【志考巡遊】とある男子看護大学生の一日。
皆さんこんにちは。
人道支援家のTaichirosatoです。
【志考巡遊】
1000文字で届ける僕の新しい遊び方
自分の軸となる「志」
日々の思「考」展開
その頭の中を「巡」り
文字で「遊」ぶ
と言い出し始めたものの、結局毎回1000文字以上書きたくなってしまうので、とりあえず思うがままに書き進めているここ最近の僕。様子見で、書き続けてみることにします。読み手が読みにくくならないように適度なボリュームを保ちつつ、今回からまた新しいチャレンジをしてみようかと思います。
以前に書いたこの二つの記事。どちらも時間軸や見える角度を普段とは違ったところから書いてみました。そんな2つに記事を読んだ友人からちょっとしたアイデアをもらい、この時空と妄想を実際に僕の身の周りに起こった現実とごちゃ混ぜにして膨らませてみることにします。
まだこの2本を読んだことない方も、既に読んだ方も今一度この2本を読んでから今回の投稿を読むと、じわーっとスルメイカのように味がでてくるかもしれませんね。お楽しみに。
<このストーリーに登場する人物は架空の人物ですが、内容は場所も時空も超えた事実をつなぎ合わせて物語を書いています。>
ー読むのに約25分ー
【志考巡遊】 とある男子看護大学生の一日。
出席
あーぁ、ねむてぇ。
通い慣れた大学への道。
時間は午前10時を回ったところみたいだ。12月の外気で顔がひりひりする。唇が切れると面倒なのでさっとリップクリームを塗る。
駅から歩くこと10分。だらだらと坂を下り国道を越えたところに、光星薬局がある。薬局を越えるとあともう少しで大学に到着できる。しかし、最後に全長100メートル程度の小さな坂があり、これが結構きつい。坂の中腹には大学病院に併設された幼稚園があり、子供たちがキャッキャしているのを見聞きするとちょっとだけ和やかな気持ちになるが、気持ちとは裏腹に俺の心臓は血液をせっせと全身へと運ぶようになる。ようやく坂を上り切ると、来車を整理する警備会社のおっさんたちに「うっす。」と軽く頭を下げ、俺は隣接した付属病院とは逆方向にある大学方向へと曲がる。
おっさんたち、一日中これやっていくらもらえんだろ。
週3程度の俺のフグ鍋料理屋のバイトとおっさんたちの給料を想像の中で比較してみる。定年しているかどうかもわからない年齢不詳のおっさんたちの生活に、ちょっと寂しさと不安を覚えるのはきっと俺だけじゃないはずだ。
ふと、後ろの右ポケットが震え、ケータイをそこから取り出し手に取る。LINEには珍しく2ケタのメッセージがきていた。
「おい、ケツ。」
「おきろ」
「おきたか?」
「ケツ、出席簿もらっておいてやったぞ、あとでなんか奢れよな」
お節介な奴らだが、いつもよくしてくれる同級生の仲間たちからだ。
齋藤の次男である俺は繋次(ケイジ)とよむが、繋(ケイ)と次(ツギ)という字の頭文字をとってなぜか皆からはケツと呼ばれている。まあ、いろんな憶測はあるが、俺自身このあだ名は嫌いじゃない。
話を戻す。看護大学の男子学生は、どこの大学に行ってもせいぜい多くて学年で10人。想像に難しくないと思うが女子は80人以上いる。俺たちはこの小さな大学社会で断トツでマイノリティってわけだ。数少ないメンズたちは寒さに凍えるペンギンのように互いに身を寄せ合い、この世界で生き抜いているってわけ。実際、友達なのか何なのかわからないような距離感でありつつも、妙に団結力だけはあって誰かが講義に間に合っていない時は案外支え合ったりする、そんなもんらしい。共学の高校に通っていた俺は、看護学科の大学生活なんて想像もしていなかったが、入学後2年という月日がマイノリティとして生きるには十分すぎるほど俺をたくましくさせていた。入学当初は、女子だらけのエレベーターにのるのも照れ臭かったのが今では笑えるくらいだ。
