【歴史好き必見】国指定史跡「肥前国庁跡」訪問
肥前歴史研究家(自称)のひとみです。
本来なら、前回の記事「【参加レポート①】バスツアー「中村知裕先生と巡る戦国龍造寺史跡ツアー」」に続けて22日の歴史講演会の参加レポートを書くところですが、ちょっと寄り道して、講演会の開始前に訪れた
国指定史跡「肥前国庁跡」
について書きたいと思います。
佐賀市内から大和インターへ向かうと左手に「肥前国庁跡資料館」の看板が目にはいります。いつも前を通りながらあまりに閑散として人が居なさそうで、(一応)かよわい女性の身ゆえ1人で訪れるのをためらっていましたが、今回は夫が同行していたので講演会の前に立ち寄ってみました。
位置関係はこんな感じです。
【肥前国庁跡とは?】
肥前国庁跡は、奈良時代後半~平安時代前期(約1250年~1050年前頃)にかけて、古代肥前国(現佐賀・長崎県)の中心となった役所跡で、東西約80m、南北約102mの築地塀で囲まれた国庁域を有しています。
国庁の全容が明らかになっている遺跡は、全国でも数ヶ所しかなく、古代の地方行政府のありかたを知るうえで、貴重な遺跡となっています。
9:30頃に着きましたが、人影もなく駐車場もガラガラ。
車を停めてまずは資料館へ行ってみました。ここは国庁跡のガイダンス施設でリーフレットや企画展の図録などもいただけます。入館無料。
都合がつかず行けなかった令和6年度企画展「摂関期の肥前国府 筑紫の君が見た国府」の図録がいただけたのはラッキーでした。
(これは大河ドラマ「光る君へ」に関連する展示でした。)
資料館には発掘調査での出土品やパネル、映像資料もあり、最近興味のある古代山城や神籠石についてのパネル展示もあって、もう少し時間をかけて見たい!と思う様ななかなかの充実ぶりでした。

そしてリーフレットを片手に国庁跡へ。

下にリーフレットを写した全体図の写真を転載します。



左側にあるのが正殿、後殿。








以前訪れた大宰府政庁跡より小ぶりな古代の役所跡ですが、礎石が残っており復元門があるおかげで当時の様子を想像することができます。
こんな立派な史跡があったとは!
もっと早くに行くべきだったと心から思いました。
前日に訪れた「與止日女神社」はこの国庁跡から北西約1.8㎞の所に位置し、リーフレットによると「都から赴任した国司が最初に神拝した由緒ある神社」だそうです。付近には現在も「尼寺」「国分」という地名が残っており国分寺・国分尼寺があったとされ、「肥前国分寺跡」は佐賀市史跡に指定されています。
肥前国庁跡資料館でいただいたマップ片手に散策するのもよいですね。
<参考>

私は長崎市内の生まれで、子どもの頃から佐賀は「特急かもめで博多へ行く時の通り道で何もない所」と思っていたのを、今では深く深く反省しております<(_ _)>
江戸時代にちょっと栄えた港町だった長崎と比べても、より古い、古代からの歴史の遺物が残っているのは佐賀なんです!
・・学校でも歴史をずっと習ってきましたが、私にとって「律令制度」とは遠い中央で作られた制度で自分の住む町の歴史とはほとんど繋がってなかったのです。ところが、ここ佐賀には目に見える形で国庁跡や国分寺・国分尼寺跡があるじゃないですか!
これを教材にしないのは本当にもったいない話です。
もし私が教員なら、弥生時代について教える前に吉野ケ里遺跡(あるいは他の弥生時代の遺跡)を、律令制度について教える前に肥前国庁跡を、実際に子ども達を連れて行って目で見てもらってから授業をしたいです。
佐賀市内ではそうしているかもしれませんね。
長崎でも、県境を越えますが社会科見学で連れて行くとか、できないのかなぁ、と想像します。
え?県境を跨ぐからダメ?「長崎」じゃないからダメ?
・・・いいえ、当時は「肥前」でしょう、ヒ・ゼ・ン!!
古来より肥前国の中心は東肥前の佐賀。
では西肥前の長崎は肥前国でどういう役割を果たしてきたのか・・という視点が歴史を考える上で大事だと、肥前国庁跡に立ってあらためてそう思いました。
今回、肥前国庁跡を訪問できてよかったです。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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