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国のまほろば、万葉集の心が生きる飛鳥路を旅した【Re紀行文】

※この記事は、公開時から大幅加筆修正しております。


飛鳥(明日香)は日本人の心のふるさと

 春の午後、伊賀の山を越え、天理の町を抜けると、不意に風景がひらけた。静岡からおよそ五時間の旅路。
 私は車の窓を開けて、景色を直接見た。
 緑と白と青が、視界に溶けあっている。明日香村に入ったのだ。ここは、日本人の心のふるさと。そんな言葉を思い出しながら、私はハンドルを握る手を緩め、明日香の風を胸いっぱいに吸いこんだ。

 「万緑の中や吾子の歯生え初むる」──中村草田男の句が脳裏をよぎる。鮮烈な緑と子供の白い歯を対比した名句だ。子の白い歯は、この村においては、道の白さにあたるかもしれない。
 アスファルトの車道とは違って、歩道やサイクリングロードには白く光る黄土色の舗装がなされている。その明るさは、周囲の新緑と相まって、まるで世界が清められたようだ。

亀石から公園化した石舞台古墳へ

 明日香を巡るには、自転車が良い。私は亀石の近くに車を停めると、近くでレンタル自転車を借りた。 

 亀石は、今も昔も変わらぬ、ふっくらとした面差しで道端に座っていた。解説も案内もない。ただ、道行く人々が、笑顔で写真を撮っている。それでよいのだろう。説明しすぎないことが、かえって想像の余白を生む。

亀石はかわいい

 私は、かつて訪れた記憶のある石舞台古墳へと向かった。たしか、小学校のころ、祖父と来たのだった。だが、そのときの記憶はおぼろげで、ただ今と違って、こんなに公園らしくはなかったように思う。

 整備された芝と遊歩道、穏やかな雰囲気のなかに、あの巨石が静かに鎮座していた。
 多くの人が芝に寝そべって談笑していた。ランチをしている人もいた。おそらく地元の人なのだろうと思った。ここは、観光地としてではなく、地域の憩いの場になっているのだろうと思った。

空を見上げると、雲がまるで巨人が息を吐いたかのように、ふわりと広がっていた。

 明日香村全体に言えることだが、国営の管理が隅々までしっかり行き届いている。おそらく古都保存法や明日香法により保護されているのだろう。
 石舞台古墳は、昔の写真にあるようにその上には乗れなくなってしまっているが、適切な保護や解説が施されている。文化財行政にかかわった身からすると、ものすごく好事例だし、素晴らしいことだ。

石舞台古墳の石組み具合。巨石がバランスよく積まれている。

 さて、石舞台古墳である。
 巨石がバランスよく積まれている。中に入るとわかるが、隙間には石が挟まれており、慎重に調整しながら工事がなされたのであろう。
 工法の想像図もあったが、大王(天皇)の御業により積まれたということでよいのではないか。明日香の地には、ロマンあふれる巨石文化が息づいている。

石室内へ
巨石と巨石の間に隙間を埋めるような石がある。
中はひんやりと涼しかった。

 

石舞台古墳の復元石棺 これだけ持ち去られたのだろうか。

酒船石遺跡と導水施設

 少し南へ向かえば、竹林の中に酒船石がある。小学生のころ、胸を高鳴らせてこの場に立ったことを思い出す。当時は、飛鳥昭雄の本に夢中で、UFOや失われた文明を夢見ていた。
 酒船石だけであれば、いろいろな想像を掻き立てられる。曰く、宇宙人の設計図、ゾロアスター教の関係物等々・・・ロマンがあるものだった。

近年(平成12年)発見された導水施設 酒船石と合わせて有料区域だ
竹林の中にひっそりとたたずむ酒船石  
江戸時代には石材として割られていたという過去がある

 大人になって冷静に見てみると、導水施設が近くにあることやここが小高い丘にあり、下ったところで近年発見された富本銭の制作現場である飛鳥池遺跡(現 県立万葉文化会館)があることで、私は導水施設のミニチュア見本、設計図であったと思う。
 しかし、証拠はないのだから、謎とロマンは残る不思議な場所であり続ける、そんな場所だ。

飛鳥寺と飛鳥坐神社

 飛鳥寺は、日本最古と伝わる飛鳥大仏がある。教科書でも見るような有名な大仏だが、国宝ではな重要文化財止まりであるようだ。
 というのも、いくども火災の憂き目にあい、オリジナルがほとんど残っていないとされるかららしい。
 しかし、最近の成果では顔の部分はオリジナルではないかという研究も出ているらしいので、そうなると今後の再国宝化が待たれるところではある。