俺が講堂についた時には既に講義は始まっていた。
大学の隣に数年前に建てられた幕前記念館。そこにある講堂は、いかにも大学って感じがして好きだ。 幕前記念講堂1 と書かれた扉をそっと開け、中へと入る。
入り口には「特別講義 国境なき師団 看護師」と書かれたシラバスが並んでいて、俺の分を手にとり、吉井野先生にばれないようにと足早にその場を去る。俺を見つけた仲間たちは、こっちこっち、と手招きをした。
前列右端の前から3~4列目。ここが俺たちメンズのお決まりの位置だ。
わりぃ、出席簿サンキュな。
遅刻常習犯の俺のお決まりの挨拶を仲間たちに済ませ、席についた。
おい、ケツ。今日の先生、ここの卒業生で国境なき医師団だってよ。
大学生みたいな見た目でGUのパーカーをきているその先生は、どうやらすごい人らしいと俺の横のメンズ学生たちは騒いでいる。
へぇー、あの先生がねぇ。
とりあえず今ここにいることを紙面に印すべく、俺は出席簿付きのA4のレポートに学番に名前にと、ペンを走らせた。
齋藤 繋次(俺)の軌跡
~高校野球~
物心ついたころから父親とテニスボールの投げっこをして育った俺は、土日祝日とクラブチームの野球に明け暮れ、地元で強豪といわれる高校野球部に入った。
ただの野球好きな父は野球が出来るわけではなく、父との野球ごっこは中学校に入る前にはしなくなった。中学ではキャプテンをはり、野球にはそれなりに自信があるような学童期を過ごした。
高校に入ると強豪といわれるだけあって、部員数は100人ほど。しかもその誰もが地元の野球自慢、いわゆる俺のようなやつらが集まった場所で自分がそこから抜きんでることは決して簡単なことではなかった。それでも当時の俺にはここやっていける自信があったし、上の学年が抜ければ俺の時代が来る、そう思っていた。
そんな矢先の高校1年の2月。俺の、いや、俺たちの甘い考えが吹き飛ぶ事件が起こる。中三で入学前練習に来た一個下の奴が投げた球が、俺のそれまでの人生で一番 強く 速かった。俺たちには「一生かかってもあの球は投げれるようにはならない」そう思わずにはいられられないような目の覚める球。俺と同じキャッチャーだというその後輩は、後にプロ野球選手になって活躍するわけなのだが、その日から俺はその後輩の投げるボールを超えるために毎日必死にボールを投げ続けた。もっと遠く、もっと速く、もっと正確に。全体練習前も後も、いろんな体勢から強く早い球を投げる練習を我武者羅にした。俺の体が壊れずに3年間プレーできたことがラッキーだったくらいに。高3の春、俺の高校野球引退が近づくころ、俺の送球をみた顧問の口から出てきた言葉は、「お前の投げた球は、なかなか目的地へたどり着かねーな」だった。100人の中で人より勝るために、がむしゃらに過ごした俺の高校野球人生はそこで終わりを迎えた。
~大学進学~
高校野球引退と同時に、俺はどこに向かえばいいのかわからなくなった。
甲子園を目指し物心ついた時から野球しかしていなかった俺。18歳までに甲子園でプレーする資格をもらえなかった人間は、プロ野球選手以外でその後一生甲子園でプレーすることがないのだと、その時に初めて気が付いた。自分が目指してきたものが、この先に叶わない期限付きのものだったなんて。この時ほど時間を巻き戻したいと思ったことはここまでの18年間でなかったように思う。人生にリセットはない。進むしかないのだが、俺は一体どこに向かえばいいというのか。
