胃袋まかせの小旅行 山形県河北町 肉そばが冷たくて
第2話 鳥でした。
「そば、食ってくか」
その程度の軽い気持ちで車を走らせたのが、河北町だった。
山形県のちょうど真ん中あたり。友人がぽろっと言っていた、「肉そばって知ってる? 冷たいんだけどさ、うまいよ」という一言が、どうにも気になっていた。
とはいえ、その「冷たい」という情報は、すっかり忘れていた。
ナビに従って山の合間を抜け、ひらけた町にたどり着いたのは、午前11時すぎ。気温は5度。車を降りた瞬間、空気が肌を刺すように冷たかった。
目についたのは、古びたのれんの食堂。暖簾がゆれる隙間から、ほんのりだしの香りが漏れてくる。これだ、と思ってドアを引いた。
「いらっしゃい」
ストーブの上でやかんがシュンシュンいっている店内。入口にはスリッパがきちんと揃えられていた。
その整いっぷりに、思わず小さくうなった。あとで知ったのだが、河北町はスリッパの生産が盛んな“スリッパ町”でもあるらしい。
香川県が“うどん県”を名乗るなら、山形には“スリッパ町”があってもいい。
そんなことを思わせる、やたらと誇り高く並んだスリッパたちだった。
案内された小上がり席に腰を下ろし、「肉そばください」とひと言。
あたたかいのか冷たいのかなんて、考えもしなかった。
しばらくして運ばれてきたのは、ガラスの器に盛られた、つやつやと光る田舎そば。そして、その上に色の濃い肉が何枚も乗っている。
汁は…冷たい。湯気など、どこにもない。
「……あれ?」
思わず顔がこわばった。
箸でそばを持ち上げ、すすると、キンと冷えた汁が舌を撫でる。
「冷たい……なんで……?」
冬に、冷たいそば。しかも、店の中はストーブが効いていて、あたたかい。冷えたそばを啜りながら、汗ばむくらいの部屋にいるという、謎の状況だった。
だが、二口目、三口目と進むうちに、身体の内側がじんわりあたたまってくるのを感じた。
この汁、ただの醤油じゃない。甘さとコクが絶妙に同居している。
そばも、太めで野趣があり、噛むほどに味が出る。
そして、何より、上に乗っている肉。噛んだ瞬間、気づいた。
「これ、鳥か…」
鶏もも肉。しかも、やや硬めの親鳥らしい。筋がしっかりしていて、皮がぷるぷるしている。
豚でも牛でもない“鶏”が、堂々と“肉”として君臨していることに、ちょっとしたカルチャーショックを受ける。
「肉って、鶏のことなんだ」
あたりまえのように出されたそれは、この町ではあたりまえなんだろう。
ふと隣の席の年配男性が、にこりと笑いながら言った。
「うまいべ? 冬に冷たいの、いいんだよな」
私は思わず頷いてしまった。
冬に冷たいそば。それはたしかに、理屈じゃない。けれど、納得できてしまう何かがある。そばが冷たいからこそ、コシがある。肉が鶏だからこそ、噛むことでうまみが染み出す。
食べ終えたころには、心も身体も不思議とほぐれていた。
店を出ると、外気がピリリと頬を刺す。だけど、その冷たさも、悪くない。
鼻の奥に抜けた冷気が、さっきのそばのつゆと混ざって、なんだか新しい記憶になっていく。
「肉って、鶏だったのか」
車に戻るとき、そんなことをまたつぶやいた。
この旅で覚えたことはふたつ。
ひとつは、「河北町の肉そばは、冷たくて鶏肉」。
もうひとつは、「スリッパがちゃんと揃っている食堂は、間違いなくうまい」。
