縄文土器に宿る太陽と月 縄文土器に描かれた意味を求めて 井戸尻考古館【紀行文】
釈迦堂遺跡博物館が隣接する中央高速道路の釈迦堂PAを出て、小淵沢ICで降りる。そこから約15分ほどで富士見町にある井戸尻考古館に着いた。
井戸尻考古館への来訪も2回目だ。前回の記録はこちら。
八ヶ岳山麓の景色の良い牧歌的な場所にある
井戸尻考古館は、八ヶ岳山麓の中腹にある。前に訪れた際は、晴れていて、目の前に悠々と広がる景色に心が洗われるようだった。
今回は小雨が少々煩わしく、山の寒さを感じた。
井戸尻考古館の中に入ると暖房ストーブがあった。外気は6度。ストーブの暖かさが心地良い。
窓口付近に先客が一人いて、熱心に学芸員に何か質問をしていた。入館券を購入し、展示室内に入った。

前回来訪時はまだ縄文時代にどっぷりはまる前であったため、知識も少なくただ表面を眺めるだけであったが、今回土器の編年体や型式について勉強したこともあり、少し深く見ることができた。
今回の目的は、この井戸尻考古館で50年間脈々と研究され続けてきた「縄文図像論」について理解を深めることである。

この井戸尻考古館入り口付近の壁に飾られている信州の偉大な考古学者の藤森栄一氏の「土器の形式や年代編年、石器の寸法など、どうだっていいじゃないか、みなの知りたいのは、原始の日本人がどんないのちを燃やしたのかということなんだ。」という言葉に我が意を得たりという気がした。
土器の編年体や、どこで出土したか、どこの技術を使っているかについては、それも面白くは思うが、そればかりでは面白くない。

縄文土器が、弥生土器に比べて圧倒的に人を引きつけて面白いのは、図像の中に意味がありそうで、そこに縄文の人々の思いや情熱探るきっかけがあるのではないかというロマンがあるからだ。
謎の水棲生物ミヅチの文様
この井戸尻考古館の展示では、この縄文土器に顕著な「ミズチ」という水棲生物の図像分析を通じて、環太平洋の人々に共通するカエルやヘビに対する再生のイメージ、そして日月の表現を土器にどのように盛り込んでいるかについてを解説していた。


下の写真にあるヘビの腕を持つ人面の解説にもあるが、描かれるヘビの意味や壺に張り付けられた半人半蛙から伸びる腕は、「古い月を抱える新しい月」を示しているらしい。
漆黒の夜空に浮かぶ細い三日月を想像する。
光り輝く白い三日月が、暗いいびつな暗黒の月を抱え込んでいるように見えないだろか。古代の人々は、これを新しい蛇(=月)が古い月を飲み込んでいると考えたようだ。古い月を飲み込み、新しい月は再生してく。
この太陰的世界が、古代の宇宙観だったと井戸尻の解説は語っている。

縄文土器に宿る太陽と月
今回もっとも驚いたのは、縄文土器に表現される二つの大きな目についてだ。これまで単純に二つの穴が目として表現されていると思っていたが、解説によれば、この両目は立体的に表現されており、左目は太陽を示すため明るく、そして右目は月を示し暗く表現されているという。
下の土器を見ていただければわかるが、左は貫通しているため明るく、左は裏がふさがれているので暗くなっている。これが日月の表現なのだ。
左は「火足り」、右は「水極」として陰陽太極図的に説明されることがあるが、こうした思想の原初の形がこの時代にあったのだろうか。


この立体的な表現を発明した縄文人の造形センスに驚くとともに、私の中で何かはじける様な感激を受けた。
月の満ち欠けと符合する自然の原理を観察し、その呪術的効果をこの壺に込めた縄文人。月の呪力を現すのは、カエルやヘビなどの脱皮や変態を繰り返す水棲生物だった。このウエットでルナティックな世界が、この星降る中部高地にはあった。
そして月と対応する太陽=日もまた、重要な要素ではあった。しかし、どうだろう。月の方が主役ではないだろうか。
民族文化の中心的存在が女性性にある文化が世界的に多くあることはよく知られている。この時代の日本も女性を主体に置く文化が発達していたと思う。その延長に、後の天照大御神が女性であることにつながっていくのかもしれない。では、月と太陽の立場が逆転したのはいつか、それはなぜか、そのような謎がまた私の中に浮かび上がってきた。
重要な資料がたくさんある「すごい!」ところ
この井戸尻考古館には長野県宝と言われる特徴的な土器も飾られており、ホームページからの引用だが、次のようなものがある。

この複雑な意匠と意味ありげな図像。
なんとなくだが西アジア、アッシリアやバビロニア方面のプレートに刻まれる図像に似ていないだろうか。左右非対称で細かく描きこまれた図像に、文字に類似したものが存在していたんではないかという想像が湧く。
この五層に渡り描きこまれた図像は、これはローマのトラヤヌス記念柱のような物語を示しているのではないだろうか、そんなことも思った。
また、縦方向に区切られた深鉢の図像も、何かしらの意味を区分して記述しているように思う。ちなみに同じ遺跡の同じ住居跡から出土しているから、一層「意味」があると思われるのだ。

展示室の後半は、井戸尻編年というこの地域で発掘された土器の型式を、住居の切り合い関係から区分し、年代別にならべたものであり、考古学上で重要な意味を持つものを解説していた。

私がこれらの解説資料をじっくりと見ていると、新しく一人の女性が入ってきた。
「うわ~、すごい」
入っていきなりである。それからも、ずっと「すごい、すごい」とうなり声をあげつつ見ていく。
多少うるさく感じたが、私自身もここが「すごい」と思っているので「そうだよ、ここは、すごいんだよ」と小さくつぶやいた。
この井戸尻考古館にあるものは、どれも「すごい!」と唸りたくなるパワーを発している。どの遺物からも、縄文時代を生きた人々の声が伝わってくるようである。
訪れたことがない人は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがだろうか。

続きは同じ八ヶ岳山麓にある「康耀堂美術館」と諏訪大社春宮・秋宮を訪れた紀行文です。
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