同期野球部員たちは消防士への道や適当な学力で行ける付属の大学に進学を決めたが、俺は流れで人生を決めるのは嫌だった。将来仕事にすることを大学で勉強する。高校で勉強をしてこなかった俺が選んだのは救命救急だった。ケガをした仲間を処置するのは好きだったし、何せ響きがかっこいい。体育と音楽、そしてなぜか生物の成績だけよかったこともちょっとは影響しているのかもしれない。
俺は高校まで野球しかしてこなかったから、大学生活というものを謳歌してみたいと思っていた。当時、救急救急士の大学は関東に1校しかなく、倍率が桁違いに高かったから俺には無理。当然医師になる頭もないことはわかっていた。なんせ英語はSVOから勉強を始めるレベルだったから。それでも看護師なら(今思えばこれもかなり無理があったが)と大学受験。何個も受けた大学は全て落ち、留年を覚悟した。そんな矢先、最後に受けた某大学のテストで自分でも驚くほど相性のいいテストに出会えた日1日だけあった。これが大当たり。奇跡的にその大学に合格し、2年前から今の大学に通っている。
~大学生活とアイスホッケー~
高校時代での競争と膨大な練習が俺に与えたフィジカル面でのアドバンテージは自分で想像していた以上に大きかった。医学系で俺くらい野球が出来る奴なんて存在しなかった。野球が出来たおかげで大学を問わずいろんな野球サークルから声をかけられ、草野球は何チームも入ってプレーした。この環境で運動という運動をすると、何をやっても自分がずば抜けて1位になる。野球はそれなりに楽しかったが、競争社会から抜けた俺にとって競ることのないこの環境があまり面白くなかった。
入学後数か月してたある日、仲のいい女子学生がアイスホッケー部のマネージャーをしていることを知った。アイスホッケーは、この頃の日本でメジャースポーツではなく、スケートが出来ない誰もが初心者。もちろん俺もスケートなんてしなことなかった。スタートラインが一緒ということで練習し甲斐があることに加え、防具がかっこよかった。キャッチャーというポジション柄、防具を付けてプレーすることに俺自身慣れていたし、カッコイイ!面白そうじゃん!ということで、直ぐにのめり込んでいった。
アイスホッケーで驚いたのは練習時間帯だ。アイスホッケーはスケートリンクで行うが、パックという堅いゴム製のものをスティックを振り回して打つので、ホッケー以外の人がリンクにいるとできない。そのためスケート場の日中営業が終わって深夜帯~朝にかけてスケートリンクを貸し切って練習や試合をするのだ。というわけで、アイスホッケー部に入部したその日から、俺は定期的に寝不足になることが確定し、大学の午前授業に遅刻することがデフォルトになったのだった。
意外な共通点
昨日も深夜1時から横浜のアイスアリーナで練習が始まり、朝の6時に家に帰宅した俺。1限の授業は9時から始まるから、シャワーを浴びて、小一時間休んだら原付に乗って大学に向かわないと間に合わない訳なのだが、家でのこの1時間がきつい。家のソファーに横になって目をつぶったが最後、眠りに落ちる。
ってなわけで、今日も俺はいつものように遅刻し、寝不足ってわけだ。
あーぁ、ねむてぇ。
出席簿付きのレポートに必要情報の書き込みが終わり顔をあげると、パーカー先生は何年前だか知らないが彼の大学時代の話をしている。どうやら時折思い出話に脱線するらしい。俺は、どうかくだらない自慢話でありませんようにと願う。
僕は大学時代にアイスホッケーをしていてねー、今もあるのかな?
