第34章 失ったものと、残したもの
――生活を、生活として続けるために――
証拠にならなかった日々を、生活として残しておきたい。そう思ったとき、私は、自分が何を守ろうとしていたのかを、もう一度考えた。
私は、対立を避けたかったわけではなかった。生活を続けたかった。壊れ切る前に、どこかで維持できる形が残らないか。その可能性を、最後まで捨て切れなかった。
だから私は、言葉を強くしすぎないようにしていた。距離を取りながら、生活そのものは続けようとしていた。
だが、後になって分かった。
生活の中での譲歩は、法廷では別の意味に置き換えられることがある。
語らなかったことは、存在しなかったこととして扱われる。
強く争わなかったことは、受け入れていたこととして整理される。
配慮として選んでいた沈黙が、放棄として読まれていく。
そのとき私は、初めて気づいた。
「黙っていても伝わる」という前提が、もう前提ではなくなっていたことに。
私はいくつかの前提を失った。世界の見え方は、少し変わった。
裁判は過去を扱うが、人生はそこで終わらない。失われたものを受け止めながら、残っていたものと共に歩いていく。
それは、証明のためではない。生活を続けるためである。
私は、この記録を、誰かを評価するために書いているのではない。
一人で抱え込まなくてもよいこと。
言葉にして残してよいこと。
整理できないままでも、順番のまま置いてよいこと。
その可能性だけは、残しておきたかった。
法廷では、判決に現れない時間がある。
争点にならなかった背景。
言葉にならなかった毎日。
それらは、否定されたのではない。ただ、記録されなかっただけだった。
だから私は、制度の外にも言葉を置いた。それを、生活の時間として残すために。
これは、誰かを裁くための記録ではない。私が経験した生活を、私自身の言葉で失わないための記録である。
そして願う。
まだ、戻れる距離にいる誰かが、立ち止まれるうちに。
そのために、私は書いている。
🌸この記事は連載
『それでも、家族と暮らしたかった』の一章です。
家族の生活が、ある日
「証拠」と呼ばれるものへ変わっていく。
その過程を、順番のまま記録しています。
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