読書エッセイ #5 | 三國清三 『三流シェフ』
アンニョンハセヨ〜! チャル ジネヨ?
韓国語の勉強がなかなか進まない「tackmin3」です。
先週の土曜日(2025/06/21)の夜、妻と車で10分くらいのイタリアンレストランに行ってきました。
2021年に市内の別の場所から移転オープンしたそうですが、前の店も含め初めての訪問。
今回は車なのでノンアルコールビールを注文しましたが、オーナーはイタリアに何年かいて、田崎真也さんに師事したことがあり、ソムリエの全国大会に出場した経験もあるとか。店の隣にはワイン小屋まであります。
次回はワインを飲もうかな。
初めてなので安い方のコースにしましたが、味もボリュームも大満足。

特に美味しかったのが「つめたいとうもろこしスープ」(写真右上)。
店の1番人気だそうで、甘さにびっくり。埼玉県の「味来」というとうもろこしを使っていて、時期によって東北や北海道産のも使うそうです。
とうもろこしと水と塩だけで作っていると聞き、自分でも作れそうだと思い、クックパッドのレシピを参考に早速翌日挑戦してみたのですが・・・。
結果は見事失敗。せっかく冷蔵庫で冷やしたのを温め直して飲む羽目に。

このままでは引き下がれないので、研究しようとYouTubeで「コーンスープ」を検索すると、三國清三シェフの動画を発見。今回のイタリアンのオーナーも以前三國シェフが関わった店にいたことがあるようなので、縁がある。
次回は動画を真似て作ってみよう。
『三流シェフ』は2022年12月に幻冬舎から出版されると同時に購入しました。
生い立ちから、料理人の世界に入り、スイス、フランスに渡って革新的な料理人として名を上げ、帰国して自分の店を出し、今に至るまでが書かれています。
三國シェフのプロフィールをWikipediaと「三流シェフ」から抜粋しました。
三國清三(みくに きよみ)・・・1954年生まれ、北海道留萌振興局管内増毛町出身、父は手漕ぎの小舟の漁師、7人兄弟の3男、四谷「オテル・ドゥ・ミクニ」(2022年閉店)ほかのオーナー、ソシエテミクニ代取。
中卒後札幌の米店に住み込みで働きながら夜間の調理師学校に通う。
16歳のときに米店のまかないで食べたハンバーグに感動し、ハンバーグを作る料理人になることを決意。米店のお嬢さんから「ハンバーグといえば札幌グランドホテル」と聞き、同ホテルで開催されたテーブルマナー講習会に参加したのを機に修行を開始し、半年後正社員に。
1971年 札幌グランドホテル斎藤総料理長に推薦状を書いてもらい帝国ホテルへ。2年間、パートタイマーとして皿洗いに明け暮れる。
1973年 20歳で帝国ホテル村上総料理長の推薦によりスイス・ジュネーヴの日本大使館の料理人に就任。大使館勤務の傍ら、フレディ・ジラルデ、トロワグロ兄弟、アラン・シャペルに師事。
1978年 大使館を退勤し、引き続きジラルデらの元で修行。
1982年 帰国。市ヶ谷の「ビストロ・サカナザ」シェフに。
1985年 四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」開業、オーナーシェフに。
1993年 ロンドンのホテル「ザ・バークレー」で”ミクニフェスティバル”を開催、エリザベス女王が来訪。
1998年 ルレ・エ・シャトー協会の「世界のトップシェフ60人の一人」に選ばれる。
2015年 フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与される。日本人の料理人として初。
2022年 「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店。
『三流シェフ』には、札幌グランドホテルに入社した経緯や、帝国ホテルの総料理長からジュネーヴの日本大使館料理人に推薦されたときの状況などが詳しく書かれています。
札幌グランドホテルで働こうと心に決めたものの、就職試験を受けるには高卒資格が必要で、中卒の自分にはどうしようもない。しかしどうしても諦められない。