へぇーこの先生、ホッケーやってたんだ、って俺の先輩じゃん。
心の中で興味を持ちつつも、俺がパーカー先生の質問に答えるつもりはさらさらない。すぐに目線を合わせないように下を向き、何かを書いている素振りと忙しいふりをする。ただ、パーカー先生と俺の意外な共通点に驚き、耳はパーカー先生の声を捉えていた。
ってか、そもそも何者なんだよ、先週も来てたこのパーカー先生って。
先週の授業のことなんて、ほとんど覚えていない。確か、酸素ボンベが足りないとか、トリアージがどうとか話していた気もする。2週連続で俺らの前に登場し、更にアイスホッケー部だったという、この謎のパーカー先輩の素性が気になったので、隣の健人に聞いてみる。健人はメンズ看護学生の中で一番物知りで他人に興味がなく、おれと何も比べるところもないし、奴の作り出す距離感が俺には心地よかった。
健人曰く、グローバルナーシングスキルという昨年から始まったカリキュラムは、国際医療についての科目で全14回講義。履修でいうと2単位と大きい割合を占め、12月中旬に差し掛かり全14回の講義も残すところ、この講義と1月の講義のあと2回というのが今現在のこの科目の立ち位置だった。特別講義で呼ばれたパーカー先生は先週に続き2週連続でしゃべっている。同じ先生だと、さレポートに書くネタに困るんだよ、とブツブツ言いながら健人はパーカー先生情報の開示を俺に続けてくれた。
地域医療担当の吉井野先生のつながりで呼ばれたんだってさ。日本にほとんどいないレアキャラらしい。
あとほら、お前も見ただろ?学内の掲示版。
先週末にあった「看護師国際サミット」というイベントを俺らの大学で開催した張本人だそうだ。今年もポスター貼ってあったろ、エレベーター前に。
そんなポスターあったっけな。健人に言われ3階のエレベーター前をなんとか思い出そうとしてみるが、俺の記憶の中にはそんなポスター存在しないらしい。脳の情報処理能力ってすげーな、と俺の脳みそに感心した。
グローバルナーシングスキルという科目で、ここまで公衆衛生とか世界の医療のこととか勉強はしてきたが、日本で働くのに何で世界の勉強する必要があるのか俺には関係ないで、どうもよくわからないから好きじゃなかった。そんな国際医療のゲスト講師のパーカー先生か。
情報整理した俺は、今一度パーカー先生を眺める。
んーあんま好きになれないな、俺は。
ひとりでに俺はつぶやいていた。
ちっ、まったくだ。
ん? なんだか前の方から声が聞こえた気がしたが、俺の前にはスライドの説明をしているパーカー先生と登壇机の上に「いろはす」があるだけだった。俺の中ではパーカー先生は、先生というカテゴリに入らないんだろうなとも思う。教授たちとは全く異質の雰囲気をまとったパーカー先生。
教授は立って授業をし、パーカー先生は講堂のど真ん中に椅子を置き座ってしゃべる。教授はジャケットを着てる(気がする)が、この人はパーカーだし。俺の知っている世界の人たちと比べて、色々としっくりこない。
そんなことを考えながら前列の端に座る俺を気にすることなく、パーカー先生の話は進んでいった。
パーカー先生の授業
国際医療に興味はない。とはいえ、国境なき医師団は知っていた。
YoutubeのCMでみた事はある。世界のどこでも駆けつける医療者。そんなんカッコイイに決まってる。でも、自分とは違う世界のこと。まぐれで大学に受かった俺には英語で仕事するなんてありえない。俺の道は大学病院の高度救命救急センターで、ドクターヘリに乗る。国際医療なんて俺には関係ないことなのだ。
今日のパーカー先生は、授業前半に準備していた動画を流し始める。
突然講堂いっぱいに英語とフランス語が流れ始め、時折止めてはパーカー先生が動画解説を入れる。普段とは違う言語が流れた時点で俺の脳みそは情報を遮断し、俺には何のことかさっぱりわからなかった。
ただ、流れてくる動画の緊迫感と映像から状況は理解した。
内容はたぶんハイチでの内部紛争のこと。
暴力に巻き込まれた人たちとそこで医療活動をする現地医師への取材の様だった。
その動画中での登場人物は2人。
両足を銃で撃たれた若い女性とその地で治療に当たる医師だった。
パーカー先生の解説後、彼らのインタビュー中の言葉は、断片的なシーンとして俺の脳みその写真記憶になっていった。
(銃で負傷した若い女性)私は、もう家には帰りたくない。両足を撃たれてけがをして、もう二度と走れなくなった。家に帰れば、また同じ様な暴動が起こる。次は私は逃げることすらできないの。今度こそ助からない。