日本最古の寺

 飛鳥寺裏の田園にひっそりとたたずむ蘇我入鹿の首塚。入鹿の首が飛んだ先という伝承が記された解説版を、私はどこか愉快に、どこか怖れとともに受けとめた。
 甘樫の丘も飛鳥寺も同じ場所で見ることができ、ありありと当時の戦況が見えてくる。古代の息吹が伝わる飛鳥の地ならではの不思議な感覚が体験できる。
 現代にあって、大抵の場所では建物が乱立し、それこそ50年前の景色すら分からないが、ここでは昔の雰囲気が維持されている。少なくとも旅の者にはそう思わせるだけの雰囲気がある。

飛鳥寺西門跡

 そのすぐ近く、飛鳥坐神社にも詣でた。この神社は、「います」と読む。その音に、私は“神が今もそこにいる”という気配を感じた。
 ここに至る道筋に「元伊勢」の看板があった。
 神がさまよい、仮住まいしたという元伊勢伝承。その一つがここだという。天照大神を一時祀った場所かもしれぬ、と書いてある。

飛鳥坐神社 元伊勢の一つとされている。元伊勢の候補は現在は60か所ほどあるらしい。

 この飛鳥坐神社も、大変に由緒が古く天照大神が一時祀られていたとしても不思議ではない。
 

奇祭のおんだ祭が今は有名で、また境内には陽物信仰があり、子宝の関係で信仰があるようだ。

 私がここのところテーマにしている折口信夫の祖父がここの神社の宮司の養子であり、折口信夫も親しく参詣していた知り、感慨に耽った。

飛鳥美人がいる高松塚古墳へ

 高松塚古墳の発見は、当時日本中が興奮した。私は小学校5~6年生のころに、祖父に連れられ従弟と奈良に来ている。
 その時に高松塚古墳の壁画を間近に見たような記憶が、うっすらと残っている。30年以上前の記憶であり、当時は卑弥呼の墓として騒がれ始めた、隣の桜井市の箸墓古墳のほうに興味があった。

高松塚古墳の外観

 当時に比べれば格段に周りは整備されたのだろう。国営飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区として整備され、現在は高松塚壁画館が建設されている。
 古墳のすぐ横にあるこの建物の中で、発見当時の高松塚古墳の壁画を復元模写したものと修復復元したものとを比較しながら見学ができる。
 日本考古学史上稀にみる大発見、貴重な遺跡をどう保存するか、それを真剣に考え検討した結果が、ここに展示されている。
 考古学遺跡は、発見されておしまいではなく、そこからどう保存活用していくかが大きな課題だ。

四神が描かれたキトラ古墳へ

 高松塚古墳が発見された当時、「うちの近くにも似たようなのがあるよ」という報告があり、実際掘ってみたら似たようなものが出てきた、という飛鳥でしかありえない事態があった。
 それがキトラ古墳である。カタカナ表記だが、「亀虎」や「甲虎(きのえとら)」が有力なようである。しかし来歴がわからないためカタカナ表記であるとか。

 私が小学生の時はなかったように思う。

 高松塚古墳にも四神(朱雀、白虎、青龍、玄武)があり、キトラにも同様に四神が描かれているが、それぞれ違いがあるようだ。

 キトラ古墳を見に行くと、その前にそびえたつ「キトラ古墳壁画体験館四神の館」があり、仰々しいとほどに立派な施設だ。
 高松塚古墳の博物館のような学術的な展示好ましいが、こちらは体験館を謳うだけあってグラフィックイメージを主体とした展示になっている。
 これはこれで、とても分かりやすくてよいと思う。最近博物館によく行くようになったのだが、こうした視覚的な展示は流行りのようだ。

キトラ古墳の外観

 高松塚もキトラもその壁画に描かれているのは、当時の朝鮮半島の文化を反映したものであることは間違いないだろう。
 当然、大陸で発見された壁画との比較検証パネルもあり、瓜二つの構図で描かれている。ただし、日本らしいというか若干のアレンジがそれぞれあるようで、日本史の外来文化の受容の縮図のようなものが見える。

 流石にこの日、ひねもす古墳や古寺巡りだったので、最後に訪れたキトラ古墳では疲れてしまった。連れは、この施設を見る元気もわかず車で休んでいたほどだ。
 私は元気はあったが、頭が少々疲れてしまった。
 まだ外は明るく、時間的にはまだ、どこかに行けそうだったが、ホテルで休むことにした。明日は丸々一日飛鳥村と周辺を回ることができるため、その体力と楽しみをとっておこうと思った。
 
 飛鳥には、まだ見るべきものがある。だが、それらは急がなくていい。古いものは、ゆっくりと語りかけてくるのだ。



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