偶然にも、夜間学校の卒業記念行事としてテーブルマナー講習会が札幌グランドホテルで行われることを知り、その機会を利用することにした。
講習会の最後にホテルの人が厨房を案内してくれたときに、少しずつ遅れて列の最後尾につき、洋食の厨房に来たときに隙をみてすっとステンレスの調理台の陰にかがみ込んだ。
みんなが出ていったあと、息を潜めながら厨房の中を観察し、数人いる中で一番えらいと目星をつけた背広姿の人と目が合うと、
「君そこでなにやってんだ」
と言われた。
その眼光に負けないように夢中で睨み返し、
「ここで働かせてください」
大きな声でそう言って、頭を下げた。
その人は青木泰男さんといって、当時32歳の西洋料理部課長代理。その年に大阪で開催された万博のスイスパビリオンに派遣されて戻ったばかり。父親は天皇の料理番と言われた秋山徳蔵の直弟子で、札幌グランドホテルの初代総料理長だった人だ。
青木さんは札幌グランドホテルの社員食堂の飯炊きとしてぼくを雇ってくれた。
後年青木さんは、
「あんな目をした人間に会ったことはなかった。15~6歳のほんの子どもが、『自分には前に進むしか道がない』なんて言うもんだから、俺は驚いたんだ」
と言った。
帝国ホテルではパートタイマーとして毎日皿洗いをしながら、正社員になる日を夢見ていた。
ところが20歳になったときに、パートタイマーから正社員になる慣習が廃止されることになり、その夢は完全に絶たれた。
もはや増毛に帰るしかないと思ったが、最後に帝国ホテルにある18のレストランのすべての鍋を洗ってから帰ろうと思い、毎日鍋を洗いピカピカに磨いた。その年の暮れには増毛に帰るつもりだった。
鍋を洗いはじめて3ヶ月経った10月の終わり頃、村上総料理長に呼ばれた。
「ここにいたらいつまでも皿洗いだ。北海道に帰りなさい」
ということを言われるのだろうと思っていたのだが、最初は何を言われたのかわからなかった。村上さんはこう言ったのだ。
「三國くん、ジュネーブに行きなさい。君を大使の料理人に推薦しました」
・・・
数年後、大使の料理人をなんとか務め上げ、明日は日本に帰るという前の晩、小木曽大使夫妻に呼ばれ、奥様がこんな話をしてくれた。
「私たち最初は村上さんにお断りしたんですよ。三國さんが20歳だと伺って、あまりにもお若いので無理だろうと思いました」
「ですけど、私たちがお断りしたら村上さんが仰ったんです。『あの若者なら大丈夫です。私を信じてください』と。村上さんがそこまで仰るので、それ以上断れなかったんです。三國さん、日本に帰ったら村上料理長を生涯大切にしなさい」
目頭が熱くなって「わかりました」と下げた頭が上げられなくなった。
・・・
村上さんは生涯現役を貫いて、84歳で世を去った。お葬式で出棺するとき、村上さんのご長女に呼ばれ、ご家族と一緒にお骨を拾った。そのときに、ご長女がこんな話をしてくれた。
「家では料理の話も仕事場の話も一切しない父が、あなたのことだけはよく話してたのよ。三國さんが初めて帝国に来たときも、『すごい奴が入って来た』って」
別の記事にも書きましたが、以前の職場の転勤で、妻の実家がある江別からそう遠くない旭川に4年半いました。
長男は小4から中2まで、次男は幼稚園から小4まで。学校の部活に熱中する前だったので、休日はよく家族でスキーやドライブに行きましたが、車で2時間ほどの距離にある、三國シェフの故郷、増毛にも行ったことがあります。そのせいか、動画で見る三國シェフにとても親近感を覚えます。
三國シェフは、閉店した四谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」の場所に、今秋新しいコンセプトの店をオープンする予定とか。
ぜひ行ってみたい!!
Bon appétit(召し上がれ・フランス語)
Buono(美味しい・イタリア語)
チャル・モゴッスムニダ(ごちそうさま・韓国語)
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