(現地医師ジョージ)毎日限界の中で我々は医療をしている。そして今僕らに出来ることは3つだ。①この(取材)動画を見た国際社会が(紛争が終わるように働きかけ)動くこと。②我々自身が立ち上がり、革命を起こすこと。③あきらめること。
この国を離れたいかって?いつも選択肢に入っている。でもどうすることもできないんだ。だから強くあらなきゃならない。
現地医師ジョージの3つの選択肢を聞いて俺は、3つ目のあきらめるってなんだよ、と油と水を混ぜたような感情が残った。その感情は決してその発言をした医師ジョージに対するものではなく、俺自身も良くわからない、見えない 何か に対するものだった。
パーカー先生は、この動画の後もいくつか説明やグループワークを入れながら、俺たちに考えろ、考えろと質問を投げ、グループワークをいくつか盛り込んでくる。そういえば先週もそんな講義だったことを思い出した。
パーカー先生は、2週にわたる講義の最後にこんな話をしていた。
世界各地で活動しながら紛争って本当に複雑だと感じたんだ。
医療者の僕には、紛争は止められないだろうね。
紛争の終わりはさ、10年とか50年とか長く時間のかかることかもしれないし、もしかしたら明日、突然時代が動くかもしれない。
かつての日本もそうだったように、きっと今のしんどいことが過去のことになるときがくると思うんだよね。
だから死んでる場合じゃない、というか誰かの人生の時間を未来に繋げられるのが医療の仕事かなって。
自分の力ではどうにもならないことなんてありすぎるけど、
自分でそれっぽい答えを出してわかった気になる、知った気になる、解決した気になる。
そして人の思考は止まる。
実は動画に出てきた現地医師のジョージは、僕がハイチで一緒に活動をしていた時の仲間なんだ。熱い心を持った仲間の選択肢に「あきらめる」なんてはいっているなんて、悲しすぎるじゃんか。
解決の仕方や答えがわからないから、思考を止めずに考えて、考え続けて。
そうやって誰かのためにアクションを起こし続けられる、そんな医療者でいたいんだよね、僕は。
吉井野先生と空っぽの講堂
パーカー先生の講義が終わり、吉井野先生がレポート提出などの事務的な連絡を伝える。何人かの女学生たちはパーカー先生に列をなし、質問なのかコメントなのか何やら話をしている。
メンズ学生仲間たちは皆、メシ行こーぜ、と講堂を後にしていた。
ディズニーランドのじゃあるまいし、と列をなす女学生たちを横目に、めんどくさいレポートをさっさと終わらせておきたい、そんな気分だった俺は講堂でいそいそとレポートを書いた。
考えるわけでもなく書き進めるとレポートの裏面下部まで到達した俺の文章を見直し、今日は調子いいな、と自分をほめてやりたくなった。
あら、齋藤君珍しいわねー!君が授業終わってからも教室に残ってレポート書くなんて!!世界がひっくり返る、驚天動地とはこのことだわね。
んなことあるかよ。
吉井野先生が声を小ばかにした感じで声をかけてきたから、俺は間髪入れずに返答した。先生はいつになく上機嫌で、腕組をし片手で顎先をつまみながら自問自答にうんうん頷きながらパーカ先生を見つめている。
それにしても、質問の学生の列がすごいわねー。ほんと、学生の食いつきが全然違うんだから。年に一回とはいえ、さすがは大学人気No1講師だわね。
マスクでメガネが若干曇っているのはいつものことだが、吉井野先生も以前は海外で活動していたらしいから、パーカー先生を仲間のように思えるところがあるのかもしれない。グループワークの時に一度だけ今日の講義中に吉井野先生が目に入ったが、どこか懐かしそうに聞いているように見えた。自分の経験と重なる部分があったのかもしれない。
齋藤くんもさ、せっかくなんだからなんか聞いておきなさいよ。めったに会える人じゃないんだから。丁度女子学生の質問の列もはけてきたし、ハイ、行った行った―。
いつもは疲れていて不愛想に見える吉井野先生の今日のテンションやたらと高く、俺の背中をポンっと押し出して俺は意図せずパーカー先生のところに進むことになった。
めんどくさいけど、なんだがかわいらしい吉井野先生を見れたので良しとしてやるかと思っていると、
おっ、男子学生じゃないかぁ!頑張ってよー!僕にも君のような学生時代があったんだから。
俺が言葉を発する前に既にパーカー先生が俺に向かってしゃべり始めていた。この人、2時間以上しゃべったのにまだ喋れんのか、すげーな、と思いつつも、何も考えていないかった質問を俺の脳みその中から必死にさがしてみる。が、当然見つからない。
ス、スケートは、どうやったらうまくなりますか?
