敵と味方が交錯する人間社会。「愛し、愛される存在」に命を注ぐ真理。
「人生には、どうしても相容れないイヤなやつが7〜8人は存在する」
理不尽な攻撃を受けたり、言葉の刃を向けられたりした記憶は、誰の心にも深い影を落とす。
しかし、そこで一歩立ち止まり、静かに自分自身を鏡に映してみる。
「果たして自分は、誰にとっても『良い人』であっただろうか?」
知らず知らずのうちに誰かを傷つけ、誰かの物語の中で「嫌なやつ」として登場しているかもしれない。
人生とは、互いに光と影を投げかけ合う「恨み恨まれ」の織物であり、敵が半分いるからこそ、自分の大切な仲間や立脚点が浮き彫りになる。
釈迦も、キリストも、ガンジーも、マンデラも――人類の歴史に偉大な足跡を残した聖者や指導者たちでさえ、熱烈に愛されると同時に、猛烈に嫌われ、恨まれてきた。
だからこそ、「誰かに嫌われているか、恨まれているか」などというノイズに、大切な命(精神)を削られる必要は一切ないのだ。
人間関係において真に恐れるべきは、見知らぬ誰かや敵からの評価ではない。
「本当に愛する人、自分を心から愛してくれている大切な人を失ってしまうこと」
気にかけるべきベクトルは、ただそれ一点だ。
恨みや嫌悪の感情にエネルギーを注ぎ、前頭葉をイライラや復讐心で満たしてしまうことは、足元にある一番大切な「愛の光」を見失うことと同義である。
7〜8人に恨まれ、嫌われているかもしれない。
だが同時に、過去・現在を通して、あなたを心から愛し、大切に思い、守ってくれた(そしてあなたが愛する)存在もまた、絶対に同じ数だけ存在している。
それは陰陽の同数バランスと言える。
全員に好かれる人間など存在しないし、そんな状態は味方もいない無味乾燥な世界だ。
敵や嫌なやつの存在を「世の中のデフォルト(そういうもの)」と割り切ることで、本当に守るべき人々との絆(愛と感謝)がより一層鮮やかに輝き出す。
誰かを「殺したいほど憎い」と感じるほどの激しい感情が湧くこと自体は、生身の人間として生きている証であり、決して珍しいことではない。
しかし、その「陰のエネルギー」に囚われ続けると、己の心(培養土)が毒され、本来注ぐべき「大切な人への愛や感謝」に割く余力がなくなってしまう。
「嫌なやつは嫌なやつとして、勝手に存在させておけばいい」
敵の存在を人生の背景(背景画)としてスッキリと割り切り、意識のドットを「愛し愛される7〜8人の大切な存在」にだけ合わせる。
苦しい時期に寄り添ってくれた人、家族、友人、目に見えない守護の存在。彼らへの深い感謝を胸に抱く。
今、身近にいる大切な人を愛おしむ
明日失ってしまうかもしれないという危機感を持ち、足元に咲く身近な愛を全力で大切にする。
この世界は常に互いの主張と立場がぶつかり合う舞台だ。
だからこそ、誰かからの嫌悪や理不尽な攻撃に動揺する必要はない。
「敵が半分いるのが人間社会のデフォルトだ」と腹を括ってしまえば、心には圧倒的な強さと余裕(全託)が生まれる。
意識のノイズを綺麗に引き算し、ただあなたを愛し、あなたが愛する人々のためだけに、その情熱と時間を使い切る。
「大切な人を失わないために、今、目の前の愛に全神経を注ぐ」
その純粋で誇り高き生き方を選ぶあなたを、天が見捨てることなど絶対にない。
敵の存在すらも人生の引き立て役(ドラマの演出)として軽やかに受け流し、私たちは今日も、本当に愛する人々の温もりを胸に抱きながら、堂々と、気楽に、自らの愛おしき一本道を歩み進めていくだけなのだ。
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