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中途半端な人

 わりと几帳面な性格だと思われがち。で、実際はそーでもなかったりしてガッカリされがち。

 確かに、本棚のマンガが1巻から順番に並んでいるのがフツーの光景で、でも、特別に神経質とゆーワケでもなく、遊びにきた友達がグチャグチャに並びかえて読み散らかしても気にしない。そのうち自然と1巻から順番に並べ直す。それくらいファジーな几帳面。

 のつもりの当人、だが、神経質気味で付き合い難いヤツと思われていやしないかと神経質気味に気にしていたりするのも否めないので、敢えて中途半端を演出してみたりもする。

 たとえば、朝、起き抜けにしている準備運動のひとつスクワット、回数は32回と決めている。32とゆー数字に深い意味はない。実に中途半端、この中途半端な違和感に、身体を順応させる為に敢えての中途半端。

 こーいった中途半端を、生活の端々に散りばめていくと、几帳面で神経質で融通の利かない変固な堅物といった印象はかなり限りなく薄くなるのではないか、と、思ったけれど、僕の場合、僧侶・住職とゆー肩書きや、中途半端に気難しそーな顔立ち・表情・仕草などに問題があるらしい。

 どうやら、印象操作はそんなに簡単なものではないらしい。見た目は勿論、生まれ持った波動とか、オーラとか、フェロモンとかとか、そーゆー何だか漠然としてハッキリとしない、中途半端なもので判断されているようだ。

 実に中途半端。この中途半端な違和感に、精神を順応させていかないと、この中途半端な世の中を理路整然とは生きていけないとゆー辛さ。

 辛くてどーしよーもないことを、無視して放っておくことさえできれば、一人前の中途半端な人間と言うことなのだろう。

 中途半端な人でいられれば、『生きづらさ』もきっと、中途半端なはずだ。

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