【オーディブル】『令和元年の人生ゲーム』
なんかすごく面白かった。
著者の麻布競馬場氏は息子たちと世代が同じだ。
著者の視点で描かれるいわゆるZ世代の方々のあれやこれや。
中でも言われているが、古い世代が新しい世代を俯瞰するとけっきょく本質は同じというところに回収してしまう。
その通りに思うが、本質というのがあるとしたら、それの現れ方が時代によって異なるのが興味深いし面白いんじゃないかなあ。
だからなんでも本質は同じにしてしまうのはつまらないと思う。
あとこれもまた本質は変わらないと同列の話になってしまうかもしれないが、彼らの特徴は「世代の」というより「時代の」じゃないかなあと思った。
老若男女問わずいつでもその時代っぽい人というのがいる。
65歳のキムタクアメカジの若作りおっさんが痛すぎて悲しかった。
あの人は私かもしれない、時には。
ところで話は変わるが
私はヤンキーの当事者小説というのはないものかしらとずっと思っていた。
(ヤンキーとは?の定義から考えないことにする。浅い話ですw)
元ヤンキーが上梓した本はあるが、私が読みたいのは現役バリバリのヤンキーが書いた物語だ。
けれども、人が買うような文章を書くには才能が要る。
私のようなふつーの読者は大きな書店で本を買うから、そんなところに並べて見合う程度の読者が想定されなくては出版社は商売にならない。
知る人ぞ知る本では私の手元には届かない。
そんな才能を持ち合わせながら現役でヤンキーを続けられるものなのか…わからない。
側からは、ヤンキーは短絡的で思慮に欠けるように見えていて、文章を書く行為から遠く感じるからだ。
じゃあ本当にヤンキーは思慮に欠けているのか?
文章に書き表されない"思慮"がないものにされているだけじゃないのか。
まわりくどく話が脱線しましたが、
けっきょく当事者を語れるのは傍観者なのだということに気づいた。
これが言いたかった(笑)
