誰がために踊る
はっはっ。すうぅ、はっはっ。
女が、踊っている。手入れの行き届いた髪を靡かせ、顔を上気させて。どうして僕は目の前で足を止めてしまったのだろう。こんなの、離れるに離れられない。
はっはっ。すうぅ、はっはっ。
女は無言で踊る。正方形に折られたブルーシートの上。白い靴下を履いて、短い丈のスカート。足に力を入れる度、グッグッと太腿に筋が入る。
ふう、ふう、すっすっ。
フリルの付いた空色の可愛い衣装。か細い腕を懸命に振り、肩を揺らし。君はなにをそんなに踊る?
エエ、エエ。エエ、エエ。
……おい、お巡りさん。まずはこいつを摘まみ出せ。ブルーシートに膝を乗っけそうな勢いで、地面に胡坐を掻いてるエロ親父。「エエ、エエ」と女が汗を振りまく度に口走っている。
路上ライブ、街頭演説、宗教勧誘、調査アンケート。確かにこの駅前では毎日色々なことが行われている。だがこんな若い女が、音楽もなしに一心不乱に踊っているというのはどういうことか。Youtuberの企画か、面白くない集団の罰ゲームか、地下アイドルの下積みか。訳が分からない。クスクスと、道行く人々から笑い声が聞こえる。「きんも」と誰かが大声で言う。メガネにマスクをした男が、女のダンスを撮影している。
はあはあ、ふう、はっはっ。
女は動じない。仮に地震が起きても、爆破テロが起きても、彼女はきっと踊り続けるだろう。健気? 狂気? 彼女の前(もといエロ親父の前)に置かれたお菓子のカンカンには、十円玉すら入ってない。私は女の頭上に目を凝らす。誰かが糸を引いてるんじゃないか。彼女はただ操られているだけじゃないのか。でもそんな糸は見つからない。僕はこの状況が末恐ろしいのに、この女の観客という、この世でも一二に避けるべき立ち位置居るのに、怖いもの見たさで離れることができない。何か起こる。こんなの、最後にタネ明かし的な何かがあるに決まってる。
フッ!
女が腕を天高く突き上げた時、僕はハッと我に返った。見惚れていた? いやいや、現実逃避をしていただけだ。女は口角を上げたまま、シャッターチャンスと言わんばかりに完全に静止していた。拍手は……起きない。歓声も、ない。エエ、エエ、エエ、エエと、エロ親父のそればかり。
すると女が、体勢はそのままに僕にキッと視線を送ってきた。眼中にないと思っていたから心底驚いたが、尋常ではない目力に気圧され、身動きが取れなかった。女はその後、撮影をしていた男に、騒ぎに駆け付けた数人に、当然エロ親父にも視線を送り、こう告げた。
「私は今、世界を救いました!!」
朗々とした声が、駅前ロータリーに響き渡る。エロ親父の声もピタリと止んだ。
「……私の踊りによって、新しい命が生まれました! 餓死しそうな人が、食べ物にありつけました! 砂漠に雨が降りました! 悪い人が死にました! そして皆さまが、幸せになりました!!」
マイクでも通ってるのか? 女の声が、なぜこんなにも頭に響く。
「そう、皆さまお気づきですか? 私は踊りながら、空中にお経を書いていました。世界が平和になるように、皆さまが幸せになれますように」
そう言って女は試しに「如」と言う字を空に書いた。確かに、常々そんな動きをしていたような気がする。
「一瞬でもいいんです、私の踊りをご覧になった皆さまには幸福が訪れます! ほんの小さな隙間に、簡単には気づかない場所に、普段とは違う幸せを見つけることができるはずです。いいですか、私の踊りをご覧になった皆さま、胸を張ってお帰り下さい!!」
「あのう」
エロ親父がぽりぽり頭を掻きながら退場した後、少し間を置いて、僕は撤収作業をしている彼女に声をかけた。心臓はバクバクだった。
「はい?」
女は可愛く首を傾げる。
「いや、あの……ずっとこんなことやってるんですか?」
僕は笑いながら言った。それが思ったより危険な笑い方で、肝が冷えた。
「だって、必要な人が世界中に居るんですもの。必要がなくなるまでやり続けるつもりです」
女はれっきとした態度で言った。
「それは、踊りで道行く人を元気づける、と言った意味で?」
「いやあ、私の踊りが実際に世界を救っているんですよ。それは確実なんです。帰ってニュースとか観てみるといいですよ、毎日私は踊っていますから」
そうにっこりと言われても、僕は小さく頷いてみるしかなかった。
「明日も、ですか。場所を変えて」
「ええ。恐らくもうこの場所に来ることはないでしょうね。世界は広いですから」
よいしょっと。女は話をしている間に身支度を整えていて、後はそれらを背負って帰るだけみたいだった。
「なので、あなたさまが今日ここにいらしたのは、私に確実に会わなくてはならなかった、からなのでしょうね」
女はそう言って微笑むと深くお辞儀をし、背中向けて去ってしまった。僕はその空色の衣装と褐色の足が小さくなっていくのを、口に溜まった唾も飲めないで見続けていた。
