起業信仰──『独立は正義』という幻想
「社長になりたい」だけだった子供時代
子供の頃、私の夢はいたってシンプルだった。ただ「社長になりたい」、それだけだ。その薄っぺらな野望のために、常に人の上に立つことだけを意識して生きてきた。スクールカーストなんていうクソみたいな序列の中でも、なんとか一軍をキープしようと必死だった。中身もないのに、虚勢を張り続ける毎日は今思えば滑稽だが、当時はそれがすべてだった。
学生時代なんてものは単純だ。ちょっと喧嘩が強いか、親が金を持っているか。それだけでスクールカーストの上位なんて簡単に取れる。だが、私にはそのどちらもなかった。そこで考えたのが「悪いことをして目立つ」という、救いようのない方法だった。当時はそれで満足していたのかもしれないが、悪目立ちなんてものは結局、周囲に嫌われるだけだ。人の上に立つどころか、ただの煙たがられる存在でしかなかった。
そんな調子だから、絶対人の下になんてつきたくないという呪縛に囚われたまま大人になった。いつかは社長に、いつかはリーダーに。そんな焦りから、リーダーシップの本や人身掌握術、人を使うためのノウハウ本を文字通り読み漁った。どうすれば人をコントロールできるか、どうすれば優位に立てるか。そんなことばかりが頭を支配していた。
「人の下で働く」という現実に耐えられなかった
しかし、現実は甘くない。社会に出た瞬間、その「選民意識」が最悪の形で牙を向いた。
社会人になってすぐに人の上に立てるわけがない。経験も、金も、知識も、人間性も、すべてにおいて未熟な若造が、まずは人の下で働くという洗礼を受ける。だが、20年近く「リーダーシップ」という毒に侵されてきた私には、人の下で働くことが苦痛でしかなかった。一番下っ端から、ようやく中間管理職になったところで、現実は変わらない。上の言うことには「右に倣え」が絶対だ。
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