その言葉が指していた未来が、一つではなかったと、後になって知る日だった。





🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』
の一章です。

家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。

その過程を記録しています。


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