気が付くと俺はアイスホッケーの質問をしていた。どこのリンクで練習したとか、週どのくらいスケート練習に行ったかとか、パーカー先生は笑いながらアイスホッケーの話をした。一通り話が終わると、講堂にはパーカー先生吉井野先生と俺の3人だけになっていて、吉井野先生が目でパーカー先生に合図を送ると、パーカー先生はパソコンをたたんでカバンの中に入れ、幕前記念講堂の出口に向かって吉井野先生と歩き始めた。おれはまだ荷物があるからと荷物の整理をしつつ、もう一度パーカー先生を見る。
先生、また講義しに来てよ。
パーカー先生は立ち止まることなく、くしゃっと笑いながら右手の親指を上に向かって立ててを俺に見せた。「日本に帰ってきたらなー」と遠くで言っているのが聞こえ、なんだよそれ、とつっ込まずに入られなかった。
ちっ、調子にのりやがって。
俺の後ろの方から、何かまた聞こえた気がしたが、そこには誰もおらず、ほとんど空っぽの緑のキャップのペットボトルが置いてあるだけだった。
エピローグ
桜の季節が終わり、夏が近づいてきた今日この頃。家にいてもクーラー無しでは汗ばむくらいになってきた。俺が高校野球を引退してから3回目の夏がくる。第120回記念大会の春の選抜高校野球は初めて岩手の公立校が優勝するという快挙で幕を閉じ、今度の第130回夏の甲子園はどうなるもんかとネットニュースを眺める。
初夏にそうめんをすすりながら、俺は甲子園ニュースを見ていたつもりだったが、ネット広告での国境なき医師団に目が留まる。
あ、パーカー先生じゃん!まぢかよ、あの人スゲーな。
紛争地の医療を画面越しに訴えるパーカー先生を見つけた。どうやら今はハイチにいるらしい。パーカー先生の次に出てきたアフリカ人は、マラリア撲滅へあと一歩!と英語で説明しているようだ。この20年ほどでビル・ゲイツ財団がサポートし統計を取っている殺人生物ランキングが大きく変動したらしい。世界的なマラリア撲滅の取り組みと予防薬の大幅な値下げによってマラリアでの死亡率は大幅に減少、相変わらず人間が殺人生物ランキング1位であり続ける昨今の不条理を国境なき医師団は訴えている。アフリカ人独特の英語訛りをリスニングし、画面下の日本語字幕を見ながら、自分が少しだけ単語が聞き取れるようになっていることに気がついた。
繋次、何笑ってんの、きもちわるぅ。
なんでもねーよ。そうめん、最後もらうぞ。
あっ、それ!あたしのなんだからね!
俺は、姉の残りのそうめんを一気に頬張り、照れといっしょにゴクッと飲み込む。そのまま2階の自分の部屋へと駆け上がっていく。
さ、今日もやりますかね。
これから野球をやるかのように、両手を合わせてぐいーっと背伸びをしてから、お気に入りのシルバーのwindows surfaceを開く。
画面の向こう側には、
アフリカ訛りの英会話の先生が待っている。
とある男子看護学生の一日。
ー完ー
つづく!? かもしれない。
次回もお楽しみに。
Best,
Tai (本文 9441文字)
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