世界が終わらなかった朝に ラジオが聞こえた朝に
世界が終わるというニュースを、ナオキはラジオで知った。
他でもない、自分のラジオ番組の中で。
当初は「またデマだ」「バズ狙いだ」と思った。けれど、日が経つにつれ、テレビも新聞も騒ぎ始め、ついには国の発表があった。
直径十二キロの隕石が、地球へ向かっている。衝突すれば、人類の半数が消えるかもしれないと。
それを境に、世界は音を立てて変わった。
ニュース番組は恐怖を煽り、街のポスターは避難先の指示に変わった。人々は職場を離れ、田舎へ帰り、SNSには「大切な人と過ごす」写真が溢れた。
街からは笑い声が消え、ラジオ局も、放送免許の返上が決まった。
ナオキの番組も、打ち切りになった。
「仕方ないよな」
そう呟きながら、彼はスタジオの明かりを落とした。
この小さな部屋で、何百回も放送してきた。誰かの深夜の相棒として、笑い話や音楽や、時には人生相談まで。
それが、静かに終わった。
──けれど、ナオキにはどうしても諦めきれなかった。
世界の終わりが本当だとしても、なぜ誰も、最後の夜にラジオを流さないんだろう。
テレビじゃなく、スマホでもなく、声だけのラジオ。耳元で誰かが話してくれる、それだけで救われる夜もあるのに。
だから彼は、機材をつないだ。
昔のメールアドレスを引っ張り出し、スイッチを入れ、ただ静かに言った。
「こんばんは、ナオキです。
今夜、最後の放送を始めます。
誰かが聴いてるかもしれないし、誰も聴いてないかもしれません。
でも、たとえ一人でも、耳を傾けてくれる人がいるなら……続けようと思います」
マイクの向こうに、誰かの顔が浮かぶ気がした。
放送が始まって10分、スタジオは静まりかえっていた。
ナオキはマイクの前に座り、ただゆっくりと喋り始めた。
「こんばんは。最後の夜、よく来てくれました。
この声が、どこかに届いていれば嬉しいです。
何を話せばいいかわからないけれど、いつも通りの夜です」
すると、1通のメッセージが届いた。ラジオ局の旧アドレスに。
件名は「届いてます」。
ナオキさん、久しぶりです。高校のとき、毎晩聴いてました。
あの頃、受験でうまくいかなくて、でもラジオで流れた洋楽の一曲で泣いて救われました。
今は二児の母です。今日、娘を抱きながら聴いています。
読み上げながら、ナオキの声が少し揺れた。
次第に、メールが立て続けに届き始めた。
トラック運転手です。今、北陸の山越えてます。ラジオだけが相棒です。
病院で働いてます。夜勤中です。声、ちゃんと届いてます。
そのうち、FAXまで届いた。
手書きのイラスト付きで「ナオキさん、ありがとう」とあった。
「……ありがとう、こっちこそだよ」
ナオキは、静かにマイクを見つめた。
夜が深くなった頃、スタジオのドアが開いた。
「やっぱり、ここにいた」
娘のユリだった。
普段は大学の寮にいるはずの彼女が、まっすぐこちらへ来ていた。
「避難してるかと思ったよ」
「そんなの、どこにいたって怖いでしょ。だったら、ここがいいと思って」
ユリはそう言って、マイクの隣の椅子に腰を下ろした。
「ちょっとだけ喋っていい?」
ナオキは頷いた。
ユリの声が流れる。
「お父さんのラジオ、私、ずっと聴いてなかったけどね。
でも今日、町中が静かで……イヤホンでこの声聴いてたら、なんか泣けちゃって。
子どもの頃、ラジオの横で寝ちゃってたの思い出したの。
だから来た。どうしても、隣で聴きたかったんだ」
スタジオの明かりが、二人の影を優しく照らしていた。
外が白み始めた頃、ユリがぽつりとつぶやいた。
「ねぇ、本当に朝が来るのかな」
ナオキは窓の外を見た。
東の空が、じわじわと桃色に染まり始めていた。
「……来るさ。たぶん、もう少しで」
放送はそのまま続けられた。
リスナーからのメッセージは深夜を越えても止まらなかった。
お父さんとお母さんが、久しぶりに笑ってます。
職場の仲間と聴いてます。泣きながら笑ってます。
世界が終わるなら、笑っていたいと思った。ナオキさん、ありがとう。
ユリが涙をこぼした。
「ねぇ、これが終わりだったとしても、すごく綺麗だね」
ナオキは頷き、マイクを手に取った。
「……ありがとう。皆さんの声が、僕をここまで連れてきてくれました。
最後の夜かもしれませんが、皆さんの今日が、いつも通りでありますように。
ラジオって、不思議ですね。声しかないのに、誰かが隣にいる気がします」
そのときだった。
小さく地鳴りが……来なかった。
代わりに、窓の外で一羽の鳥が鳴いた。
空が、完全に明るくなった。
ナオキは言葉を失った。
ユリは、放心したように空を見つめていた。
世界は、終わらなかった。
しばらくして、ナオキはマイクに向かって言った。
「……朝です。皆さん、おはようございます」
そして、ユリの方を見た。
彼女も笑っていた。目に涙を浮かべたまま。
「お父さん、ラジオって、すごいね」
ナオキはゆっくりと頷いた。
ラジオの赤いオンエアランプが、まだ灯っていた。
